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ep3.記憶の残り香〜壊された南京錠

家に帰ると親父は一階のガレージで愛車に潜り込んでガチャガチャと何か弄っていた。

俺の家は自営で車やバイクの修理を細々としている。仕事終わり、親父が我が家の愛車を弄るのは恒例の趣味になっている。

しかしなぜハイブリッドエコカーをラリーカー仕様にしようとしているのかは定かではない。


「ただいまー」

俺はいつも通り特に感情を込めず形式的に言う。そしてこれもいつも通り親父が"おかえり"と言う前に通り過ぎる。


「おう、晴樹帰ったのか。ちょ、ちょ、待て待て」俺は足を止め車の方を向き直る「ちょっと手伝って欲しいことがあるから明日の放課後はちゃんと真っ直ぐ帰ってこい」


手伝って欲しいことは大体予想がつく。差し詰め今弄っている愛車の件だろう。


俺は明日の件を引き受け二階に上がる。

扉を開けるとすぐそこに姉貴が仁王立ちしていた。

そして"やっと帰ってきた"と言わんばかりに俺の腕を引っ張って洗面台へ連行された。

俺は少しばかりの抵抗を見せる。だがこの人の馬鹿力には敵わない。

「なんだよ姉貴」


「いいから来なさい。ずっと待ってたんだから」


俺を洗面台の前に立たせると姉貴はゴム手袋をして小さな容器に入った液をいくつか混ぜ始めた。


「新しいカラーリング剤のテスト用品が出来たからあんたで試そうと思って」

うちの姉貴は某化粧品会社に勤めててそこでヘアカラーの開発プロジェクトを任せているみたいでいつも俺をテスターにしてくる。


俺は髪をワサワサと触る手を跳ね除けた。

「あ〜もう、そんなの自分でやればいいだろ」


姉貴はキョトンと目を丸めた。

「いいじゃない、あんたワックスとかしてないからすぐ出来るし、あんたの学校進学校だから校則もきつくないでしょ?」


「確かに髪の染色はある程度許されてるけども俺にもイメージってもんが───」


「はいはい、いいからじっとしてないと指が目に刺さっちゃうわよぉ」

この女さらっと怖い事言いやがって。いつも強引な姉に偶に怒りを覚えるときがある。


「それにこれメンズ向けに開発してるからテスターが女だと色のノリとかよくわかんないでしょ?」


言ってる事はもっともだと思うがやるなら別の男にしてほしい。毎回毎回、染めた後に登校するとクラスメイトが驚くんだよ。しかも今回は新クラスになって早々だし。やってらんねぇよ。


「大丈夫よ、前に染めた時から一年以上経ってるし真っ新な黒髪だから綺麗に染まるわよ。私、美容師もやってたんだから」


そうじゃない!俺が心配してるのは明日から俺のあだ名が高2デビューになってしまうかもしれないということだ!

恥ずかしいってもんじゃないぞ!


20分ほどしてカラーリング剤を流して鏡を見た。

うん、うん、薄々わかってたけどさぁ。真っ金金じゃねーか!


「おぉお、いい感じに金になったねぇ。一回のブリーチで真っ黒からここまで色落とせたら上出来。グッ!」

俺が落胆する隣で実に誇らしげだ。


グッ!……じゃねーよほんと。

マジでうぜぇ、ピンと立った親指が特に。


翌朝、なんだかいつもより寝覚めが良かった。寝る前に広場で聴いたあの歌が頭の中で繰り返しリピート再生されて、久しぶりによく眠れた気がする。

気がつけば脳裏に焼き付いて離れない。数年前のCMであった『こだまでしょうか、いいえ誰でも』のフレーズに似た感覚だ。


俺は顔を洗うために洗面台に立つ。そしてこの後地獄を見なきゃいけない事実が映った。


珍しく気分の良い朝が台無しだ。

髪を引っこ抜くように頭を掻き毟る。




教室へ入ると想定通りの反応をクラスメイト一同は見せてくれた。

昨日とは一変した俺の姿がかなり奇怪に見えるらしい。みんな眉間に皺を作り全く一緒の表情をしている。これじゃ十人十色とかいう四字熟語は数年後、辞書から消えているかもな。


さすがに何度も同じ経験しているだけのことはある。みんなの好機な視線にあまり動じていない自分がいる。


慣れって怖いな。


席へ着くとすかさずトモと凛が駆け寄ってくる。


「おいおいおいおい、一体どうしちまったんだよその髪の毛。まさか、とうとう目醒めたのか?」

何にだよ。

そういえば俺の定期的な染色、トモは初めてだったか。


「また明美(あけみ)さんにやられたの?」

昔から姉貴と凛は仲良しで最近は姉貴が忙しくてなかなか遊んでいないが前はしょっちゅう俺ん家ちに来ては二人でお化粧ごっこをしていた。


「まぁ、ね。ほんと勘弁してほしいよ」

教室が騒めく。女子たちが各々ひそひそと話している。内容は聞こえないし聞きたくもない。


早く今日が終わんないかなぁ。


四限も過ぎたらさすがに俺への視線は少なくなった。流行るのが早ければ廃るのも早い。

今では人の噂も四時間程度だ。


よし、昼休み。待ちに待った昼休みだ。


俺は学食に向かうため廊下に出た。廊下は正に人の川と化していた。

流れに逆らわず成されるがまま流されていく。その中に一人川の流れに逆らう女子生徒がいた。


どっかで見たような?

そんな疑念を抱きつつも俺は流されていく五秒もしたらさっきの疑念はどこかへ消えて行ってしまった。


しかし食堂に着いた頃に先程の疑念は突然一つの可能性をひっさげて湧き上がってきた。


俺は人の川を逆流する。


そしてさっき女子生徒が向かった方へと走った。


「あれ、晴樹? 学食行ったんじゃないの?」

前から歩いて来た凛が言う。

俺は足を緩める事なく凛の横を走り去る。

「ごめん、ちょっと用があって」


走りに走って行き着いた先は……非常階段?


俺はまさか、と嫌な予感がした。


「非常階段で一人飯………とかじゃないよな」

そう願いに似たものを込めて独り言を溢す。


非常階段を出ると三階ってだけあって少し風が強い。そして予想通り上から声がした。風の音に紛れてよく聞こえないものの女の声って事はわかる。


たしかこの上は何があったっけ?


階段を登ると屋上への階段に繋がっていただが途中で小さな門があり南京錠が掛けられていた。


でも声は門の向こう側から聞こえてくる。


よく見ると門に掛けられた南京錠は錆び付いていて何者かに壊されていた。


俺は恐る恐る門を開け屋上へ登る。

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