11章-(6)幻影
「……魔法使うんじゃないの? 不発? 信じられない。自分の魔法すら満足に使えないとか」
ため息と共に、敵の少女は指の鋼線を大胆に振るう。
「もういいよ。鬱陶しい。消えろ」
周囲の木々が一斉にざわめき。
同時に。
鋼線が俺の周囲360度、いや頭上すら含め隙間なく半球状に織られ、中心の俺へと向かい収縮しようとしている。
絶対致死の攻撃。だが……俺の心は落ち着いていた。
何も恐れるものはない。奴は大きな間違いを犯した。
俺に攻撃を視認させ、認識させる“時間”を与えてしまったのだ。
時間を支配する俺に“時間”を与えるなど愚の骨頂。
コンマ1秒に満たない一刹那だったとしても……“時間”さえあれば俺にとって十分過ぎる。
そいつを今から“証明”する!
――時間操作、加速。
魔法を発動。閉じようとする鋼線の籠の間近まで一瞬にして移動し、加速を解除。
同時に斧の柄を鋼線どうしの隙間にねじ込み、斧を回転させるように鋼線の隙間を広げ、まんまと抜け出すことに成功した。
鋼線はピンと絞った状態でなければ効力を発揮しない。閉じかけのゆるい状態の鋼線ならば腕力で簡単に隙間を広げられるのだ。
逃げられぬなら近づけば良し。あの城でヒゲ甲冑のダンウォードから言われたことをふと思い出した。
「……まぐれで避けたからって図に乗るな」
背後の鋼線の籠がひとりでに千切れると同時に、左足首、右脇腹、左首筋、脳天の4個所へ目掛けて素早く鋼線が飛ぶ。
俺は迷いなく、恐れなく、魔法を発動。加速により一瞬で全ての攻撃を回避した。
体力の消耗は一切無い。呼吸の乱れ1つ、汗一粒すら流さずに、俺は加速魔法を使い続けた。
俺の魔法の根源はあくまで速度エネルギーの操作。世界全体に干渉する絶対時間に触れるものではない。
故に「時間を早めることでの肉体的負荷」やら「空気抵抗」やら「摩擦」やらの影響を受けることはない。
魔法により100メートルを0秒で移動しただけだ。世界の法則は関係ない。これが俺の魔法の“ルール”だからだ!
「この……調子に……!」
次々と鋼線を繰り出す少女。
だが当たらん。手の動き。視線の流れ。周囲の音……斧の視界すら借りる必要もない。奴の攻撃の波は“機先”で完全に見切った。
もう、魔法すら使う必要は無いな。
「食らえっ!」
少女が鋼線を振るう動きを見越し、俺は鋼線を思い切り踏みつけた。
「なっ!?」
鋼線の動きが封じられ、周囲の仕掛けも不発。鋼線による攻撃も止まった。
俺は敵の少女に見せつけるように、平然とした態度と表情で肩をすくめて見せた。
――ワンパターンだな。底の浅い攻撃だ。左手で周囲に鋼線を張り巡らせ、仕掛けを張り、右手で引いて切り刻む……フェイントもクソもねえ、単純極まる攻撃方法だ。見飽きちまったよ。もう魔法すら必要ない。
「……あんた」
――死ぬまで踊れとかほざいてたよな? 踊らせてみせろよ。いつまでもこの眠たいオモチャで遊んでねえで、本気でかかってこい。
「…………」
――まさかさっきので全力か? 呆れたな。なんだ、イキリ雑魚ってのはお前の自己紹介だったのか?
「……いいよ。全力、見せてあげる。全力で殺す……!」
怒りの感情を剥き出しにし、少女の足下で真っ白に発光する魔方陣が展開した。
こちらの思惑通りだ。挑発に乗り奥の手の魔法を使ってくるつもりなのだろう。魔法は使い手の精神状態で精度が大きく変わる。冷静な状態で使われるより幾分か威力は落ちているはずだ。
だが……それでも奴はチート転生者。威力がどれだけ落ちようと、使う術は俺にとって一撃死に等しい威力となっているだろう。
ここからが本番だ。奴の全力の術をしのぎ切り、「この程度か。話にならん」と余裕しゃくしゃくの表情でハッタリをかまし、俺を自身よりも強い者と思い込ませる必要がある。
対転生者戦の一番のネックはこれだ。敵の心を折るには、敵に一度フルパワーの攻撃を出させなければならない。全力の攻撃が通らなかった時、誰もが心を完全にへし折られるのだ。
俺がダメージを負うのはもちろん、少しでも怯めば転生者の心を折るハッタリはたちまち効果を失ってしまう……悪役ってのはしんどいもんだな、全く。
いや、愚痴ってる場合じゃない。まさに正念場。奴がこれから繰り出す攻撃に集中する……どこから来る? どんな術を使う? どれくらいの速さでどれだけの規模の術を使う?
見逃すな。奴は今術を使った。少しの変化も見逃すな。
少女が動く。左手の指を空中の鍵盤を叩くかのように滑らかに動かし、右手を握って力強く引いた。
先ほどと同じく、首・胴・足下を狙った三方向からの鋼線による攻撃。
なんだ? 魔法使ったんじゃねえのか? これから発動させるつもりか? なぜ今さらこんな工夫もない攻撃を……
疑問を抱きつつも、俺は足下の攻撃を跳んでかわし、胴と首への攻撃を斧で防ごうとした。
だがその時。
鋼線が斧に触れる刹那――鋼線が斧を通り抜け、同時に俺の首と胴を透過していった……
――な……!?
鋼線が通り抜けた首や胴に異変はない。痛みはなく、かすり傷1つ負ってはいないようだ。
今のは……見間違いではない。錯視。幻影。先ほどの魔法か? 魔法によるフェイント?
今のがブラフだとすれば――ここに居るのはマズい!
時間加速。瞬時に前方へ跳び――幾重にも張られた鋼線に気づき、とっさに右へ跳ぶ!
安全圏に脱し魔法を解くと――俺がさきほどいた場所に、鋼線が10本近く飛び幾重にも絡みついている所が見えた。
やはりか……これが奴の魔法。さしずめ“幻影使い”といったところか。
「……どうしたの? さっきとは違って慌てて避けてたみたいだけど?」
――幻術。幻影。タネが分かってしまえばどうということもない。小手先の武器に小手先の魔法か。まさしくお遊戯だな。
「そんな状態でよくそんなこと言えるね。胴体がほとんど千切れかけてるのに」
――お……!?
俺は自分の腹を見て愕然とした。
どこからか現れた鋼線が、俺の胴を左斜め後ろから斬り裂き、血に濡れた鋼線がヘソの右上から右脇腹に生えていた。
同時におびただしい血が噴き出し、痛みと生暖かい血が足下に流れる感覚を覚え、意識がくらりと遠のきかける。
これは……一体どこから……敵は幻影使い。鋼線の存在を隠していた? こんな所で俺は……死……
いや待て! 冷静になれ! これほどまで体が斬られていて、なぜ俺は立っている!?
下半身の脊椎の神経が完全に断たれている状態で、なぜ普段と同じように立てている!? これは――そうか、これが幻影なのだ!!
俺は即座に時間魔法を発動! 加速によりさらに背後へと跳んだ!!
――ぐあっ!
腹への激痛。完全に胴体が真っ二つに斬り裂かれた。血がしぶき、己の腸の一部らしきものまで見えたが――俺の足はいつも通り動いた!
俺の目の前でぐしゃりと倒れる俺の下半身。俺は背後へ跳んだ後――失ったはずの両足で、力強くブレーキングした。
予想通り、俺の居た場所へ無数の鋼線が通過した。改めて自分の体を見る……両足は変わらず俺の真下にある。腹部には一切の傷はなく、そして先ほど千切れたはずの俺の下半身は煙のように一瞬でかき消えてしまっていた。
やはり幻覚。だが先ほどの痛みや血の感触……あまりにも生々しい幻覚によって、幻覚の痛みや感覚を“錯覚”したのか……?
人は強い思い込みでありもしない痛みや感覚を味わう。腕や足を失ったものがたびたび無いはずの腕や足の痛みを訴える幻肢痛……手首に垂らされた水滴を自身の血だと信じ込まされ、外傷が何一つないのに命を落とした死刑囚の話など、枚挙にいとまがない。
……まさかハッタリかまそうとしていた俺が、逆にハッタリをかまされるとはな。下らないジョークのようだが、笑える状況じゃない。
こちらの五感の一部を支配する能力者……こういう奴とは初めて戦うが、どう対処する?
幻影によるフェイントを使う以上、先ほどのように見て避けることは困難。
敵の攻撃と同時に5・6メートル以上離れるか? あるいは加速で一気に敵を叩くか……いやいずれも危険だ。
先ほど奴に向かうように前方へ回避したとき、月明かりに照らされたおびただしい数の鋼線が奴の周囲に張られているのを見た。うかつに飛び込めば、俺の体はゆで卵スライサーのように輪切りにされるだろう。
幻覚魔術を組み合わせた鋼線の攻撃……厄介だな。チート能力者の名は伊達じゃあねえか。
「大丈夫? まるで悪夢でも見てるみたいな顔してるけど?」
くくく、と意趣返しの歓喜に歪んだ笑みを浮かべる少女。
俺はそれでも余裕の笑みを浮かべてやった。
――今のが悪夢だと? 笑わせるなよ。俺の味わってきた悪夢はあんなもんじゃ済まねえんだよ……!
俺のハッタリはまだ有効だ。例え血反吐を吐いたとしても笑ってやる。あいつが恐れおののくまで余裕の笑みを浮かべてやる。勝利への執念。執念深く、どんなチャンスも自分のものにしてみせる……!
俺は奴に見えないように、上着のポケットの中のあるものの所在を確認した。よし。ちゃんとポケットの中に入ってるな。
きっとこれは奴を倒すための決め手となるだろう。こいつを使うには一旦ここから離れる必要があるが……
その瞬間、斧からの最適なアタックプランが脳裏に浮かび上がる。
フン……随分と協力的だな。一体何を狙っているんだ? この斧は油断ならない。
だが今は……奴を倒すことが先か。
俺は斧を構え直し、行動に移る!




