15章-(5)
――コスタが海賊との交渉にこだわるのがあんた達のせい? どういうことだ?
ロブは遠くの水平線を睨みながら、口を開く。
「全てはキャプテンが倒れてからだ。そこから歯車がどんどん狂っちまった……キャプテンが倒れた事が広まると、俺達エルマノスが取り仕切っていた海を3流の賊共が荒らし回り、それを口実にジレドの海軍まで出てきやがった。
キャプテン不在の中でそんな連中の相手をするのは厳しくてな。船から下りる奴が続出し、かつては10隻以上の大船団を擁するエルマノスが、今やたったの2隻きりになっちまった」
なるほど……確かにこの海域で有名な海賊のわりに、人数の少なさには違和感があった。そういう理由があったのか。
「船を下りるのはいい。辞めたい奴は止めはしねえ。だがな……船を下りてもまともな職につかず、山賊まがいの事をする奴や、御法度だった陸の上での殺しを働く奴らが現れちまった……この事で一番深く傷ついちまったのが、お嬢だ」
ロブはそこで大きくため息を吐いた。
「あの子は小さな頃から、キャプテンに内緒でよく船に乗り込んできてな。クルーの奴らともよく遊んで、もしかすると家族みたいに感じていたのかもしれねえ……なのに、昔一緒に笑い合った奴が、船から下りて落ちぶれて殺しまで働くようになっちまった。
それからお嬢はキャプテンの真似事を始めるようになったんだ。もう二度と俺達からそんな連中を出さないために。あんな小さい体でよ、キャプテンや俺達なんかのために……」
……そういう事か。自分の家族を守るため、家族の居場所を守るために、彼女は他の海賊との同盟を結ぼうとしているのだ。
また、聞いた所によると、ジレドの海軍が現れるようになったことでこの辺りの港町や村にも悪影響が現れているとか。海軍はジレドで有数の商家を優遇し、この海域をへの進出と同時にそれら商家の品の流通を露骨に後押している。その犠牲となるのは地元の商人達だ。
商家の船は保護するが、地元で活動している商人の船は目の前でチンピラ海賊に襲われていても放置する。さらには海賊改めとして地元商人や漁船に乗り込み、売り物の商品や魚を勝手に接収していく連中もいるそうだ。
素行の悪さも問題となっている。酒に酔った海軍が駐留する村や町で暴れ、住人に斬り掛かり、金品を奪い、若い娘を集団で犯すなどの悪行もよく聞くそうだ。
海軍やチンピラ海賊の狼藉が目立つようになり、いつ彼らの母港である町もその犠牲になるかもわからない。コスタがキャプテン代理として立ち上がったのは、母港の人々を守るため。周辺海域の村や町を海軍や他の海賊連中から守るためでもあるのだ。
「……いや~本当、いい女だよなあ。お嬢は。情が深いし思い切りもいい。オマケに気立てもいいときたもんだ! あんな女そうそうお目にかかれないぜ?」
ロブに言われ、階下のコスタを改めて見る。船長帽を被り、ややウェーブのかかった赤毛と長いまつげをした彼女は確かに美人だ。
年は俺の2つ上の18歳らしい。船員に指示を出しながら男勝りに笑う彼女からは、確かにどこか年相応のあどけなさが垣間見える。
「ああ見えてスタイルも良いんだよ。胸のほうも立派に育ってなあ……なあ? どうよ?」
ロブは俺の方をチラチラ横目で見ながら肘で軽くこづいてくる。さっきからやたらコスタを推してくるが……もしかして。
――あんた、コスタに惚れてるのか?
俺がそう尋ねると、ロブは「んなわけねえだろ!」と全否定。
「俺はあの子がオシメつけてる頃から見てんだぞ! 俺にとっちゃ姪っ子みてえなもんなんだよ……キャプテンに言ったら殴られそうだけどな」
じゃあなんでそんな推してくるんだよ。よくわからんなこの人は。
俺の疑問をよそに、女の話題で思い出したのか、ロブが遠い目をしながら思い出話をし始める。
「他のクルーは大体所帯をもってやがるが、俺はなあ……エルドの町で小さい酒場をやってる奴がいてな。そいつとは客待ちをしてる頃からの馴染みでよ……俺が所帯持っちまうとあいつはまた一人になっちまうからなあ……」
あ、やばい。これまた話が長くなるやつだ。
「聞いてくれるよな転生者? そう、あいつと初めてあったのは、もう20年近い前の話さ……」
俺の予感は的中し、目的地に着くまで俺は隣のオッサンの恋バナを延々聞かされることになった。酒入ってなくてもこれかよ。さすがに勘弁してくれ……
◆◆◆
「さて……いよいよだね」
コスタは緊張で顔をこわばらせる。
船の周囲は徐々に白い霧に包まれ、進む先は完全に真っ白な闇に閉ざされていた。
ここはテアリア峡谷の入り口。この濃い霧の中に、大海賊フォルテイツァが待ち構えている……
「そろそろですかい、お嬢?」
「ああ。鳴らしな。念のため赤弾も撃っとけ」
コスタに言われたクルーの一人が、動物の骨で作った笛を一定間隔で吹きならす。
何をしているのかコスタに尋ねると、「敵意がないことを伝えている」と真剣な顔で答えてくれた。
「この霧で見えるかわからねえが……」
クルーの一人がそう呟きながら、手持ち筒を空へ向けて発射。白くけぶる空にぼんやりと赤い光が灯った。
「船同士で使う信号弾だよ。普通の船なら救難信号として使うが、あたしら海賊同士なら話し合いの前にまれに使う……赤色は緊急事態を現す色だからね」
フォルテイツァは遠距離からの砲撃を得意とする海賊だ。話し合いの前に撃たれる事だけは避けたいのだろう。
……だが、この濃い霧だ。相手もこちらの姿は見えないだろうし、砲撃を食らうことなどないんじゃないか?
俺がそう疑問を呈すると、ロブは真っ向から否定した。
「奴らがそんなマヌケかよ。ここに陣取ってるってことは、そんな問題もクリアしてるってことだ……それよりもここの地形は厄介だ。谷に挟まれて逃げ場がねえ。峡谷に入って撃たれればひとたまりもねえぞ……」
――ならどうする? もし撃たれたら?
「逃げ場がなく、後ろにも退けねえなら進むしかねえさ。撃たれる前に連中の懐に入る……! おいチップ! 奴らに動きはあるか!?」
ロブはマスト上の見張り台に立つ、小柄なクルーに声を掛けた。
チップと呼ばれた男は、青い光を灯す小型の羅針盤のようなものを見ながら返答する。
「……いまのところ術式感知はできねえ! それどころか魔法でこっちを捕捉している気配もねえぞ……どうなってんだ?」
あの羅針盤のようなものは魔法の前兆を感じ取れる道具らしい。フォルテイツァの魔術砲が発射準備に入れば、チップがクルー全員に伝達。そこから船倉に待機している術士に伝え、魔法を使って急加速。砲弾を一気にかいくぐろうという作戦なのだ。
……海賊エルマノスの船が最速を誇っているのは、この船を急速発進できる魔法があるからだ。船体の溝に掘られた特殊な術式と組み合わせ、海の上をまるで弾丸のような速度で駆け抜けることができるらしい。
今この船は帆を全て畳み、いつ撃たれても逃げられるように臨戦態勢を取っている。
だが……この静けさ。不気味に静まりかえる海に、コスタだけでなく歴戦の海賊達をも固唾を飲む。
船は魔法を推進力とした航行を続け、やがて峡谷の中へと進む。
船の両側でのしかかるようにそびえる高い岸壁。近づきすぎれば座礁し船体に穴を開けることになるだろう……しかし峡谷の中心を進むのも危険。フォルテイツァの砲弾の的になる恐れがあるからだ。
肌がピリつくほどの緊張感。それでも海は静かに……まるで導かれているかのように、異様なほど静かに船は進む。
やがて。
「う、お、こいつは……!」
船員達が恐怖の声を上げた。
彼らの視線の先に――1隻の巨大な船が、霧の中から忽然と現れたからだ。
一瞬岸壁かなにかかと見まがうほどに巨大な船。大きさは小型のタンカーくらいはあるんじゃないだろうか。
船体は薄く黒い鉄板を張り合わせており、揺れる海面の隙間から、無数のフジツボやら海藻やらが船底にへばりついているのが見えた……2年近くここに停泊し続けているというのは本当のようだ。
船員達が気圧される中、コスタは決然とフォルテイツァの船へ呼びかける。
「あたしはエルマノスのキャプテン代理、コスタ!! 海賊フォルテイツァのキャプテン・ディーロに話があってここに来たっ!!」
しかし。
コスタの凛烈な声は、フォルテイツァの何者にも聞き届けられず、虚しく峡谷の霧の中へと消えていった。
「……なんだよ、これ……」
「誰もいないのか? あの船に?」
「船を置いて出かけるにしても、誰かしらは残すはずだろう……こんな静かなのはおかしいぜ。幽霊船じゃあるまいし……」
ざわざわと船員達の間で動揺が広がる。そんな中先ほど見張り台にいた男、チップがカギ付きのロープのようなものを抱えてやってきた。
「状況はわからねえが、ここでボンヤリしててもらちは明かねえ……フック付きの縄はしごだ。乗り込んで様子を見よう」
彼が持つのは通常の縄はしごとは違い、幅が足1つ分くらいしかない細いものだ。それを投げ縄の要領でグルグルと振り回す。
慣れたものだ。他船に乗り込むのは彼らの日常なのだろう……しかし。
俺は何か嫌な予感を覚え、ロープを投げようとするチップを制止した。
「オイなんだ? なぜ止める?」
――あんたらはここで待て。俺一人で行く。
「な……オイオイ、どういうつもりだ?」
――様子を見るだけなら一人でいい。そしてその役は俺が適任だ。
俺がそう言うと、チップを初め数人の船員が不服そうに声を上げる。
「待ちな。そいつは何だ、俺達じゃあ力不足だっていいたいのか?」
「いいこと教えてやる。俺達エルマノスには殺しに2つの掟がある。“陸のもんは殺さない”。それから“自分か仲間が危うい時以外は殺すべからず”ってな」
俺が彼らに振り返ると、船員達は自分たちの力を見せつけるように、腰に差したスペルソードや魔法拳銃を構えて見せる。
「……俺達はその辺の三流共とは違う。不要な殺生はしねえ……だがそんな掟を守るには、自分や仲間の命が危ういギリギリの状態でも勝てるほどの実力が要求されるのさ……わかるかい? 白兵戦じゃあ負け知らずの海賊エルマノス! 足手まといなんて言わせねえぞ!!」
「そうさ、その通り!」
彼らの意気に影響されたのか、コスタまでも俺に反発する。
「よそ者のあんたに先に行かせて、自分たちだけ船で縮こまってるなんてのはエルマノスの名折れさ! まして船長代理のあたしが先陣切らずにどうするってんだ! まずはあたし達が乗り込むよ!!」
勇ましい声を上げる船員達。どうしたものかと考えていると――思わぬところで制止が入った。他ならぬロブである。
「待てお前ら! お嬢も!! ……お前ら、この転生者さんの意図がわからねえか?」
「……どういうことさ?」
「フォルテイツァの連中から反応がない。停戦を伝える笛の音も、旗も掲げず、ロープの一本も寄越してこない……相手が歓迎してねえ状況で船に上がるってのは宣戦布告に等しいことだ」
「でも、ここでこうしてるわけにも……」
「だから転生者さんが行くって言ってんだ。こいつは海賊じゃあない。こいつ一人が乗り込んだだけなら、最悪フォルテイツァとエルマノスの全面戦争は避けられるからな……なあ、それを見越して一人で行くってんだろ?」
ロブが同意を求めるようにこちらを見た。
正直そこまで考えていたわけじゃないが……俺一人の方が動きやすいのは事実。俺はもっともらしく頷いて彼らを納得させた。
「う~……」
コスタだけは納得できない様子だったが、彼女の事は彼らに任せよう。
「危なくなったら俺達を呼べ。あんたは大事な客人、エルマノスの名にかけて必ず助け出すからな!」
ロブの言葉に頷いて見せた後、俺は彼らにひとつ忠告をする。
――多分揺れる。何かに捕まっててくれ。
「……揺れる?」
怪訝な顔を浮かべながら、船員達は手近なロープや手すりに掴まる。
俺はそれらを見届けた後、息を吸い、ゆっくりと腰をかがめる。
瞬間。
――フッ!!
鋭く息を吐くと同時に、俺は全力で船を蹴る!
魔剣の斧により強化された肉体は通常の人間ではありえない跳躍を可能とする。海面から20メートル近い高さの船へ一足飛びに跳び移る。
真下のエルマノスの船を見る。やはり俺の跳躍の反動で大きく揺れていたが、幸い怪我をしたり海に落ちている者はいないようだ。ほっと胸をなで下ろす。
……さて、問題はここからだ。
俺は船の縁に立ちながら、改めてフォルテイツァの船を眺める。
船上はやはり無人。大海賊だけあって船の構造はかなりしっかりしているようだが、年月の経過により甲板の一部は腐り、金具はところどころサビついている。
海上に立つ楼閣の如く天を刺す巨大マスト。先頭の巨大な三連砲台の近くで、骸を踏みつける鷹を描いた海賊旗が霧の中でゆっくりはためいているのが不気味であった。
だが……それよりも気になったのは、甲板に付着する黒いシミのようなもの。
ところどころに何か液体をぶちまけられたように広がるシミ。
これは……まさか、血痕……?
「よっと。あらら、本当に幽霊船みたいね、ここ」
背後から声。振り返ると、マーリカが腰に手を当てて悠然と佇んでいた。
――なんでお前まで来てるんだよ。
「デカい船以外霧ばっかで見るとこないからね。暇なんで見学に来たってわけよ」
マーリカはサンダルにくっついている氷を蹴って落としながらそういった。氷魔法で船体に氷着しながらここまで歩いてきたのだろう。ヒマなやつめ。
しかし、彼女が近くにいるのは心強い。
――ちょうどいい。ここでコスタ達の船に近づく奴がいないか見張っててくれ。
「ほいほい。んで、アンタはどうするわけ?」
――船の中を調べる。
俺は甲板の下へ飛び降り、遠くに見える内部へ続く扉に近づく。
ギギギ、と軋む木製の扉を開くと――内部は完全な闇に閉ざされていた。
斧の視界を借りることで、闇の中でも物の判別は可能だ。俺はひとつ唾を飲み、慎重に闇の奥へ続く階段を降りた。




