14章-(7)
ウェンディの一族は特殊な魔法を使う。
他者の精神を読み取り、精神と連動する仮想世界の構築および操作。彼女が今いる世界はシダ・ソウジの精神を反映させ彼女が作り上げたものだ。
彼女の一族は、他者の表層意識を読み取り、隠れ潜む罪人の居場所を見つけ出せる能力を持つ。それに加え、罪人の精神を破壊しまるで魂が抜けたかのように従順にさせることもできる……あたかも、神の赦しを受け改心したように。
「彼らは罪人の罪を食らい正しき道へ導くため、神が遣わした存在だ」と当時まだ子爵であった先々代ギュスペルク当主が語ったことが“罪食いの黒狼”の起源である。また、神が遣わした一族と認めたことにより、魔人として差別される対象から畏れつつも尊敬される立場となっていった。
この恩から彼ら一族はギュスペルク家に仕えるようになり、またギュスペルク家は彼らの特殊な能力を利用。そして謀略と謀殺の果てに、ジレドの国土を支配する地位にまで上り詰めたのだ。
ウェンディら一族の仕事はギュスペルク公の邪魔となる存在の捜索および排除。今回はそれに加え、巫女の保護も仰せつかっている。
巫女の存在は今後の世界の命運をも握るとされている。絶対に失敗は許されない。
慎重に事を運びたい所ではあるが……ウェンディにはあまり時間がない。原因はこの魔法の副作用にある。
使い手の力量や生贄にもよるが、魔法には大なり小なりの代償、副作用が現れる。
ウェンディの魔法の代償は空間認識力の低下。この魔法を使い続けると次第に周囲の物体の形状や距離感が分かりづらくなり、最終的には己の作った空間から死ぬまで逃げ出せなくなってしまうのだ。
精神世界を操ることができても、現実との接合点である出口自体を操作したり動かしたりすることはできない……そして、彼女がこの魔法を連続使用できるリミットは120分。
2時間以内にこの男の精神を砕き、わたしに従順になるよう再構成させねば……ウェンディは慎重な面持ちで入り組んだ螺旋階段を降りる。
カツリ。カツリ。
足音だけが響く。周囲は息が詰まりそうになるほどの暗い闇。
対照的に螺旋階段の周囲には、鮮やかな青い鉄扉がいくつも設置されている。
……これまで幾多の罪人の心にダイブしたウェンディであったが、この光景は異常であった。
ドス黒い霧に覆われたかのような不気味な世界もさることながら、このいくつも連なる青い扉……
これらの扉はダイブをした者の記憶に繋がっている。扉の色はその記憶を刻まれた当時の感情を表していた。
大まかに言うと、怒りや恐怖、悲しみといった強い感情は赤。楽しい記憶や希望を現す感情は黄色。青は特に精神を昂ぶらせていない、平時の記憶を現している。
……異常なのは青い扉の数であった。どんな人間でも赤や黄色の扉はそれなりにある。なんらかの罪を犯したものであれば、赤の比率はより多くなるのが通例だ。
だがこの男の場合、そのほとんどが青い扉……これが意味しているのは、この男はこれまでの人生で強い怒りや大きな喜び、深い悲しみといった感情をほとんど抱いてこなかったということだ。
……どれだけ平穏な生活をしてきたとしても、人間ならば怒りや悲しみといった感情を必ず抱くものだ。この男は一体……
また、異様なのが扉に書かれた赤文字。シアル語と、よくわからない転生者の世界の言語が入り交じり、「殺した」「俺の罪」「絶対に忘れるな」などの一文が書き殴られている。
……まるで、冷たく無感情な自分自身の心へ必死に罪の感情を思い込ませるように。赤い文字からは強い感情を感じ取れるが、彼の根本的な精神は恐ろしいほど青く冷え切っていた。
「まずいな……」
ウェンディは小さく独り言ちた。青い扉だらけの状況。これでは彼の精神を破壊するのは難しい。
心を破壊するには、赤い扉を全て開ける必要がある。扉を開けるとその感情を抱いた時の強烈な感情が呼び覚まされる。全ての扉を開ければ――強烈な負荷により精神がパンクし、相手を抜け殻同然の状態とすることができるのだ。
しかしここはほぼ全てが青い扉。開けたとしても精神に負荷はほとんど与えられない。全て開けていけばそれなりの負荷は与えられようが、2時間というリミット内でそれを行うのは無謀だ。この恐ろしい数の扉を全て開け、なおかつ出口まで戻ることなど不可能に近い。
だから赤の扉のみを開けていく必要があるのに……なんなんだこの男の精神は……本当に人間なのか……?
ウェンディは改めてシダ・ソウジの異常性を感じ、背筋が寒くなる。
「……これは」
ひゅうひゅうと空虚な風の音が響く常闇の螺旋階段を降り続けていた時、不意に赤い扉がひとつ、現れた。
鮮烈な赤い扉には、シミのような赤黒い文字が書かれている。
「ミ」「ズ」「キ」と書かれた単語……人の名前だろうか?
「ようやく一つ目か……」
ウェンディは赤い扉を開く。扉の先を見れば名を刻まれた相手にまつわる過去を見れるだろう。だが、ウェンディの目的はシダ・ソウジの過去を知る事ではない。
扉の記憶を見ることなく、ウェンディは次の赤い扉を探し、螺旋階段を降り続ける。
すると、ウェンディは今までにない変化を見る。
ズズ……
黒い霧が周囲の風の動きに逆らうかのように、流速を早めて周囲を蠢き回る……どうやらあの赤い扉を開いたことで彼の精神に大きな負荷を与えられたようだ。
なるほど……赤い扉の数は少ないが、その分一つ一つの扉の記憶は彼にとって非常に重いようだ。この分なら、あと2、3枚開けばこの男の精神をパンクさせることができるだろう。
なんだ、思ったより楽な仕事じゃないか……浮かれた様子で階段を降りるウェンディであったが、その後はどれだけ階段を降りても一向に赤い扉は現れなかった。
「見落としはなかった……これほど深く潜ってもまだ赤い扉が現れないとはな……」
螺旋階段を降り続け、そろそろ60分は経とうかという状況。だというのに赤い扉はあれきり現れることはなかった。
降り続けたことでしだいに扉の形に変化が現れる。横幅が大きくなったり、縦に細長くなったり、1/2のサイズになったり……心の発達が未熟な時期の記憶だろう。
ウェンディは経験則から、シダ・ソウジの6~7歳頃の記憶に潜っていることを理解した。
……ここまで赤い扉は1つだけ。怒りや悲しみの赤い扉、喜びの黄色の扉もなく、淡々と青い扉のみ……本当に、どういう精神状態で人生を送ってきたんだ、この男……
と、唐突に。
螺旋階段の側に設えられていた扉が、急に途切れてしまった。
一体どういうことだ?
まだ6、7歳くらいの記憶エリアのはず。一般的に物心が付くのはだいたい3~5歳くらいだ。扉が続いていてもおかしくないはずなのに……なぜ急に途切れたのか?
物心が付くのが遅かった? だとしても6~7歳というのはいささか遅すぎるような……
思案しながら暗闇の螺旋階段を降り続ける。
と。
突如として、ウェンディの目に厳めしい黒い扉が現れた。
「なんだこれは……」
愕然とする。深度としては3歳くらいのエリアだろうが、そのエリアでこんなきちんとした形状の扉というのはありえない。
物心がつくかつかないかの状態だと、扉の形は自由なものとなる。それは窓であったり、大好きなオモチャやぬいぐるみの形をしていたりと千差万別だ。
故にありえないのだ。これほどしっかりした扉の形。少なくとも12歳以降のエリアでなければ現れないはず。
最も異様なのは、色が“黒”ということだ。こんな色の扉は今まで一度も見たことがない。
一体この扉にはどんな記憶が……
恐る恐るノブをひねる、が、びくともしない。
鍵が掛かっている? 馬鹿な……この精神世界を支配しているわたしですら開けないなんて……
ウェンディは戸惑いつつも、扉の下部にあった郵便受けを押し開け、扉の内部を伺う。
見えたのは――おそらくソウジ本人と思われる3歳くらいの子供。そして台所に立つのは……母親とおぼしき若い女性であった。




