変わり身の女⑤
「まず犯人ですがな、白野で間違いはないでしょう」
「……白野? 奴は目撃者だろう?」
「左様。確か美雪さんは内偵を生業としていたんでしたな」
「そう、その通り」
「そして彼女は本西の協力も得て日出を告発した」
斉藤は無言で頷いた。戸村はそこで缶を置き、今度は天を仰いだ。
「しかし、この話、どうも上手く行き過ぎですなあ。本西はお世辞にも気が回る奴ではない。奴さん、あんまり酒は飲まんでしょう?」
「確かに……そういう話は出なかったな。人付き合いも話題には……」
「つまり、彼は重要な情報提供者ではなかったのではないかな?」
「……だが、現に大勢が協力者だったと証言していた」
戸村の眼光が、きらりと瞬いた。まるで流星のように。
「例えば我々は、表面に描かれたウサギを見て、月の全てを知った気になっている。だが、もしかしたら裏側に何かあるのかもしれない。もちろん私もその一人。あなたが照らした部分の現実しか見えないわけですな」
それを前提に話を進めましょう、と戸村は呟いた。
「確か、美雪さんの死体が見つかったのは、自分の荷物を置いているロッカーの前でしたな?」
「うん。会社から少し離れたところだ」
「重要なのはそこでしょうな。秘密主義の彼女が、会社の人間においそれと告げるとは思えんのです。となれば、彼女が最近始めた習慣を知っているのは……」
「恋人、か?」
「あなたが挙げた容疑者のうち、その可能性が高いのは?」
「……白野か? まさか!」
「しかしですなあ、惚れっぽい美雪さんのことでしょう? いきなり体を鍛え始めた。しかも何やらエッチな恰好で」
「ボルダリングだ。わざわざそんな恰好をしていたわけじゃない」
「……ま、それはともかく、何でも恋人の真似をする彼女のことだ。ボルダリングにだって意味があるはず。ありゃ要するにロッククライミングでしょう?」
そこで斉藤はぎょっと目をひんむいた。
「彼女はそんなことをやる気だったと?」
「いやいや、それは無理ってもんです。でも、登山やハイキングをやるったって、そう毎日のように出歩けるわけじゃない。ま、その代替品としてちょっとしたでっぱりを掴むことにしたんでしょうなあ」
「となると、本西は完全に容疑者から外れるわけだな?」
「ううん、たぶん。彼は美雪さんから見れば、戦力外みたいなもんでしょう。本人の意図を汲んで、ちょっぴり優しくしていただけ。本命は別にいた」
「それが白野だった?」
「話を聞いている限りですがね、その男はかなり御しやすい。特に酒が入れば。さらに目的である日出にも繋がっているし……」
二人はすっかりサツマイモまで食べ尽くしてしまった。川の方から冷たい風が吹き、斉藤はくしゃみをした。
「おやおや、では結論を出しましょうかな」
「白野がやったんだろ?」
「左様。しかし、動機が見えてこないのではないかと思いましてな。そこで私も一つ考えてみました。……つまり、白野と美雪さんは深い関係でした」
「……それは言っていた通りだよな? 確か、アクセサリーもか?」
「ええ、ええ。恐らく美雪さんは男によって服装も装飾品もがらりと変えたことでしょう。日出や本西が相手ならば、そんな安物は身につけないでしょう。センスはともかく。しかし、金のない白野なら話は別だ。奴さんはケチというより金がないみたいだから、安く上げようとするでしょう」
「じゃ、動機は金がかかり過ぎたから?」
けれども戸村はかぶりを振った。
「まさか。美雪さんが日出をマークしていたところまでは本当。そして白野に首ったけだったのも。でも、そこで齟齬が生じた」
「……」
「白野はかなり切羽詰まった生活をしていた、でしょう?」
「時々、消費者金融で借りていたみたいだが、翌月には返していたらしいぞ」
「ううむ、その返済金の出所は?」
「は? 自分の給料だろう?」
「どうでしょうなあ。白野はかなりの頻度で山に登っていた。借金をしてまで? でも、その割には翌月には返している。自転車操業ったって、もう少しましだと思いますがねえ」
その呑気な口ぶりに、斉藤はついに苛々を隠しきれなくなった。
「何が言いたい?」
「美雪さんも当然、その金の使い方には疑問を持ったでしょうなあ。彼女は内偵だ。日出から白野に目標を変えて、少しずつ調べていった。一方白野だって、それほど大きな額をがめていたわけじゃない。せいぜい山に行く代金と生活費の足を出た分の補てんってところでしょう。でも、美雪さんはそれを許せなかった」
「で、問い詰めた?」
「白野は入念に準備を練り、美雪さんの秘密主義を利用して殺した」
「でも、ロッカーからは血が出なかった」
「疑いを持っているとはいえ恋人が誘ったら、車にくらいは乗るでしょう。そこで殺し、登山用の大きなバッグに詰めて運ぶ」
「……運べるかな?」
「美雪さんは華奢で小柄だ。鍛えている白野なら大丈夫。背負うわけだからね」
斉藤は難しげに唸り声を上げた。けれども妥当な気がする。気がするからこそ厄介なのである。
そんな若者の疑念を嘲笑うが如く、戸村は目を細め、ほっほ、と腹を揺らして笑った。
「これは老人のたわごと。聞くかどうかは別ですよ」
「その言い方はずるいだろう?」
斉藤は憎まれ口を叩いたが、すぐに膝を打って立ち上がった。まだ日は高い。白野を問い詰めるには充分だろう。彼は礼もそこそこにススキの茂みを掻き分けた。
驚くべきことに戸村の予想は八割以上も当たっていた。