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老人は憐れむ⑤

 翌日の昼下がり、午後三時頃に斉藤はススキの茂みを越えてやってきた。その日もうららかな日が差し込んでいる。老人は椅子に腰かけ、目を瞑っていた。

(眠っているのか……)

 起こさないよう忍び足で近付いたのだが、不意に戸村の口が動いた。

「精神統一中です」

「……起きていたのか」

「ま、私なんかは夜ぐっすり眠っておりますからな」

 ホームレスの中には危険な連中に目を付けられるのを恐れて、夜行性の生活をする者もいるという。その点、戸村は健康的だ。小屋の中には真新しい綿の布団があることを若き刑事は知っていた。何しろ二週間ほど前、大掃除をするために駆り出されたから。

「おお。ほっほっほ……」

 戸村は目を開け、お茶目な笑みをこぼした。斉藤の手にはコンビニの袋がぶら下がっており、その白色のビニールを隔てた先に好物のスナック菓子の包装が見えたからである。

「こいつは話を終えたあとだぞ」

「ええ? ちょっと、頭が回らないかもしれませんなあ」

「将棋の駒に汚れが付いたらどうする。お前の命より重いんだぞ」

 リサイクルショップで二百円だったそうで、戸村はかなり傷ついた様子だ。

「ああ、斉藤さんは上手いなあ。精神を攻撃してから戦おうっていうんですから」

「馬鹿言ってんじゃねえ。もしそうなら、役所の人間を引きつれているっていうんだよ」

 二人は軽口を交わしつつ、将棋の駒を並べた。その手付きは慣れたもので、こちらの方が性に合う、と斉藤などは思うのである。

 そうして静かなうちに対局が始まった。

 斉藤は美濃囲いを選択した。戸村の方は飛車を動かすのに忙しそうだ。兎にも角にも序盤の攻防が済んだところで、斉藤は手帳を取り出した。

「調べてきたぞ」

「おお、どうでしたかな」

「まずは道子の趣味についてだが、ガーデニングだった。庭先はいつもきれいな花が咲いていたって、近所の人が言っていた。死んでからは荒れているがな。で、昨日、現場に行ってきたが、道具は全部土汚れのついたまま玄関の片隅に置いてあった」

「ははあ、なるほどね」

「それから、家族のうち料理をする奴はいなかった」

「娘さんも?」

「うん、カップラーメンのお湯を沸かすくらいだって」

「普段のご飯は?」

「母親が作り置きした物を適当に……」

 戸村は難しい顔をして、さらに駒を進めた。二人はしばらく言葉も交わさず、河川敷の喧騒が辺りを渦巻いた。

「道子さんと言ったかな?」

「ああ、被害者な」

「やっぱり母親ですなあ。なんだかんだと言って、見捨てたりは致しません」

「……それまでの経緯が経緯だけどな」

「まあ、母親も所詮は素人ですから。で、娘さんは?」

 斉藤は手帳に視線を落とした。

「英語の勉強? に関してだが……脳みその方に、すは入っていないみたいで、海外産のゲームなんかに没頭しているみたいだな」

「ふうん、じゃ、生活リズムもかなり狂っているんでしょうな?」

「うん、昼夜逆転。おかげで取り調べも夜だよ。文句が出ないように弁護士だの、検察だのに話を通して……面倒ったらありゃしない。で、引きこもってからカーテンは一度も開けたことがないって言ってたぞ」

「ううむ、引きこもりならそうでしょうな。で、息子さんにも確か、何か聞いてもらったと思うんですが……」

「ああ、家の前の桜並木と、その日の気温だな」

「で、どうでした?」

 手帳から視線を外した斉藤は、ほんの微かに眉間にしわを寄せ、渋面を作った。駒を置く音も心なしか高くなった。

「俺も何か引っかかっていたんだ。で、聞いたら、馬鹿にしてんのかって弟からも、先輩からも睨まれたぞ」

「そりゃ申し訳ありませんでしたなあ。で?」

「……調べたら、去年伐採されていた。きれいさっぱりなかったんだよ!」

「ほお? 息子さんはそれを知っていた?」

「ああ、実家のすぐ目の前だからな。おかしくないだろ。で、その日の気温だが、かなり涼しかったって。こっちも調べたが、当日の最高気温は十一度だ」

 ふうむ、と戸村は唸り、それまでほとんど動きを見せていなかった角を動かした。それで戦局が大幅に変わり、攻防がめまぐるしく動き、老人の野太い声が斉藤を追い詰めた。

「王手」

「……適当なこと言って、将棋ではぐらかそうとはしてないだろうな?」

「ははは、いや、まさか。犯人は息子さんでしょう」

 戸村は高らかな笑声と共に呆気なくそう告げた。

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