老人は憐れむ④
「ううむ、ちょっと分かりませんなあ」
珍しく戸村は眉間にしわを寄せたまま、盤面を睨んでいる。ちなみに猫のじゃれあい程度のチェスと違って、将棋の方は二時間が経過しても、終盤戦にようやっと入ったところであった。
「はあ? 払った分くらい働けよ」
「ん? ああ、そっちじゃなくて。この盤面の方です。この香車がねえ……」
「あ、そっちか。……紛らわしいな、くそ」
「ほっほっほ、斉藤さんとしては、やっぱり事件の方が気になるでしょうなあ」
「決まってんだろ。で、何か目星は付いたか?」
「んん、まあ」
「早く言えよ。あ、ちょっと待て。その一手は待った」
「馬鹿言わないでくださいよ。負けるためにやっているんじゃありませんから」
戸村は斉藤の制止も振り切り、敵の王将を追い詰める一手を差した。斉藤は天を仰ぎ、盤面を綺麗にして再び駒を並べ始めた。
「もう一局、しますかな?」
辺りは少し薄暗くなっている。時計の針は午後四時を示しており、斉藤は顔をしかめた。
「……勝ち逃げはさせねえぞ」
「おや、おや。血気盛んですねえ。まあ、何度やったところで一緒だと思いますが。勝負は次回ということでよろしいかな?」
斉藤は鼻を鳴らし、大きく頷いた。
「結構。では、あなたには宿題を出しましょう」
「その言葉で熱が出た気がする」
「まあ、お仕事ですから」
「じゃ、大丈夫だ」
戸村はふっと天を見上げ、東の方に広がる黒暗を睨みつけた。
「そうですなあ、まずは道子さんとやらの趣味を。もしあるのなら、その趣味の道具はどこに置いていたのかも」
「……なんだそりゃ」
相も変わらず、この老人の言うことはよく分からない。斉藤は首を捻りつつ、手帳に文字をしたためた。
「それから、家族のうちで料理をする者がいるかどうか」
「おう」
「あと、引きこもりだという娘さんは、日中カーテンを閉めるか、また英語の勉強はしているのか」
「……」
「それから――」
「まだあんのか?」
「――ええ、息子さんに、家の前の桜は綺麗かってことと、事件のあった日の気温を聞いてくださいな」
斉藤はそれらを手帳に書き記して、確認のために一つずつ質問を繰り返した。戸村は神妙に頷き、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「で、いつまでに出来そうですかな?」
「……明日の昼過ぎまでには終わらせる。意地でもな」
「そうですか。じゃ、決戦は明日ということで」
「……叩きのめしてやるからな」
斉藤は吐き捨て、ススキの茂みの向こうに消えた。