15章-(4)
午前7時。薄いブルーの空と深い藍色の海が広がる港。
俺は柔らかい朝日の降る桟橋を歩き、頼まれた荷物を船に積んでいる。
船はいわずもがな、海賊エルマノスの所有する海賊船だ。
漫画やアニメだと帆にドクロマークを描いた馬鹿デカイ船、という印象だったが……桟橋から離れた場所にある彼らの船は、全長10~15メートルほどだろう。
高波に耐えられるよう高さはあるものの、大きめの漁船と大差ない。そんな印象だ。どんな船なのかちょっとだけ期待してたんだが、なんだが肩透かし食らった感じだな……
「どうだ! なかなかイカす船だろう!?」
そう声を掛けてきたのは、あの船長のコスタの隣にいたスキンヘッドの男。
彼の名前はロブ。エルマノスのキャプテン補佐をしていたらしく、立場としてはナンバー2だ……現在ではもっぱらあのコスタのお守り役みたいな感じらしいが。
スキンヘッドに真っ赤なバンダナを巻き、自信満々に笑うロブ。彼とは夜通し愚痴を一方的に聞かされた仲でもあるので、多少失礼な事を言っても問題はないだろう。
――いや、思ったよりショボいってか、小さいな……
俺がそう言うと、ロブは「わかってないな」と言わんばかりに首を振る。
「他者を圧倒するような巨大な海賊船なんてのは本や吟遊詩人の歌にしか出てこねえよ。図体のデカさなんてのは海の上じゃあ通用しねえ。取り回しが効かねえし、重量が増えりゃあ足も遅い。そもそも船ってのは一発腹に穴開けられりゃあ沈んじまうシロモンだぞ? デカい船なんてのは海の上じゃあデカい的にしかならねえのさ」
なるほど、確かに言われてみればその通りかもしれない。
ちなみに彼らの船は2隻ある。大きさよりも小回りを重視した結果だろう。
また、彼らの船にはドクロマークもないらしい。その代わり、帆には彼らの守り神の姿が描かれているのだとか。
……帆が張られた時に見たが、下半身が魚、上半身は角の生えた馬という異形の怪物が、紺色のマリーゴールドの花と一緒に描かれていた。おどろおどろしい絵柄はとても神様には見えないが、見た相手に恐怖を与えることはできそうだ。
「おう、そこに積んどいてくれ」
ロブに言われるまま荷物を置く。おそらく大麦かトウモロコシなどの穀物が入っているのだろう。巨大な麻袋が30袋。俺は30段近く重なった袋を一度地面に下ろし、10段ずつ3つに分けて設置した。
船へ積み込む係の男達が、小型ボートの上で目を丸くして見ている。なんだ? 何か置く場所とか間違ったか……?
「いや……やっぱ転生者ってすげえなってさ。その袋、1つ10キロ近くあるやつだぞ?」
ああなるほど。面倒だからまとめて運んでいたが、確かに普通ならこんな量は運べないよな……まあでも、他の転生者もこんなもんだろ?
そう言うと、ロブが腕を組みながら首を振る。
「他の奴なんて知らねえさ。転生者なんてのはそうそう拝めない。大体は6大国の首都にお勤めの連中なんでね……いや助かった。あんた一人で準備が大分はかどったぜ……いやあ、やっぱりいいなあ」
ロブはニヤニヤしながら俺の全身をためつすがめつ眺める。
――何だよ、そっちの趣味ないぞ俺は?
「俺にだってねえよ! ただまあ、転生者付きの海賊、かあ……たまらねえな、そういうの」
ロブは視線を明後日に向けながら、何やら未来の輝かしい自分たちの姿を夢想していた。
――いや、俺はあんた達の一員になるつもりないぞ。
「ああ、分かってるって! 昨日の酒が残ってただけさ……ところで、あんたは“ナインズ”なんだろ? あの、噂の大斧は持ってこないのか?」
ああ、そうか忘れていた。
このままあの斧を放置したいのはやまやまだが、そうも言ってられない。俺はしぶしぶ右手を掲げる。
すると――わずか数秒で斧は現れた。
上空から凄まじい速度で急降下。俺は素早く斧の柄を握り、いつも通り背中に背負った。
「……す、すげえな。そいつが魔剣、か……マジでナインズだったんだな……」
やっぱ信じてなかったのかよ。
俺が肩を落とすと、背後から楽しげな声。
振り返ると、古式ゆかしい海賊ルックの少女コスタと、彼女の後を追う数人の子供達の姿があった。
「おはよ。ってか船の荷積みまでしてくれたの? 悪いねぇ……ふあ……」
コスタはヨロヨロ歩きながら、気怠げに大きなあくびまでかます。
どうやら寝起きのようで、眼帯の場所が昨日とは左右逆だ。ってか、やっぱりその眼帯ただのファッションかよ。
すると、コスタの周りで騒いでいた子供達が、今度はロブ達船員の方へ掛けよってきた。
「ロブ! 帰ってきたばっかりなのにまた行っちゃうの!?」
「おうガキ共! ちょっとした用事ができちまってなあ! またしばらくは帰ってこれねえだろうが、その間はこの町を頼んだぜ!」
数人の男の子が「うん!」と明るく答えた。
……俺は今まで海賊というものに良いイメージは持っていなかった。まるでヒーローのような海賊が出てくる物語はよく見るが、実際は船を襲い何の罪もない人々の命を奪う“賊”でしかない、と。
だが彼らは少し違うようだ。この町を母港とし、堂々と船を留め、商船から奪った宝、または遙か遠くの島や大陸から手に入れた珍しい物品や書物・作物の種・文化などをこの港町へ還元していく……この町の人々からすれば、彼らはまさに物語に出てくるヒーローなのかもしれない。
子供達は無警戒で彼らに近づき、笑い合い、ロブにカンチョーをかまし、ロブに全力で追いかけ回され、ロブに捕まってケツを叩かれ、そして楽しげにまた笑い合う。
……なんだか、こっちまでつられて笑ってしまいそうになるな。
「朝っぱらからパシリに使われてよく笑ってられるわね~。信じらんない」
いつの間にかマーリカが傍らに立ち、呆れたような顔で俺を見る。彼女の背後には、眠そうな様子のセイと珍しげに周囲を見回すウェンディもいた
――タダで船に乗せてくれるんだ。多少は手伝うのがスジだろ?
「タダじゃないでしょうが。あんたの顔を貸してやるんだから……てか、夜通しオッサンの相手させられてイラついたりしないわけ?」
――正直眠いが、オッサンの話は聞いてて多少面白かったから別に。
「はー……少しは自分がどこに所属している人間なのか自覚して欲しいわホント……」
ため息を吐くマーリカ。彼女には悪いが、悪党側に所属はしていても振る舞いまで悪党に成り下がるつもりはない。
「さて……荷もあらかた積み終ったようだね。野郎共! 碇を上げて帆を下ろせ! 出航だよ!!」
コスタが高らかに宣言し、「おう!!」と船員の男達とついでに子供達が声を上げ、さらにウェンディとセイがつられて右手を空へ突き上げていた。もう馴染んでるのかよお前ら。
ともかく、俺達はコスタの乗る海賊船の旗船に乗り込むこととなった。
◆◆◆
「メシは食ったか!? 野郎共、まずは掃除だ! あたし達の守り神であり海の魔物エイヘウスカーは、まず海をナメ腐った船を沈める。そいつは甲板の掃除すらしていないみすぼらしい船のことさ! 気合い入れて磨き上げな!」
コスタが一喝すると、船員の男達は「アイアイサー、お嬢!!」と揃って声を上げる。
「だからキャプテンって呼べっつってんだろがあ!!」
コスタの怒声を浴びつつ、男達は己の持ち場について手際よく掃除をし始めた。
そんな男達をよそに、マーリカとセイは甲板の縁に腰掛け、遠くの島やらイルカのような何かやらを指さしつつ、船旅をのんびり優雅に楽しんでいるようだ。
その一方で。
「うぅ……おうえ……あの~ソウジさん、お、おトイレどこですかね? 知ってます?」
話しかけてきたのはウェンディ。口元を抑え、青白い顔をしているところを見るに……船酔いだろうか?
――いや、俺もこの船の構造はよくわかってねえんだよ。ってか、船酔いするんなら酔い止めとか持ってきたら良かったじゃねえか。あるだろこの世界にも?
「いやあ……初めて船に乗ったもので……最初はワクワクしながら乗ったんですけどお、思ったよりも揺れるんですねー……うぶぶ……」
――オイオイここで吐くなよ!?
と、そんなやりとりをしていたら、見かねたコスタが俺達に近づいてきた。
「なに? 船酔い? ……あー、女子トイレは向こうだから。連れていこうか?」
ウェンディは両手で口を押さえながら、こくこくと何度も頷く。
「……あのさ、この子もナインズなの?」
――違う。そこのヘタレは勝手についてきただけだ。
「そ、そんな冷たい言い方しなくて――オボボーッ!」
「うわあここで吐かないでよ!? トイレはすぐ近くだから、もう少し頑張りな!」
駆け足でトイレへ先導するコスタを、ウェンディはヨロヨロとゾンビのような足取りでついて行った。
……なんなんだろうな。なんであいついつも上から下から何かしらをスプラッシュしてんだろうか。貴族に近い地位だったとか言ってたが、それも疑わしいんだよな……アイツの口からしか聞いてないしなあ……
俺は首を1つ振り、栓のない思考を切り上げて俺も掃除にとりかかる。やれと言われたわけじゃないが、周りが掃除してる中でのほほんとしているのはなんとなく性に合わないからだ。
近くにあったブラシを片手に、他の男達が掃除をしていないすみっこなんかを磨いていく。
と、その時。
「オイどうした転生者! そんな事してないでこっち来いよ!」
声に振り返ると、船の後部、はしごを上がった先に、大きな木製の舵を握るロブが明るい笑みを浮かべていた。
――いや、俺もこの船に厄介になってんだから、掃除の1つでもと。
「なんだよマジメなんだな、ナインズってのは……それよりもこっち来い。俺の話し相手になってくれ」
ゆうべあんだけ愚痴を吐いておいて、まだ話し足りないのか……俺はため息を吐きつつ、ブラシを置いてはしごを登った。
「来たか」
ロブは俺に目を向けず、操舵をこなしながら遠くを見つめる。
「見てみろ。良い景色だろ? こっからの眺めは」
ロブに言われ、振り返る。
マストから伸びるロープに多少視界を遮られているが、甲板より上がった位置にあるここからは、より広く海を見渡すことができた。
澄み渡るような青空とサテン生地のような深い青色の海。2つが交わる水平線は弧を描く……この世界もきっと、球状の星の上にあるのだということがよくわかる。
背後を見れば、海を蹴立てて上がる白波がどこまでも続いていた。陽光を浴びて生き生きと風を孕む白い帆とレトロな帆船……確かにいい景色だ。元の世界に帰ったら二度とこんな光景を見ることはできないだろうな。
「……なんなら、少しだけ操舵もしてみるか?」
ロブがそう言われ、少しだけ気持ちが動いたが、流石に素人が触っていいものじゃあないだろう。丁重に断っておいた。
「なんだよ。こんな機会そうそうねえぞ?」
――そうかも知れないが、そうそう触っていいものなのか? 舵とか?
「いや、舵は船とクルーの命を預かるもんだからな。基本的に触って良いのはキャプテンと操舵手の俺、あと向こうの船にいるビーンズの奴だけだな」
――なおさらダメじゃねえか。それだけ重要なものを触らせようとするなよ。
「……まあまあ、俺が側にいりゃあ一瞬だけならいいのさ……」
ロブはやや歯切れの悪い様子でそう言った。
……ゆうべ愚痴を聞かされ続けたからか? なんか朝からやたらこの男に気に入られている感じだな……
鼻歌まじりに舵を握るロブに、俺はどこへ向かっているのか尋ねた。
「ああ……今向かっているのはテアリア峡谷だ。常に深い霧が立ちこめている厄介な場所さ」
――なぜそんな場所に?
「そこにフォルテイツァの奴らが停泊してるからだよ……もう2年近くもな」
確か海軍が攻め込む島へ行く前に、別の海賊と話し合いに行くっていう段取りだったよな。
しかし、そのフォルテイツァという海賊、確か不死の財宝を持っているとか……
「噂ではな。確かめた奴は誰もいない。確かめようとした連中は誰一人帰ってこなかったからな」
――穏やかじゃないな。
「穏やかな連中じゃあないからな。奴らは俺達とは違い、要塞みてえな馬鹿デカい船一隻だけを持つ海賊だ」
――デカいだけの船はただの的、じゃなかったのか?
「奴らは別だ。口径30センチの超長距離魔術砲を3連、先頭とケツに載せてるバケモノ船だ。奴らの船が小指大の大きさに見えるまで近づいたらもうお終い。3連砲台の餌食になっちまう……だから奴らは“小指大の死神”なんて名前で呼ばれてんのさ」
なるほど……的になるどころかこっちが先に的にされる。近づくことすらできない、と。
しかし、そんな危険極まる連中の船にノコノコ近づいて大丈夫か?
俺がそう訊くと、ロブはしばらく舵に手を置き、思い詰めた顔で遠くを見る。
「……できればお近づきになりたくない連中だ。だがなあ……お嬢の奴が聞かねえのさ。あの子は一度言ったら周りが何言おうと絶対に曲げねえ。昔からなあ……」
単にワガママ言ってるだけなら無視してもいいと思うのだが……そういう手段に出られない理由でもあるのか? キャプテンの娘だから、という理由で付き合っているようにも思えない。
そこで聞いてみた――彼女はなぜそこまでして他の海賊との交渉にこだわるのか、と。
ロブは、大きくため息を吐き、そして口を開いた。
「情けねえ話だが……お嬢がここまで躍起になるのは、俺達のせいなんだ」




