ただ守りたいと思った
君の両親は死んだ。
どこかの組織にでも捕まってしまったのかもしれない。
君だけは助け出せたけど、両親の方は手遅れだった。
初めてここへ来たときから毎日のように会いに来てくれた。
そして少し物が分かるようになった頃、ついに彼は、私の両親について口にした。私はただそれを、人ごとのように受け止めた。両親の記憶は曖昧だ。あまりに幼かったせいで顔さえ上手く思い出せない。
それでも彼は、淡々と、しっかりと私の目を見て伝えてくれた。
「うん、昨日よりはましかな。でも出来るだけ横になってるんだよ」
もう私は今年で15になる。ようやくというか、なんだかんだよく生きていた方だと思う。だからこそ疑問が湧いてきてしまう。どうして彼は、すぐに私を消してしまう選択をしなかったのだろうと。
「分かりました。そうします」
「君は物わかりが良くて助かるよ」
物わかりが良いことも、本当にそれが正しいのかさえ私は疑ったことが無かった。疑う必要も比べる対象も無かったからだ。彼が良いと言ったら良いし、悪いと言ったら悪いのだ。
基準はたったそれだけ。
「私は依存していると思いますか?」
「うん?誰に?」
惚けたように聞き返してくる先生をじっと見つめ、やがて先生の方が折れた。
「ごめんごめん。いやね、依存なんてどうしてそんなこと思ったのかと思って」
彼は検査に使った物を綺麗に消毒し丁寧にしまいながら私から目を背けた。
私が依存していると思ったのなんて初めてでは無い。ましてや一度や二度でも無い。
「何言ってるの、君のそれは依存じゃ無いよ。君が一番分かっているだろう?」
そう言われて口を噤む。先生には多々見透かされていて反抗など意味を為さない。私のことを私以上に理解しているのだから。たかが子どもの心の機微など見抜いているに決まっている。
「…先生は、たまに意地悪です」
すると先生は悪気もなさそうに笑うのだった。それがなんだかすごく嬉しそうで、私は何も言い返せなかった。私がそうであるように、彼らもきっと、私が笑うとこんな気持ちになるのかもしれない。そう思うと少しだけ、彼らの気持ちが分かったような気がして嬉しかった。
「だからあまり、あの子には遠慮はしないであげて欲しい。君の笑顔が彼のエネルギーみたいだからね」
「でも私、たまに心配になって…もらいすぎて何もさしあげられて無いのではと」
「それで良いんだよ。好きにさせてやって」
彼がどうして私にこだわるのか、それは例の力のためなのだと、私はそう思うようにしていた。いずれ脅威になる、それだけははっきり分かっていたから、その舵取りは彼に任せたかった。彼は絶対に、悪いことにはそれ使わない。それだけは言い切れるから。
「分かりました。そういうことに、しておきますね」
「…君はたまに狡いねぇ」
「それを教えてくれたのも、あの方ですから」
幸せのために狡くなること、守るために賢くあること、それはどちらも良いことだと言ってくれたのは彼だ。善悪の区別や、生きるための常識など知らなくて良かったはずの私に、分かるまで話してくれた。
それはまるで、これからも長く生きていくことを期待されているようで、私は気付かない振りをした。それすらも。彼が教えてくれた狡さだった。
「私は先生やあの方がいらっしゃらなければ生きていくことが出来ません」
比喩でも何でも無く事実だ。彼らが今此処で私を放り出したらどこかでのたれ死んでしまうだろう。私はそれだけ彼らに依存しているし、そういう日がいつか来てしまうかもしれないという覚悟もできている。
ただその日が来るのが先か肉体が朽ちるのが先か分からないだけで、自由だよと放り出されてしまうことの方が死よりも何倍だって怖いのだ。
「だから、捨てられないためなら、私は狡くても先生やあの方の思う良い子で居続けます。いらないと言われるまでお二人の望む私でいます」
言い切った後、何故か先生の表情が曇った。だけどやっぱり、私は気が付かない振りをしてしまうのだ。
「そんな風に物わかりが良くなくて良いのに」
先生の悲しそうな表情は見たくなくて、私はただ微笑むしか出来なかった。
「でも力の大きさを考えたら、難しいだろうね」
私は笑顔を崩さなかった。この一線だけは、私が守りたい世界だったから。先生はずっと心配してくれていた。どんどん彼の望んだ良い子に染まっていく私を見て、人知れず心を痛めてくれていた。せめて、私がもっと悪い子で我が儘だったら違ったのだろう。
「いつも心配掛けてしまってすみません」
ただ元気でいること。いつか限界を迎えてしまう日まで、笑って過ごすこと。それが先生の望む私なら、それを叶えることくらい簡単だった。
縛られているのは、先生も同じなのだから。
「彼に言っておかないとなぁ、あまり難しい本ばかり読ませないようにってね」
「先生が何でもすぐに用意してくれるの、すごく感謝しているんです」
私がここまで喋るようになったことを喜んでくれたのは先生だけだった。喋るだけじゃ無くて、色んな知識を得て色んなことが出来るようになって、たくさんのことに興味を持った。
外界との交流がなくても人はここまで成長することを証明してきた。
だってそれは、二人が素晴らしい人間だったからだ。見本にした人間が、それだけ素晴らしい人だったからだ。
「君から楽しみは奪えないね」
そう言って笑ってくれる先生も、私は大好きだと胸を張って言える。