生真面目さんと居眠りさん
正直、最初は「やだな」と思った。
外見で判断しちゃだめだとか、人はうわべだけではわからないとか、頭ではわかってるんだけど心がついていかなかったっていうか。
どうやったらそんな色になるんだろうってくらい、茶髪というより金色みたいに色がぬけた長めの髪だとか。
その髪のあいまから見え隠れする耳にいくつもピアスがついてるところとか。
制服シャツの首元のボタンはあいてるし、ネクタイはゆるゆるになってるところとか。
そういう崩した格好なのに下品に見えない、整った顔立ちだとか長い手足だとか、細身なわりに袖まくりしてる腕の筋肉質なところとか。
全部が華やかでまぶしすぎて、見た瞬間、『この人、本当に同じ年なの!?』って、大いに戸惑った。
入学式早々、初めて入った教室でしょっぱなからこんなに動揺するとは思ってなかった。
そんな私の心の揺れなどつゆ知らず、金茶の髪のその人は、イヤミなくにっこりきれいに微笑んだ。
「お隣さん、よろしくね~」
「は、はいっ」
「一番後ろの窓際って、一番眠くなるよね~。あ、名前、これなんて読むの?」
と私の鞄のネームプレートを指さして聞いてきた。その慣れた感じに流されて、なんとか口にする自分の名前は「佐藤陽南」。
「……さ、さとう、ひな……です」
「ひなちゃんかぁ、かわいい名前。オレはユキ。真田孝之っていうんだけど、みんな”ユキ”って呼ぶから、ひなちゃんもそう呼んでねー」
そういって、彼は嫌みなくにっこり笑って、くだけた感じで机に頬杖ついた。
私はうまく返事できずに、ただ瞬きするのが精いっぱいだった。
実は”ユキ”って呼ぶのは、身近な人にすでに”ゆき”って呼ぶ人がいたせいで抵抗あるなって思ったけど。
だけど、そういうのをいちいち説明する余裕もなくって、眼鏡を意味なくいじったりして。
そんな私をちらっとみた”真田孝之くん”は、
「あ、もちろん、”真田”でも”真田くん”でもオッケーだから、ね? よろしく」
と、さらりと助け船をだしてくれた。それが偶然なのか、私の反応を見てなのかはわからない。だけど、たしかにそれは届いて、焦ってた私もスッと返事ができた。
「え。あ……うん。よろしく」
ただ、チャラチャラっとした話し方するのに、どこかちゃんと距離感が保たれてるって、助け船にのった瞬間、感じた。
『やだな』って感じた気持ちは霧散して。
ホッとした。
******
私といえば、生まれてこのかた染めたこともない髪、ピアスどころかイヤリングもしたことない耳、首元ぴっちりネクタイきっちりで、どこからみても「真面目系」「陰・地味キャラ」だ。
雑誌とかテレビとかネットとかで流れてゆく、明るくカワイイJKに憧れる自分は、たしかにいるというのに、踏み出せない。
「真面目な佐藤陽南」っていう自分を崩すのが怖くって、いざ朝になると全部のボタンをはめてしまう。髪も無難に黒ゴムでひとつにまとめてしまって、ヘアアクセ一つ冒険できずにいる。
そんな私からすればあまりに縁遠い格好をした隣の席の男の子は、ただひたすらに眩しかった。
田舎の山奥の実家からはるか遠い高校に入学した初日から、あっといういまの一週間たったけど、隣のキラキラ真田くんは色あせるどころか、毎日華やかさが増してる感じだ。
だあれも同じ中学出身のいない高校で、見知らぬ相手ばかりの教室は、私にとってまだ手探りのトンネルと変わりない。
だけど、隣の席のキラキラぴかぴかな男の子が視界に入るときだけは、ちょっと違った。
彼は目が合うと、自然に笑ってくれる。
「私に」というわけじゃないのはわかってる、クラスメイトみんなにそうだから。
彼は人なつっこくて、単に目が合うと挨拶がわりににこっと微笑むことができる人なだけだ。でも、私には十分すぎるほど、癒しだった。
彼の陽光に透き通るような金茶の髪も、耳に並んだ銀色の粒のピアスも、首元ゆるんだシャツの開け方も、すべてが派手なのにしっかりと彼に馴染んでて、目を引いて、ついついそっとペンケース探るふりをして横の席を見てしまう。
午後の授業は彼には眠たい時間なのか、机につっぷして目を閉じている。長いまつげ、すっと通る鼻筋。枕にしている彼の手の、長くしっかりとした手指。
あまりにまぶしくて、窓からみえる春爛漫の桜並木はとってもきれいなのに、お昼寝する彼の「うららかな春の背景」になってしまう。
……花も霞む華やかさって、凄いよね。
たくさんの人が惹かれるのも頷けるなって思いながら、そっと眠る彼を目で追った。
そうして、授業中に居眠りする姿だけは、私だけが見れる姿なんだと思うと、ちょっとだけ得した気分になっていた。
同時に、授業に眠れるくらいにいろんなことに余裕があって「いいなぁ」ってほんの少しうらやましかった。
見た目通りって言っていいのかわからないけれど、”真田孝之くん”は、毎日の学校生活も華やかな男の子。
まずはその入学式当日から、ひっきりなしに彼には人が話しかけに来る。しかも、同級生だけじゃなくて二年生や三年生という先輩方、男女問わずって感じだ。
「ユキぃ、放課後あそぼーっ」
「ユキ、ノート見せて」
「週末、ユキって、暇? 映画いこ、映画!」
いろんな人が話しかけにきて、彼を誘う。
昼休みなんかは、そのまま女の先輩、男の先輩が混じったグループに入って学食に消えていくときもあるし、同じクラスの男子とドラマだとか音楽とかの話しながらパンをかじってたりもする。
とにかく一人でいることがなくって、特定の取り巻きがいるわけじゃないけれど、いつも彼のまわりには人がいるのだった。
お隣さんとその取り巻き友人たちとの明るくてちょっとだけキンキンした笑いが混じる会話。
女子の先輩が、彼の長めの前髪に手を伸ばしてピンで留めてあげてるシーン。
聞きなれない見慣れない場面や、男女問わず人が訪ねてくるお隣さんに最初は焦った。
でも人って慣れる生きものらしい。
しばらくしたら、他クラスの子が教室に来て「ここユキの机?」ってふいに尋ねられたら「うん」と頷けるくらいには私も成長した。
クラスメイトも私と同じ感じで、入学最初からなぜかすでに友人知人が多い真田くんにドン引きしたり、ちょっと敵意もってた男子もいたようだけど、日がたつと真田くんのキャラクターってことで周囲も受け入れていってた。すくなくとも、私の目からはそんな風に見えた。
見栄えするとはいえ、まだ高1なのにどうしてそんなに先輩たちにも知りあいがいるんだろうってことは謎だったけど、他のクラスメイトが話しているのを聞いて納得した。
「ユキくんってさ、もともと一つ上の学年なんだって。去年一年留学してて、単位の関係で高一に入りなおしたって情報だよ。しかも4月6日生まれだから、もう17歳! 誕生日お祝いするタイミング逃したねー」
この話を聞いたら、すんなりわかる気がした。他の男子よりもちょっと大人っぽくみえることも、年上の先輩が親し気に遊びにくることも。
一歳年上の17歳
それは、まだ十六の誕生日が来ていない十五歳の私にとって、すごく大きなことに聞こえたから。
******
入学式に満開だった桜も薄紅色の花吹雪を終え、青葉へと移りゆく。
まだカレンダーは5月にはなっていないのに、春の日差しは初夏にそれにすこしずつ変わっていく。
そんなゴールデンウィークに入るちょっと前のこと。
私はものすごく勇気をもって、隣の席にすこし顔を近づけて、小さく声をかけた。
「……あの、寝てても大丈夫?」
ふだん、挨拶程度のお隣さん。
私が勝手に盗み見してる寝顔だけど、起きてる彼とは、挨拶とか、ちょっとした消しゴムやペンの貸し借りくらいしか基本的にしたことはない。きっと話しかけたら全然気軽に話してくれそうなくらいにフレンドリーな真田くんだけど、なんせ休み時間は超人気者だし、授業中は真剣に聞くか寝てるかのどちらかだし。
接点ないまま、私から話しかけることもないままに来たんだけど、さすがに今日はまずいと思った。
「ずっと寝てるけど……ノートとか、大丈夫?」
ほとんど自分から話しかけたことなかったけど、さすがに気になった。さっきの5時間目の授業中、英語の先生がゴールデンウィーク明けに一度ノート提出するって話をしてたから。
「……ん? ノート?」
まだ眠いのか、目をこすりつつそんな風に呟きかえす彼に、私はゴールデンウィーク明けのノート提出について話した。
「ノート提出。そんなの、あるんだっけ……やべぇ」
ぼんやりとそんな風に言って、長い前髪をかき上げてる彼。
その横顔を見てたら、
……こういう時、『ノート貸そうか?』って言ったほうが親切なのかな。
と、一瞬思った。
だけどそう思う反面、私の中で、「寝てて聞いてないだけなんだし……」と、思う部分もあった。
ほんの少し気持ちがせめぎあう時間があった。
でも目の前の真田くんの横顔が困っている表情に見えて、結局、私は口を開いた。
「……よかったら、貸そうか? コピー取るかスマホで写真撮る?」
たずねたら、真田孝之くんはこちらを見た。嬉しそうに口をほころばしてる。
私はそのままノートを渡そうとした。
でも、そのとき、突然、彼は「あ。」と呟いて手を止めた。そして、そのままノートを受け取らなかった。
「真田くん?」
「んー……やっぱり、いいや」
彼は私が差し出すノートから手を引っ込めた。
「ノート、いらないの?」
たずねたら、彼はちょっと身体を起こして、首をかしげた。さらりと金茶の髪が彼の頬にかかる。窓からの光がキラキラぴかぴかと後光のように彼を照らしてる。
「よく考えたら、これって、オレが寝てたせいだから」
「え?」
「ちゃんと起きて、勉強してたひなちゃんの成果を横取りしたら、ダメだし。利用してるみたいになっちゃうもんね」
そんな風に言って、彼はにっこりと言った。「気持ちだけもらっとくね。ありがとー」って付け加えて。
びっくりした。
私ははなっから「彼が受け取らない」とは思ってなかった。利用するに決まってるって、どこかで決めてつけていた。
動揺したまま、もう一度確認してみる。
「本当にいいの?」
「うん。今なら何とかなるだろうし。……でも、これからは、バイトはセーブしないと、やっぱまずいかなー」
彼のつぶやく内容に、私はまた驚いてしまって、思わず聞き返した。
「バイトしてるの?」
「……ん」
真田くんは、ちょっと”しまった”みたいな、失敗したような顔をして、苦笑いを浮かべた。
それから、人差し指を唇にあてて「内緒にしてて」って小さく唇を動かした。頷くと、彼は声のトーンを落とした。
「うちの親の方針ってゆーか。授業料と家賃は出してくれるけど、一人暮らしの生活費は自分でまかなうことになってて。……まぁ、無理いって、この学校に戻らせてもらったから。親としてはオレが音を上げるのを待ってるっていうか」
「一人暮らし……」
「うん」
「一人で暮らしてて……それで、バイトまでやってるの?」
「うん、コンビニでさ。ほら二駅先の大きな公園の近くのドラッグストアの隣のコンビニ。でも、これじゃ本末転倒だし……。シフト調整してもらわないとね……あー、ねむ……」
彼は眠そうにあくびして、ふたたびホームルームが始まるまで机に突っ伏していた。
その夜、バイト中らしき真田くんを見た。いや、違う、見に行った。
私は、最寄りよりも遠いドラッグストアにわざわざ自転車を走らせて、ティッシュペーパー買いに行って、その隣のコンビニに見慣れた金茶の髪の店員がいないか目で探してたのだ。
すぐに見つけた。
日が落ちて、コンビニの電灯に照らされたキラキラの髪。長身。
ほうきを持って、誰かが散らかしたごみ箱の周りを掃いていた。
声は、かけなかった。でも、なんだか目に焼き付いた。手際の良さも、いつもみたいにひとりでも楽しそうに掃除してる雰囲気も。
そうして昼間の明るい彼と変わらないことにホッとした。同時に、私は胸が痛くなった。
……ちゃらちゃら遊んで、眠くなるんだと思ってた。
こうして彼が働いてるっていうコンビニまで足をのばしてしまったのは、心のどこかで疑ってる自分がいたからだ。
コンビニの制服を着て掃除をしている彼の姿とゆるゆるに学校の制服を着こなした彼。
いつもの、教室の彼……窓からそそぐ光に透ける金茶の髪、ゆるく着こなした制服、女の子からもらったようなキーホルダーがいくつもついた学校鞄。まだ四月なのにすでに踵がつぶれてる上靴。
私は”真田孝之くん”って人のことを、ただその外見でいろいろ決めつけてたんだってことを、改めて自覚した。
******
次の日の放課後。
ちょうど真田くんは日直で、日誌を書くため一人教室に残っていた。その時を見計らってた私は、つかさず声をかけた。
真田くんと二人きりの教室だなんて、きっと狙わないと生まれない瞬間だ。ここを逃したら次はないと思った。私にとっては心臓が爆発しそうなことだったけど、でも、呼び止めた。
彼はいつものごとく、私の呼びかけに「ん~?」と笑顔で振り向いてくれる。
でも、彼の顔は私が差し出した紙の束を見て、驚きの表情に変わった。
「これって、まさか、ノートのコピー?」
「うん。いらないって言ってたけど……良かったら、使って」
私の言葉に彼の顔が明らかに困惑気味になった。それは予想済のこと。
私は早口でまくし立てた。
「こ、これは私が勝手にやってることだから。お節介でごめんね」
そうして、私はぐいっと押し付けるみたいにして、隣の彼の席にノートのコピーの束を置いた。
私はそこから立ち去るみたいにして、席から立ち上がろうとした。
その瞬間、真田くんはギィっと椅子をひきずるようにして、私を封じるみたいにして近づいた。
「お節介だなんて思わないし……本音でいえば助かるんだけど。でも、本当にいいの? いつも真面目に丁寧にノートとってるでしょ。それを居眠りしてるオレなんかがもらっても、本当にいいの?」
彼の言葉に私は半ば逃げ出そうとしてたのを止めた。
そして彼に顔を向けた。
彼の顔まで見る勇気はなかったけど、必死に説明した。
「……一人暮らし同士の、助け合いと思って欲しいの。私は……バイトはしてないけど、一人暮らしの生活と勉強の予習復習だけでも辛い時あるから」
私がそう言うと、
「ひなちゃんも、一人暮らし?」
と、真田くんは驚いたようなちょっと高い声をだした。
その言葉に頷く。
「うん。実家、すっごい田舎なの。まわりに学校ないし。大学進学を考えるような学校となると、家からは、到底、通えなくて」
「そっか。そういう場合の一人暮らしもあるよね」
「だ、だから、そのコピーは、この学校で”一人暮らし”っていうレアキャラ同士の助け合い、みたいなものだから」
「レアキャラ?」
「そうレアなキャラ」
私が口早に繰り返すと、ぷっと彼は噴き出した。
笑い声に彼の方をおずおずとみると、口元に手の甲を当てて堪えてはいるものの、あきらかに肩を揺らして笑う真田くんの姿があった。
金茶の前髪のあいまから見える目尻は完全に笑いで垂れ下がってる。
「そ、そんなに笑わなくても……」
「ごめんごめん……この学校じゃ一人暮らしは特別申請してもらわないといけないし、たしかに珍しいんだけど、レアキャラって言葉は思いついたことなくって。……じゃ、このレアキャラのお助けアイテム、本当にもらっちゃっていいの?」
「うん」
私が頷くと、真田くんは「ありがとう」と微笑んだ。
その笑顔を見たら心がきゅっとした。あまりに純粋にありがとうって言われたみたいで、申し訳なくなった。
そういう複雑な気持ちが顔にでてたのかもしれない。
「ひなちゃん?」
「あの……ごめんなさい」
名を呼ばれたらいたたまれなくなって、あやまっていた。
「え?」
びっくりした顔の真田くん。そりゃそうだろう。突然ノートのコピーわたされて、次はあやまられて。でも、私の中では、昨日からぐるぐると回っていた気持ちだった。
「……私、ずっと居眠りしてる真田くんのこと、遊びまわってるから眠いんだと思ってた。真田くんが一人暮らしなことも知らなかったから、心の中で、親元で衣食住も全部支度してもらって、その上遊んでて、友達も多くて……なんて、私と違うんだろうって、うらやましかったんだ」
私の言葉をじっと聞いてくれる真田くんがいた。
うらやましさが元からあったわけじゃない。
最初は綺麗だな、華やかなだなって、遠巻きに見てて。
普通に憧れみたいに思ってて。
でも、自分の生活が大変になってくると、顔立ちが良くて、友達も多くて、授業で居眠りしちゃえるくらいにのんびりした気持ちなのかなって、そういう”ゆとり”みたいなのが、なんだかとてもうらやましくなった。
「勝手に思い込んで、妬んでた。……今は、そういう思い込み、悪かったなって思ってる」
あやまってから、顔を上げて彼の方をみた。
本当は目をそらしたままでいたかったけれど、あやまりながら目をそらし続けてたら、結局、私は心の中にそういう妬みをまた育ててしまいそうだなって思った。
気持ち固めてあげた目の先にあったのは、真田くんの笑顔でも怒ってる顔でも眠そうな顔でもない、静かなまなざしだった。
窓からの初夏の日差しに透けて、真田くんはなんだか一つの完璧な絵画みたいだった。私は思わず目をそらしそうになった。その瞬間ねらったみたいに、真田君が言う。
「ひなちゃん、真面目すぎ」
彼の口調は、私を馬鹿にするでも、責め立てるものではなかった。でも、私の心をトンと突いた。
「オレね。”こんな”だから、いろんな風に思われて、いろんなやっかみみたいなの買うけど、でも、そういう妬みとかって、抱えてる本人は気付いてないことが多いんだよね。……わざわざちゃんと面と向かって話して、謝られたのは初めて」
「……」
「聞きたいんだけどさ、このコピーは”ごめんなさい”の印なの?」
真田くんがパサリとコピーを手に取る。それを目で追って、私は首を横に振った。
「それは違うよ。このままだと困るだろうなって思ったからコピーしただけ。使う使わないは真田くんが決めるだろうからと思って。でも、無いよりあった方が助かるものってあるし」
「レアアイテムみたいな?」
「うん。手に入るとは思ってなかったけど、手に入ると便利、みたいなもの」
頷くと、真田くんが私の顔をじっと見た。
「そっか。なら、もらっておくね。もし”ごめんなさい”の印なら、返そうと思ったんだけど」
真田くんの言葉にもう一度首を横に振ると、彼はいつものへらりとした笑顔を浮かべていた。
「ひなちゃんにあやまられても困るから。心の中でどう思ってたかなんて、自由だしさぁ。何か実害があったわけじゃないし、”ごめんなさいの印”なんて受け取れないし」
「うん……」
「実際ね、オレ、チャラチャラしてんの。女の子とデートするの楽しくて好きだから来る者拒まずだし、男友達と遊びに行くのもバカバカしいこと真剣にやれて好きだしねー。居眠りしちゃってるわけだし……」
そこまで言って。真田くんは、一度口を閉じた。言葉を選ぶみたいな間があった後、髪をかき上げて、ふうっと息をついてから話し始めた。
「……でもさ、たしかに、そういう風に時間を使ってるとこもあるけど、ぜーんぶそれだけかっていうと、違うっていうか。……オレの中にも真剣にちゃんとやってるつもりなとこも、たしかにあるんだよね。気恥ずかしいけど」
「うん」
「バイトって、遊ぶためにバイトしてるってわけじゃなくて、いや、でもやっぱり遊ぶことに使うこともあるわけなんだけど、それだけじゃなくて、選り分けなきゃなんないってゆーか」
「うん」
「……とにかく、まぁ……ん……一人で毎日を仕切るのって……やっぱり、苦しい日もあるよね」
ぽつりと彼がこぼした言葉は小さくて、でも、私に染み入ることばで。
それはすごくすごくわかることだった。
朝起きて、ごはんつくってお弁当つめて、洗濯干して、掃き掃除とコロコロカーペット済ませて。ゴミ集めて出して。
学校行って、帰ってきて買い物行って、洗濯取り込んで夕飯作って、ついでにお弁当のおかずとりわけといて、ごはんたべて、食器洗って、テレビみながら洗濯たたんで、予習して復習して、ちょっと漫画読んで、義兄のゆき君に「元気だよ、おやすみ」ってメールして寝る。
基本はたったそれだけのことなのに、それを毎日滞りなくするのは大変だということ。そこに、水道料金だの電気工事だのと何か別のことが入ってきたら、もっと頭の中がぐちゃぐちゃになる。
自分で選んだ道だけど、やっぱり辛い時があって、でもそれを愚痴ったとたん、自分で自分の選んだ道を否定するみたいでそれはできなくて、ぐるぐるしてしまうような気持ち。
そういうのをどこか共感してわかる気がして、真田君に気のきいた返事をしたかったけど、結局、うまくできなかった。
真田くんも私も黙ったまんましばらくそのままだった。
でも、決していやな空気ではない。
お互いきっと言葉にできない毎日がここ一か月くらいあって、真田くんのソレと私のソレは違うんだろうけど、すこーし重なることもあって、一緒にちょっとだけぼんやりしてる感じ。
私の思い込みかもしれないけど。
少しの沈黙の後、教室の廊下の遠くの方からガヤガヤと人の声が聞こえた。その声にお互いはっとしたみたいに我に返って、真田くんの方が私より先に口を開いた。
「……コピーありがとう。これからも、レアキャラ同士よろしくね?」
「うん」
私のノートのコピーも、そして私の口をふいにでた「ごめんなさい」っていう気持ちも、真田くんに伝わってるみたいだった。それは私の独りよがりの押し付けた部分で、真田くんにとっては不快なところもあったはず。
だけど、制服シャツのボタンひとつ緩められない私の、この融通のきかない心を、真田くんは掬い取ってくれた。
……ひとまず、コピーは役に立つってことでいいのかな。勇気だして良かったぁ。
そんな風にふぅっと肩の力が抜けていく感じがした。
すると、しばらく私を見ていた真田くんが、また私の方にちょっと顔を寄せた。
ふたたび近づいた距離にのけぞりそうになると、真田くんが耳元で囁く。
「……あぁでも、一つ忠告」
「な、なに?」
「気軽に、男に”一人暮らし”って言わないように」
「ま、まだ誰にも言ってないよ。先生以外は知らないと思う……」
「そう? じゃ、オレだけにしとこーね?」
可愛く小首をかしげる真田くんは、もういつのまにか真剣なまなざしは消えて、いつものヘラりっとした垂れ目の笑いになっている。
「ね?」
再確認の表情に、私は思わず流されるようにして、頷いた。
「う、うん……。自分からは、極力言わないように注意する」
ちょっと私の答えがお気に召さなかったようだ。垂れ目に笑ってるのに、なんとなく怖い。
「……お、男の子には教えないようにする」
「男だけじゃなくって、女子の友達とかも、ちゃんと相手見定めて話すよーに」
言葉遣いはチャラっとしてるのに、声音はどこかいつもと違って真剣な感じがした。
「はい。そうします」
私なりに真田くんの言葉を受け止めた気持ちで頷くと、真田くんは、満足したようににっこりと笑って、また自分の席に身体をもどしていった。
ちょうどその時、教室にガラっとクラスメイト達が入ってきた。
顔が近かった体勢でなくて良かったと思いつつ、私は学校の鞄を抱えて、クラスメイトにさらっと挨拶して、教室を出た。
扉を閉める前に、教室の中をもう一度見る。
真田くんは、すでにクラスメイトの中に混じっていた。でも、ひらひらと私の方に手を振ってくれていた。
私は小さく手を振り返して、扉を閉めた。
*****
翌朝。
学校に行って、鞄から教科書を出して、今読んでる文庫本を開こうとしたら、
「おはよ~」
って、真田くんのいつもの声。
顔あげたら、毎日安定の真田くんのにっこり笑顔。
金茶の髪は今日も綺麗で、窓からの光をきらきらっと跳ね返している。
なんだか今日はいちだんと真田くんがまぶしく見えた。
あーどうしよ、ちょっと昨日話したからって、私の中でなんかスイッチはいっちゃってるのかな。
「おはよう」
私も、いつものように返事しつつ、自分の中の動揺を立て直した。昨日の放課後、ちょっとだけ話した時間は私にとっては特別な時間。でも、きっと真田くんにはありふれた友達との会話なんだろう。
ふつうの通常どおりの挨拶を心がけなきゃ……。
そう思いながら、なるだけ冷静さをよそおいまた、本に目を戻した。
そのとき突然、私の視界の端に黄色い小箱が置かれた。
本から目線をはずせば、それは私の机に置かれた手のひらサイズのキャラメルの箱。
驚いてもう一度顔をあげたら、隣の席の真田くんがのぞきこむようにこちらを見てた。
ち、近いよっ!
「な、なに」
文庫本持ったままのけぞりつつ離れようとすると、ひょいと本を取られた。
あれよあれよというまに空いた手に握らされる、さっき机に置かれた黄色い小箱。
「キャラメル、嫌い?」
と軽快に問われて、思わず「好きだけど」って真面目に答えてた。
すると、私の返事に、真田くんはにっこり笑顔。まぶしい。
「よかった。それ、昨日のお礼」
「あ……」
そうかノートの、お礼、か。
思い当たって、受け取っていいものか真田くんの顔を見て、なんか顔に明らかに「返品不可」って表情だったから、大人しくもらっておくことにした。
「ありがとう」
手のひらの黄色い小箱。実は好きなキャラメルだった。
でも一人で暮らし始めてから、食べてない。
懐かしさとほんのり嬉しい気持ちで箱を見つめていたら、「ひなちゃん」と真田くんの声がした。もう一度真田くんの方をみると、真田くんはわたしから取った本を差し出している。
彼から本を受け取ったとき、ちょうど真田くんが友だちに呼ばれた。離れた席の男子たちが真田くんを呼んでる。
「こちらこそ、ひなちゃん、ありがとね」
真田くんは、そう言ってふんわり笑ってから、ペタリとペタリとかかと潰した上靴で友だちの元に去ってゆく。
キャラメルひとつ渡すのでも、なんかドキドキさせる人だなぁ。
制服の上着はすでに脱いでる、白い制服シャツの背中をしばらく目で追って。
視界から消えてから、私はキャラメルを大事にお弁当の巾着の中にいれた。
それから返された本をもう一度開こうとした。
……えっと、読んでたのは中ほどだったかな……。
ぱらり、はらり。
「え?」
ちょうど私の読みかけだったページにメモが挟まれていたらしい。
拾えば、ちいさな紙に、鉛筆書きの真田くんの文字。なんとなく彼らしい流れるようでいて形が整っている文字が書くのは。
『オレの。』
という非常に短い言葉と、電話番号とラインのID。
びっくりして教室内を見渡すと、斜め向こうの遠くの席から、こちらを見てる真田くんと、たぶん目があった。
にこって笑ってる……って、どうしよ。
真田くんからすれば、ただのアドレス交換だろうけど。
でも、これを交わしたら、私の中で未知の何かが始まりそうで――……。
これから、どうしよ。
私は、答えが出せないままに、ずるずると文庫本で顔を隠したのだった。
*****
正直、ちょっと感動してる。
見るからに真面目そうで、遊んでなさそうで、男慣れもしてなさそうで。そんな女の子が隣になったときは、居眠りばかりのオレを呆れてるか馬鹿にしてるかなって勝手に思ってたんだけど。
こうして真剣にちゃんと心配されたら、「あーちゃんと、勉強もやらなきゃな」って気にはなるってものだ。
ノートくらい写させてもらおうと思えば、たぶん、クラス内でもいろいろ頼める奴はいるんだけど。
楽しようと思えば、ラクする方法なんて、きっと思いついてしまうんだけど。
でも、たとえば丁寧に仕事して掃除とか袋の詰め替えとかちっちゃなことだけど、別にやらなくていいことだけどちょっと手間かけてやって、そんで次のシフトの人に引き継いだ時とか。雑な作業で引き継ぐより断然喜ばれる、そういう言葉にしづらい小さな達成感みたいな気持ちとかを、思い出させる瞳だった。
「良心」みたいなものが煌めいてた。
あー、この子、きっとこうして丁寧にやってきたんだろーなって。
だから、差し出されたノートはなんだか最初受け取れなかった。
そういう子のノートは、やっぱり尊いし、盗っちゃだめだ。
というか、オレも、ノートとか授業態度とかもう少し大切にすべきかも、ってひなちゃんのまっすぐな瞳はオレに思わせるものがあった。
んー、くるよね、なんか、ぐっとくるよね。
基本、オレにとって、学校の勉強は「復習」がほとんどだからテストとか心配してないんだけど。きっと、隣のこの子は、そーゆうーオレのいろんな事情とか知らないかもしれないから、ノート提出とか気にかけてくれんのかもしれないけど。
とにかくさ。
ひさびさに、真剣に「ノート大丈夫?」とか心配されたのは感動だった。たったノートくらいって今までだったら思ったけど、真剣さに惹かれて、オレはがんばっちゃおうかな、と思った。
一人暮らし、いろいろ大変だし、コンビニは楽しいけど、親の仕事の掛け持ちだから体力いるし。
言い訳したいことあるけど、でもやっぱり、ノートとか授業とか大事だよな。
ん、シフト調整、来月から相談してみよ。
そう思ってたらさ。
そしたらさ。
さらに、翌日、あのマジで雛鳥みたいなひなちゃんはさぁ。すんごくまじめなカワイイ顔して言うわけよ。
『……なんて、私と違うんだろうって、うらやましかったんだ』
とか。
泣けるよね。
ふつう、そういうこと、言わないで済ませていくんだろうに。
でも、いいな。
すごく、いいなと思った。
そういういつも全力投球で自分自身をさらけ出せる人ってすごく尊い。
でもさ。
……こんなに純粋で一人暮らしって、やばくね?
って内心思うわけで。
一晩悶々と考えたあげく、翌朝にキャラメルわたしてどさくさに紛れるようにして、アドレスとか渡してしまったわけだ。
ちらっと盗み見した、ひなちゃんの顔は。
あー、戸惑ってる戸惑ってる。
あの顔は、困ってるんだろうなぁ……。
眼鏡のつるをいじってる彼女を見て、それほど嬉しそうじゃない表情から、オレはまだまだ時間がかかりそうなことを悟る。
でも、まぁ、ほら。
まだまだクラスも新学期も始まったばかりなわけだし。
気長にいかないとね――ということで。
ひとまずオレは、こちらを伺うように見るひなちゃんににっこりと笑顔を返す。
ひらひらと手を振って――……そう、まだ始まったばかりなんだから。
ほらほら文庫本で顔を隠したって。
すぐに君の隣に、戻っちゃうからね。
――……まぁ、今はまだ「隣の席」なんだけどね。
fin.