11章-(8)決着
「ぅああああああぁああ!!」
悲鳴。激痛と腕を失ったショックが、終始冷たい表情をしていたあの女にみっともないほどの感情を発露させる。
普通であれば少女の凄惨な悲鳴など耳を塞ぎたくなるほどの悲痛と嫌悪を感じるはずだ。だが俺は奴の悲鳴を聞き、胸が高鳴るほどの高揚感を覚えていた。
獲物にくれてやった確かな手応え。致命傷を与えられなかったのは残念だが、それはこれから刺してやればよい。いよいよだ。気が昂ぶる。斧を持つ手に一層力がこもる。獲物だ。あれは俺だけの獲物だ……!
「なんで……どうして……なんで腕、が……!?」
少女が愕然とした表情を浮かべる。どうやら気づいたようだ。
「これは……わたしの糸!? なんで――?!」
少女の瞳が、己の背後の木に結ばれた鋼線と、そこから一直線に伸びる俺の斧の鋼線を見た。
「わたしの切った糸を拾って結びつけた!? 回避すると見せかけて鋼線で攻撃を……待って、まさかあの血の霧は!? この鋼線をわたしの目から隠すため!? 最初から全てこの一撃のために……!?」
ご丁寧な解説痛み入るな。悪役の素質あるぞ、あいつ。
……奴の解説の通りだ。先の戦闘中、奴は攻撃に失敗すると、不要になった鋼線はスキルで切って地面にそのまま放置する。その鋼線を一本失敬し、上着のポケットに忍ばせていた。
血の霧については奴の言う通りだが、付け加えるならば幻影でない実体の木を見極めるためでもある。俺が奴の攻撃を躱し続け、挑発し続ければいずれは広範囲に及ぶ全力攻撃に打って出る。それは予想済みだった。
恐らくその攻撃は奴の視界に移る範囲に限定される……感情に任せた攻撃は往々にして視野が狭くなるものだ。どんな攻撃をするかまでは予想できなかったが、確実なのは1つ。奴の視界から完全に外れた、背後の木には攻撃は及ばないということ。
全てはこの一撃のため。派手に森の中をかけずり回ったのも、時間操作により一瞬で背後の木に回り込み、怪しまれずに鋼線を結びつけるためであった。
「そんな! そんな!! あり得ない、あり得ない!! たったレベル17の奴が、このわたしにこんなダメージを……!?」
瞬間、少女の動きが止まった。
例の、スマホのフリップ操作のような動きをした。その瞬間、腕の痛みすら忘れたかのように驚愕に目を見開いていた。
「れ、レベル……83!? な、なんで!? さっきまで確かにレベル17だったはず!! おかしい、あり得ない!!」
なんだ? 俺の事を言ってるのか?
「何が、一体何が起きて――!?」
問いかける間もなく、少女のフリップ操作する指が、止まる。
「何、この、クラス……あいつのクラスはウォーリアだったはずなのに……〈“di”molitioner〉 ……?! 何これ? こんなクラス聞いたことが……何で!? 何でクラスの開示ができないの!? 『あなたには情報を開示する権限がない』……なにそれ? 何なのこれ!? レベル94のわたしでも見れない情報なんて……?!」
ようやく、少女の目が俺に焦点を合わせた。
「ひ……」
瞳孔ががやや広がり、青白い顔で浅い息を繰り返す……怯えているようだ。
その感情を読み取った瞬間、俺の胸の内で抑えきれないほどの強烈な殺意が湧き上がる。
殺せる。
『……殺せ……』
こいつは殺せる。
『……殺せ。殺せ……』
殺す理由がある。
『殺せ』
殺す気で俺を襲ってきた。見逃せばいつか必ず俺の命を奪いにやってくる。
『殺せ!』
俺には目的がある。ここで殺される訳にはいかない。
『殺せ!!』
……殺されるぐらいならば。
『殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!』
殺す!!
『殺せ!!』
俺は両足をゆっくりと肩幅まで広げ、重心をしっかりと固定。
斧を両手で握り、頭上の月を刺すように、大上段に振りかぶる。
「やだ……嫌だ! シズキ……!!」
弓弦を引くように。限界まで斧を持ち上げ、そして全身の筋肉を総動員し振り下ろす。
肉塊1つ残さず粉砕するつもりで放った。全力の一撃。
だが。
少女に振り下ろした瞬間――彼女を守るように立ちはだかった男に、俺の斧が易々と受け止められた。
しかも、獲物は10センチそこらの小刀だ。
こいつは……こいつも転生者か……!?
「勝負はついた。ここまでだ」
ギイン!
男は肩を落とし、重量を乗せた俺の斧を小刀で軽々といなしてみせた。
こいつ、一体――
「シヅキ!!」
少女が希望に満ちた顔で、目の前の男の名を呼んだ。
「……酷いやられようだな。“ヒールタブ”を飲んで腕をつけろ。早くしないと付きづらくなる」
男――シヅキはジャケットから小瓶を取り出し、緑色の小さな錠剤を少女に投げてよこした。
少女はそれを口に含み、かみ砕きながら落ちていた右腕を傷口にあてがった。
すると――俺の目の前で、あり得ないことが起こる。
少女の体の輪郭が緑色の燐光を放つ。同時に彼女の周囲に蛍のような緑色の光が飛び交うと――みるみる間に、切り落とされた右腕の肉が癒着し、元通りに治癒してしまった。
……なんだ今の? まるで、RPGに出てくる回復魔法でも使ったかのように……
「ヒールタブ。見たとおり、体のダメージを瞬時に回復させるアイテムだ」
小瓶をジャケットにしまい、シヅキが俺へと向き直る。
クセのあるダークブラウンの髪に、冷徹そのものの切れ長の瞳。紺のジャケットの下に灰色のパーカーを身につける男は、20代前半の大学生くらいの年に見えた。
「……驚いたよ。感情によってレベルが上下することは知っていたが、これほど急激な上昇率を見せた例はかつてないだろう。凄まじい……が、限定条件下というのは大きな懸念でもある。チート、というよりは“ピーキー”というべきか……」
――その女の仲間か? 何の目的で俺を殺そうとした? 言え。
「そのくらいにしておけ、ソウジ」
声。振り返ると――夜の森の闇から、ラスティナが冷たい笑みを浮かべながら現れる。
――何が目的だ。この茶番の理由はなんだ? 答えろ。
「茶番とは失敬な。これは厳正な協定を結ぶため、交渉のための厳粛たる検証だよ」
――くだらねえ言葉遊びしてんなよ。何のつもりで俺をあの女と戦わせた?
「彼と、手を組もうと思ってな」
ラスティナが促すと、シヅキがゆっくりと頭を垂れ、礼をして見せた。
「アクベ・シヅキ……この世界から元の世界への帰還を目指す転生者達の組織。彼はその組織のリーダーだ」




