15章-(6)
ぎしり。ぎしり。ぎしり。
踏みしめるたびに軋む床板。周囲を見回すが、やはり人影など皆無。
澱んだ空気とカビの臭いが鼻につく。耳鳴りがするほどの静寂と闇。俺は背中の斧を握りながら、進む。
右手の方角には、いくつかの椅子が並ぶ長テーブルがある。おそらくは食堂だろう。
左は……トイレのようだ。詳しく内部の様子を見たくないのですぐに視線を移す。向かいにあるのは船員用の寝室といったところか。
人の気配はすでに絶えて無い。だが、痕跡はありありと残っている。
床にいくつも落ちている割れた食器。椅子やテーブル類はひっくり返り、壁に剣まで突き刺さっている……間違いない。戦った痕跡だ。
だが誰とだ? ジレドを初め他国でも怖れられる海賊フォルテイツァを相手取り戦闘を仕掛けた相手とは?
海軍か? それとも別の海賊であるセルペンテか?
何者かと戦ってフォルテイツァの船員達は全滅してしまったのか? ならば何故どこにも死体がない? 襲撃した奴が死体まで奪った? 一体なんのために……
ぎしり。ぎしり。ぎしり。
船内の音は己の足音のみ。暗闇を進むごとに、耳鳴りがさらに強くなっていく気がする。
突き当たりに扉。他の部屋は全て扉が開いていたにもかかわらず、ここだけが閉じられている。
……何か嫌な感じがする。だが調べない訳にはいかない。俺は意を決し、油断なく扉を押し開けた。
初めに目に入ったのが、壁面に大きく描かれた海図。
さらにこの世界では高価な紙の書物が収められた本棚、高そうな調度品の数々……ここは、もしかするとキャプテンの居室だったのだろうか?
しかしなんだこの臭い……カビ臭の中に、何か腐ったような酸っぱい臭いが混じっている……
背もたれの長い肘かけ椅子。前方へ回ると……異様な臭いの原因が分かった。
死体だ。完全にミイラ化した遺体が、生前の威厳を誇示するかのように椅子に腰掛け、朽ち果てていた。
身につけている服……コスタが身につけていた船長服に似ている。この死体、フォルテイツァの船長のもの、なのか……?
確かロブが言っていた。フォルテイツァは不死の秘宝を手に入れていると。ではキャプテンがミイラ状態で死んでいるのは、その秘宝とやらがニセモノだったのか?
ふと、隣の壁に飾られていた一枚の絵に目が留まった。
それは、中世の貴族なんかがよく画家に描かせている自画像のようだ。
絵に描かれているのは2人。椅子に座り不敵な笑みを浮かべる身なりの良い少年。そしてその背後に付き従うように立つ、カイゼル髭をした使用人とおぼしき男性。
優しい笑みを浮かべる使用人の男性は、しかし腰に表情とは不釣り合いな、禍々しい鉤爪の武器を下げていた――
ギイイイイィィィイイイィィイィィ……!!
鼓膜に痛みが走るほどの耳鳴り。
いや――違う! これは耳鳴りじゃない! 斧だ! 背中の斧がひとりでに振動し、耐えがたい高音を発している!!
何だ? 何を伝えようとしている?
俺は周囲を見回しながら状況を整理する。この斧の反応。おそらくは――敵意。
まさか、近くに敵が――!?
その瞬間。
俺は、天井に蜘蛛のようにへばりつく何者かの姿を目撃。
そいつは刃物のようなものを手にし――急降下!
――くっ!!
俺は身をひねり素早く回避。
ズガンっ!!
襲撃者の武器は俺の前髪をかすめ、床板に突き立つ。俺はその隙に部屋を出、背後を警戒しながら船上へ続く階段へ向かう。
やり合うにしても、俺の大斧を振るうにはあの狭い部屋は不利。ならば広い甲板へ出た方が対処しやすいと判断したからだ。
階段を上がり、甲板の上へ出ると――目の前にあり得ない奴の姿があった。
「キャプテンや他の船員はいたかい、ソウジ!」
コスタである。腰に手をやり、濃霧の中でも太陽のように明るい笑みを浮かべていた。
――おい! なんでコスタがここにいる!?
コスタの隣のマーリカは、そしらぬ顔で肩をすくめて見せる。
「さあ? エルマノスの責任者としてどうしても来たかったんじゃないの? ま、あたしが止める義理なんてないしね」
無責任にほざくマーリカの背後から、またしても何者かが現れる。
「……やっと追いついた! いつもいつも一人で突っ走るなっつってるでしょうがお嬢ーっ!!」
ロブだ。縄ばしごを上ってここまで来たのだろう。しかも彼の後ろには、意気揚々とスペルソードを握るセイまでも……!
「どうしたのさ? まさか、フォルテイツァの奴らとモメたのかい!?」
――違う、そいつらじゃない! それより下がってろ! 来るぞ!!
俺はとっさに走り、コスタ達の盾となるため彼らの前に立つ。
瞬間、前方の甲板を斬り裂き、階下から何者かが勢いよく跳び上がった。
ガシュン!
人間の足音では断じてない音と共に、それは甲板の上に降り立つ。
薄ぼんやりとした太陽が照らし出したのは――明らかな異形。
顔と体全体が硬質な肌色の皮で覆われ、髪は無く目や鼻・耳・口もない。
ただ目と口とおぼしき場所に3つ、フジツボのようにひび割れ小さく盛り上がった穴が空いているだけだ。
両手両足は針金のような異常な細さであり、肘や膝といった関節はない……しいていえば、わずかに“ジョイント”のような切れ込みが見えるだけだ。
足の先は針状に尖り、かかと付近にショックアブソーバーのような形の部品が見える。人間……というより、人型をしたコンパスのような、そんな印象を抱いた。
そいつの両手には骨と融合した禍々しき鉤爪が2つ握られている。ギイン、ギインと威嚇するように爪同士を打ち合わせ、周囲に赤い火花が飛び散った。
「な、な、な、なんだいこのバケモノは!?」
「なんなんだそいつは!? おい転生者、まさかこいつがフォルテイツァの連中を……!?」
――下がってろ! 隙をみて船へ戻れ! こいつは俺が相手をする!!
俺は振り返らずにコスタとロブへ叱咤し、斧を構えて敵に集中する。
不気味な外見。異常に細い見た目からは想像がつかないほど俊敏な動き。目の前の相手はどんな手を使ってくるか分からない恐ろしさがある。
だが、そんなことよりも――
ギイイイイィィィイイイィィイィィ……!!
甲高い音。それは俺の手の中で震える斧だけでなく、相手の鉤爪からも発せられていた。
やはりそうだ。
目の前の存在は、間違いなく。
俺と同じ、魔剣使いだ……!




