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Human′ーヒトならざる君へー  作者: さかもと希夢
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<Prologue>

本格SFミステリ……のつもりで書いてますが、SF要素強めでミステリ要素弱めかも。好きなSFと愛するミステリを組み合わせた、この作品はかなりシリアスでいつもの明るい要素はありませんが、楽しんでいただけると嬉しいです。

 こんなはずじゃなかった。

 こんなつもりではなかった。

 自らの目の前に横たわる代え難い現実の前に、男は立ち尽くしていた。

 手慣れた作業のはずだった。世間一般的に倫理上禁じられている作業であっても、研究者の間では禁じられている行為ではない。現に男も公式ではない場で、幾度となくそれを成功させていたのだ。

 それなのに一瞬の迷いが、針の先よりも更にか細く頼りない電極たった一本が、全ての結果を闇へと落とし込んだ。

 電極から流れ出したイオン粒子が、シナプスの森を駆け抜け、記憶の渦を超え、人の呼吸をあっさりと止めた。そんな些細なイオンの流れが命を遙か彼方に持ち去るなんて、誰が考えただろうか。

 興味と執着が、ほんの微かに男の手元を狂わせただけだというのに、そのわずかな狂いは男の大きな何かを狂わせていく。

 男は目の前の動かぬ友の体を、言葉も無く見下ろす。自らを実験台として提供し、深い信頼の元で静かに目を閉じた友は、今その呼吸を止めていた。

 必死の思いでつなげた無数の管によって小さく上下する胸は、もう自ら動くことなどない。

「こんなつもりじゃなかった……」

 気がつけば筆舌にしがたいその思いを、呟きと共に口の端の上していた。機械の作動する音だけが聞こえる静寂の中で、男は視線を巡らせた。

 無機質な金属の塊、台上を這う透明な管、音もなく瞬くいくつもの小さなランプの輝き。

 そして、二度と動かない友の体。

 混乱する中で男は、目の前で先ほどまで赤く光っていた小さなLEDランプがフッと青く変わったのを見た。力の入らない足をもつれさせながら近づき、男は震える手でランプをそっとなぞった。

 その光が思い込みでも幻覚でもなく、間違いなく青く輝いていることを確認した男は、そのたった一つの青い光にすがるように、その場に崩れ落ちた。

「……神よ……」

 男は呟く。神など信じたことなどない。科学は神の存在をこの世から駆逐すると、考えてきた男だが、耐えがたい混乱の中で見いだされた微かな光を前にすると、こんな言葉しか出てこないのだということを思い知る。

 ああ、神よ。

 あなたは罪深き科学の使徒であるこの私に、もう一度、友と生きる権利を与えてくださるのか。

 その輝く御手で、嫉妬と焦りのあまり、友を手にかけてしまったこの私に、優しき御心で許しを与えてくださるのか。

 男は両手で顔を覆った。固く握りしめていたせいで、死者の如く血の気が引き冷え切った手が暗い喜びに昂揚する額を冷やしていく。

 そうだ。与えられた機会を不意にするわけにはいかない。冷静にならねば、この細き神の慈悲の糸を断ち切ってしまう。

「死んでる……このままじゃ、人殺しだ……人殺しだわ……」

 現実に立ち返った男の耳に、震えた途切れ途切れの女の声が届いた。ゆっくりと両手を額から引きはがしながら振り返ると、床にへたり込んだ顔面蒼白の女が全身を戦慄かせて男の友の体を凝視していた。彼女にこのランプは見えていないらしい。

「死んでいないさ」

 自分の物とは思えないような静かな声が、喉を震わせる。身体と魂が乖離してしまったようにその声を遠くに聞きながらも、男は自分がゆるりと微笑んだ事に気がついた。大丈夫だ。自分は笑っている。まだ絶望する必要はない。

「人の死が記憶や、感情であるのなら、まだ死んではいない」

 例え身体は死んでいても、ここに想いが、記憶があるのならば生きている。身体など、記憶を収めておくための器に過ぎない。ならば器を変えればいいだけの話だ。

 昔ならば不可能だっただろう。だが人と見分けが付かないほどにヒューマノイド技術が進んでいる現在ならば、それが可能だ。強固に機械を恐れる諸外国とは違い、この国の人間たちは圧倒的な働き手不足ゆえに、すでに社会にヒューマノイドがいる事に違和感を感じなくなっている。そのためか他国よりも格段にヒューマノイドを人間に近づける技術が加速度的に進化していた。

 人と見分けの付かないヒューマノイドがあり、倫理的に禁じられているが、男の手にはこの技術がある。

「まだ死んでいない。死なせやしないさ」

 男は記憶をバックアップすることを、世界に先駆けて成功した研究者のひとりだった。未だ不確定要素が多く、研究論文は学会に発表されてもいないため、未だに世界に知られる技術では無い。ただそれが可能になったという噂話だけが世間に流布しているだけだ。

 研究所と言っても規模は限りなく小さい。地下に存在する巨大な電算システムによって成り立つ研究所には、常任する研究者は少なく、全ての研究者が自分の研究室からネットワークによって繋がっているに過ぎない。

 研究所に存在するいくつかのラボラトリもそれと同じようなシステムで運営されていて、一つの部署の情報を全ての部署で共有することも滅多にないぐらいだ。

 それが幸いした。まだ誰も、友が死んだことを知らない。

 ……この技術を独占している彼ならば。

 男は再び青いランプをゆっくりとさすった。このランプが青く点灯したことは、記憶のバックアップが完了したことを意味する。

 つまり実験前までは笑みを浮かべていた友は、この巨大な電算システムの中で一つのデータとしてまだ生きているのだ。

「続きだ」

「は? 警察には……?」

 女の声が煩わしい。男は暑くもないこの部屋の中で額に汗をにじませる女を見据えた。いつもは冷静に自らの研究に没頭している女は、罪の重みに怯えながら身を竦ませている。

「検体保管の余裕はまだあったな?」

 淡々と確認すると、女は頷く。

「……全身用ですと、研究所全体の許可が……」

「死んだ身体など取って置いても仕方ないだろう? 脳だ。脳だけ生命維持装置で培養できればいい。まだ不確定部分を吸い出せていない」

「ですが!」

「君は人殺しになりたいのか?」

 緩やかに微笑むと、女は小さく引きつけたような悲鳴を上げて、目の前の端末を狂ったように叩き始めた。コンソールから画面にと走る文字の羅列に、男は満足して視線を女から外した。

 男は目を閉じたまま、身じろぎもしない友の体を静かに見下ろした。

 自分が死んだことにも気がつかず、脳はただ昏々と眠り続けている。身体が静かに、ゆるりと死んでいく。一つ一つの臓器が停止し、細胞が停止し、そして静かに死へと熔けていく。

 そんな感覚は、きっと誰も知ることはできない。

 身体を知覚するのは、脳である。その脳が先に死んでしまったのならば、この身体が如何に朽ちようと何者もそれを感じ取ることなどできない。

 そして身体を離れてもなお、生き続けるのが記憶。

 ならばまだ彼は死んでいない。彼は生きている。まだ終わったわけじゃ無い。

「死なせないさ。絶対に」

 呟くと、男は自らのコンソールに手を伸ばした。流れるように指が動き、迷い無く文字の羅列を目が追っていく。人から見れば訳の分からない文字たちが、男の頭の中できちんと文字変換されていく。

 やがてその文字の羅列は、男の目の前でその意味をさらしだした。

『脳以外の部位を、分解処理しますか? Y\N』

 男は一人画面に向かって薄笑いを浮かべた。

「YES……」

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