10章-(1)セイを追って
油断していたのかもしれない。
あまりに突然のことだった。
動けたはずなのに。あの時もっと冷静に判断していれば。
……どれだけ後悔しようと事態は変わらない。
俺は腹の奥底から、あらん限りの声を絞り出し、あの子の名を呼ぶ。
――セイぃっっ!!
セイは河の濁流にもまれ、それでも必死に丸太に刺した剣にしがみつき、幾多の材木と土砂と一緒に押し流されていく。
……なぜこんな状況に陥ったのか。
そのきっかけは、約1時間前まで遡る。
俺達はあのゾンビ達に滅ぼされた村からの唯一の生存者、シャムナさんを連れ、比較的近くにあった魔人達の村へと立ち寄った。
その村の周囲には良質な材木となる木が多く生えているらしく、村の住人は他の魔人達の集落や、時に一般の人間の商人とも取引をし、生計を立てていた。
俺達がたどり着くと、ちょうど材木を売りに出す所だったらしい。売り物の材木を簡単に組み、即席のいかだにして河を下ろうとしていた。
『寄り道した分距離稼ぎたいし、移動手段としてちょうどいいじゃん』というマーリカの提案で、シャムナさんを送り届けた後、俺達は村の人に頼み込み、いかだでの運搬に同行させてもらった。
途中までは順調だったが――楽しい川下りは突然急変した。
川の上流で豪雨が発生していたらしく、川下へと鉄砲水がなだれ込んできたのだ。
ドウ、という音が聞こえた時、灰色に濁る津波はすでに背後まで迫っていた。
とっさに俺とマーリカはいかだから跳び、セイも抱えて連れ出そうとした。
だがその寸前――鉄砲水の波が、俺の右腕からあの子をさらい、濁流に飲み込んでしまった。
すぐに追おうと思ったが……目の前で波に流される魔人達も放っておけず、助けられるだけ助けた後、現在こうして全力疾走しながらあの子を追っている状況だ。
濁流の合間から、チラチラとあの子の緑の髪とオレンジの服が見える。
懸命に丸太の一本にしがみついているが――いつ手を離してしまってもおかしくない状況だ。
魔法を――時間を――!!
走りながら時計を手に掛けたとき、マーリカが俺の手を強引に下ろす。
「この状況じゃアンタの魔法は無意味」
――離せよ……! 無意味かどうかはやってみねえと……!
「河の水の時間を止めても、あの子は救い出せない。水の時は止められても“固有抵抗値”のせいであの子の時は止まらない。アンタの使う“時減爆弾”よりもっと酷いことが起こるわよ」
――時は止めない!
「自分の時を早めるのは自殺行為。瞬間的にあの子の元へ行けたとしても帰りはどうするの? 時間加速の反作用で疲労困憊の状態で、あの子を救えるの? アンタまで波に飲まれるわよ? アンタまで飲まれて――誰があの子を救えるわけ?」
いやに冷静なマーリカの声。
こいつ……なんでこんなに落ち着いてやがるんだ……?
俺は苛立ち、半ば八つ当たりに近い怒りを彼女にぶつける。
――じゃあテメエの魔法でなんとかしろよ!!
「……やったわよ。もうすでに」
ため息を吐き、肩を落とすマーリカ。
「セイの周囲の波を凍らせようとした……でも土砂と丸太を飲み込んだ波の勢いが予想以上でね、凍らせた波ごと押し流された。とっさの事とはいえ……不覚だったわ。」
ぎり、とマーリカは両手を握り、悔しさに歯がみする。
……そんな姿を見せられれば、これ以上怒りをぶつけることなどできはしない。
――すまん。
端的に謝り、俺はセイを見失わないよう、疾走しながら再び視線を前方に向ける。
もはや見えるのは灰色の濁流のみ。
あの子の姿は……影も形もない……
だが!
それでも走る! 走る!!
あの子は生きている!
まだ生きているんだ……!!
「ソウジ……」
――黙れっ!!
マーリカの哀れみと諦めを含んだ声を否定し、俺は走る。
濁流を追い、全力疾走でおよそ3時間。
鬱蒼と生い茂る木々を避けながら、岳を中腹まで登り、谷を下り、途中何度も河を見失いそうになりながら……もはや濁流すら見えなくなっても……それでも河を辿り走る、走る!!
「……ストップ。ソウジ」
マーリカが突然そう言った。
正直、彼女は置いていくつもりで全力疾走しつづけたのだが……魔剣で身体能力が増強された俺の動きに難なくついてきて、挙げ句息ひとつ乱さず涼しい顔をするマーリカには少し驚いたが……ともかく尋ねる。
――何だよ……!
「この先にも魔人の村があるみたいなんだけど……あのゾンビの村でもちょっと聞いたと思うけど、魔人の村ってさ、あの異端狩りの連中みたいなのに襲われることがあるから、わりと警備が厳しめなんだよね」
――それが?
「警戒を解くには、あのゾンビ村にいた異端狩りの連中と同じように、村の中の住人と仲良くなるのが一番なのよね」
――だからそれがなんだよ!?
意図の見えない話に苛立つ俺をよそに、マーリカは冷静に、スッと指を差す。
「その村の住人だと思うけど……助けたほうがよくない?」
視線を向けると。
「誰か……誰か……!!」
「ギシイイィ!!」
恐怖で地面にへたり込む少女へ、一体の化物が――おそらく魔獣とやらがにじり寄っている光景だった。
迫る魔獣は、ヒヒの頭に熊の体をくっつけたような姿だ。筋肉の塊のような体に、毛皮や肉の下から浮き出るほど太い背骨やアバラ骨を持つ……全長2メートルの化物としかいいようのない存在だった。
「あの子を助けたら村にも難なく入れ――ってソウジ?」
――邪魔くせえっ!
俺は瞬時に化物へ近づき、少女に覆い被さろうとする化物の首を切り落とした。
断末魔さえ上げず、化物は大量の血しぶきを上げて地面へ崩れる。
助けてやった少女は化物の血で赤く染まり、呆然と俺の姿を見上げるのみ。
……余計な寄り道食わせやがって。こんなことしてる時間ねえんだよ……!
俺が立ち去ろうとすると、少女は顔の血を拭い、声を掛ける。
「待ってください! せめてお礼を――」
――聞いてる暇はねえ。さっさと村に帰れ……!
再びセイを探すため行動しようとした時。
背後の少女から、愕然とする発言が飛び出した。
「……もしかして、あの、緑の髪をした女の子を探しているのでしょうか……?」
――何っ!?
セイの特徴を言い当てた少女に、俺は思わず問いただした。
「その子なら……先ほど私の村で介抱されていましたが……」
――本当か……?
少女はうなずき、そして自らの名を名乗る。
「私はリーリエと言います。ここから北東にあるジエの村に住んでるのですが……よければ、ご案内しましょうか……?」




