15章-(1)
ウェンディや“伯爵”との一悶着を終えた、3日目の朝。
起床し身支度を整えていると、
「おっはよ、ソウジ」
マーリカの声。振り返りおざなりに挨拶を返すと、彼女は半笑いで鼻をつまみながら一言。
「……クッサ」
――うっせえ。俺のせいじゃねえ……
うんざりしながらそう言った。どうも最近、俺の体から尿のような悪臭が漂っているらしい。
理屈は不明だが原因はハッキリしている。あのヘタレ人狼のウェンディが俺の精神世界内で粗相をかましやがったからだ。
変な趣味に目覚めたりしなかったのは不幸中の幸いだが……ふとした瞬間にやんわり香る尿臭はガチめにストレスの元だ。
なので元凶のウェンディへ力強い恫喝と粘り強い脅迫を繰り返し、半泣き状態の彼女に一昨日ようやく精神世界を開かせることに成功した。
ヤツが漏らした液を拭き取るため、いくつかの布きれとバケツ代わりの鍋を持参した。水を貯めた鍋を使って水拭き・から拭きを繰り返す。布が汚れたら現実世界で洗いまた戻って拭く。これの繰り返しだ。
もちろん拭く作業は全てウェンディにさせたが。地味にしんどい&自分の境遇のみじめさに泣きながら拭いていたな。泣きたいのはこっちの方だが。
あと、あの“伯爵”の所からすでに漏らしていたらしく、警戒しながら奴のいた場所まで舞い戻った。掃除用具を手に再び現れた俺達を見て、伯爵が悲しいような虚しいような視線を無言で向けてきたのが一番辛かったな。なんか。
入念に清掃したかいもあり、1日目に比べればだいぶ臭いも取れてきた。
まあ、それでもたまにほんのり香るが。体を洗い終わってもほんのり尿臭。メシを食っている最中にふんわり尿臭。何このバッドステータス。ストレスで死ぬ呪いか何か?
……ちなみにこの臭いはこの後1週間近く完全に取れることはなかった。勘弁しろよマジで。
朝メシをマーリカとセイ、ついでにウェンディと共に食べ、旅支度を調えた後、俺達は再び森の中を歩む。
「…………」
歩きながら、セイが不満げな顔で俺を見る。
もう何日も大自然の中だからな。ろくに風呂も入れず毎日のように冷たい土の葉っぱの上で眠る生活にうんざりしてきているようだ。
近くには小さな村もあった。行こうと思えば立ち寄ることもできたが、それに異を唱えたのがあのウェンディだ。
『ああダメダメ! この近くの村には確か転生者がいたはずだよっ!』
話を聞くと、どうやら辺境の村に居着いている錬金術師の転生者がいるらしい。
ここに転生している奴ってのは必ずチート能力を授けられるから、その力で冒険なり何なりしている奴ばかりかと思っていたが、小さい集落や人里離れた場所でスローライフを楽しんでいる奴も少なからずいるらしい。
だが、破格の能力を持つ転生者を自由にさせるほど六大国の連中は愚かではない。六大国から離れた奴やこの世界の動乱に非協力的な転生者にも監視をつけている。
“偶然”盗賊や魔獣に襲われ、そこを“偶然”通りかかった転生者に助けられ、そのまま転生者と行動を共にする美女。
あるいは“偶然”奴隷売買のマーケットで転生者の目に留まる、美しい奴隷少女。
女性の転生者なら、“偶然”通りかかった貴族の色男が彼女の強さ、美しさに心を奪われ行動を共にする、などなど。
……転生者が初めに出会い行動を共にする者は、その多くが六大国側の用意した間者だ。転生者達の行動を監視し報告し、時には六大国側にとって都合の良いように扇動させる。
ある時は街に近い場所に現れた強大な魔獣や大規模な盗賊団の殲滅。ある時は資源を巡り争っている魔人の集落の陥落。ある時は六大国と決別し敵対関係になった転生者の始末……嘘を操り、必要とあらば肉体関係を結び、ていの良い操り人形とするわけだ。
不愉快な話ではある。こちらの親切心や情につけ込み、この世界と全く関係のない俺達を勝手に戦の道具に仕立て上げ、使えないと分かれば同じ世界の俺達同士で殺し合わせる……こんな横暴を許しておけるはずがない。
できればそういう転生者達に真実を打ち明け、一人でもそういう奴の目を覚まさせたいと思ったが。
『む、無理だよ! 人心の掌握は間者の得意技だよ? キミが他の転生者と出くわした時点で戦うように仕向けてくるって!!』
お前の精神に潜る力でなんとかならんのか? と訊いたが、ウェンディは首を振る。出来ないこともないが、それはその者の精神を変異させるも同義。もし行えば、その転生者は二度と元の人格・精神に戻すことはできなくなる……
『……んーと、わたし的にはやっていいなら別に構わないんだけど……』
ダメに決まってんだろ。
『ですよねー』
……とまあ、つまりは安全に旅をするために転生者のいる村には立ち寄らず、あえて低山を登り沢を越え、たまに襲ってくる魔獣を返り討ちにしつつひたすら森を進んでいたわけだ。
きちんと休息も食事もとっているが、それでも毎日森の中で歩きづめというのはしんどいもんだ。
特にこの中で一番体力のないセイは顕著で、まるでデスマーチでもさせられているかのような疲労を滲ませている。
早いところ次の目的地に着かないとな……と考えていた、その時。
「おおー、見えた見えた!」
俺達の先を歩いていたウェンディが、遠くを眺めて何やら大はしゃぎしている。
彼女の方へ向かうと――切り立った崖。その向こうに、茫洋と広がる海と大きな港町が見えた。
……あれが現在の俺達の目的地だ。あの町から船を借り、ジレドの軍が狙っているとされている島へと向かうことになる。
軍と衝突するとなれば、いよいよ六大国と正面から敵対することになる。緊張により腹に重いものがのしかかってきたが、今は陽が沈む前にあの町に辿り付くことが先だな。
「なかなか深い崖だけど……あたしとアンタなら降りられないこともない。このまま直進しましょうか?」
傍らのマーリカがニヤリと笑う。
――そうだな。お前は氷で足場を作れるし、俺の方もなんとかなる。セイの奴は俺がおぶって行けば問題ないし。
俺がマーリカの案に同意すると、露骨にうろたえる奴がいた。ウェンディだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ? わたしは? ねえわたしは? 誰がおぶってくれるの?」
――付いて来れないならこのままお前とはお別れだぞ?
「やだよおお! 連れてってよおぉぉっ!! こ、このまま帰ったら間違いなくクビだし、ギュスペルク公の機嫌次第じゃ殺されちゃうんだってばぁぁっ!」
ウェンディは半泣きのまま俺の体にすがりついてきた。
密着されることで密着されることで胸の感触が伝わりドキリとしたが、そんな挙動を見せればこの女は必ずウザく調子に乗ってくるので、俺は必死にポーカーフェイスを作る。
――帰れないならジレドの連中に見つからないとこまで逃げればいいだろ? 何で俺達に付いてくるんだよ。敵側だろお前は?
「わたし一人が逃げられるほど相手は甘くないんだってば! き、君達ってばすっごい強いから君達に鞍替えすれば長生きできそうだな~って……」
「なるほどね。で、事情は分かったから仲間になりましょう、とか言うとでも?」
「わたし一人くらい居てもいいじゃないですかー! なにとぞ大目に! 大目に見てくださいマーリカ様!! 雑用でもなんでもしますからぁ! ……あ、でも二重スパイになって敵側探ってこいとかそういう危ない役はナシの方向で。安全でできれば楽ちんな雑用おねがいしますねフヘヘっ」
ウェンディはニチャッとした笑顔を浮かべながら全力でマーリカにこびを売る。うわあ、ウザそうだな、あれ。
「……離れる気がないなら、ここでアンタの首と胴を切り離してやってもいいんだけど?」
殺気を込めた目で睨まれ、ウェンディが小さい悲鳴を上げて縮こまった。
――おい、そんなに脅かさなくてもいいんじゃないか?
「……は? こいつ敵側が差し向けた刺客よ? アンタこいつがこんな調子だから情にほだされてんじゃないの? お人好しムーブもその辺にしときなさいよ?」
――コイツ一人くらいどうってことないだろ? 裏切ったならその時に始末すりゃあいい。役に立ちそうな能力もあるんだ。しばらく仲間として扱ってもいいんじゃないか?
俺がそう言うと、ウェンディは両手を組んでウルウルした瞳で俺を見つめてきた。
「嗚呼、ソウジ様っ……! このご恩は一生忘れませんです! そしてできれば危険からわたしを守って全力でわたしを甘やかしてくれるともっと恩義を感じる所存でございます……!」
いや、甘えんな。
「……あのさ、敵味方はおいといて、常時こんな奴と一緒にいるのマジで無理なんだけど?」
――いや。まあ同意なんだが、それでも放っておくのは流石に……
マーリカの視線に耐えかね、目を逸らすと――セイがてててっ、と俺の側を駆け抜け、ウェンディに何かをせがむように彼女の服をひっぱる。
「うん? ああ、町が見たいの? オッケー」
ウェンディはごく自然にセイの意図を理解し、セイを肩車してやっていた。
本人に訊くと、どうやらウェンディは相手の表層の考えや感情を読み取ることもできるらしい。なるほど、ウェンディを通訳とすれば、これまで意思の疎通が困難だったセイとのコミュニケーションもしやすくなりそうだな。
「っ!!」
町が見えたことで、終始疲れた表情だったセイが、ぱあっと明るい表情を見せる。
ウェンディの肩の上ではしゃぐセイを見て、俺とマーリカは肩を落として小さく笑う。
……とかやっている間に。
「うはははっ! 巫女ちゃんゲットおおっ!! これで大手を振ってジレドに帰れるううっ!!」
ウェンディは突如、セイを肩車したまま町とは逆方向へ疾走しだした!
――あ、おいコラっ!!
「ごめんよソウジ! 君の気持ちに応えられないわたしは罪な女! でもこれは仕方ないんだ! これが二人の運命っ! わたし達はこうなる宿命だったのさ!!」
……何をわけのわからんことを……
「だーっ!! またまんまと騙されてんじゃないの!! さっさととっ捕まえるわよソウジ!」
――あ、いや大丈夫だ。
「さーて! 褒美をもらったら何しよっかな! 美味しいもん食べてー。で、洋服もチェックしてたやつ全部買ってー……フヘヘヘっ!! 今から笑いが止まんない――」
その瞬間。
「アバババババババーっっ!?」
ウェンディは突如、全身から光が発せられるほどの激烈な電撃を食らった!
電撃を見舞ったのは、セイ。彼女の持つスペルソードは激烈な電撃魔法を放つことができるのだ。
「な……なじぇ……」
耳と鼻と口から煙のようなものを吐きながら、ウェンディはドサリと倒れて気絶。アホが浅い考えで行動するからこうなるんだアホめ。
事の顛末を見届けたマーリカが、深いため息を1つ。
「はー……じゃあ、あたしがセイをおぶっていくから、アンタはそこのアホを担いでついて来なさい……アンタが仲間にするって言ったんだから、アンタが面倒みなさいよね」
マーリカはそう言い、セイを背負うとさっさと崖へとダイブしていった。
……面倒を見る? え? 俺が? 俺一人で? こいつの?
俺はこれから襲ってくるであろう数々のストレスを予想し、キリキリと痛む胃に顔をしかめながらウェンディを担いだ。
……やっぱ仲間にするなんて言うんじゃなかった。そんな後悔を振り払うように、自らも崖を駆け下りた。




