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「……会えるのか? 」
「貴方が、望むのなら」
「……」
「笹原さん。彼女はもうすぐ、私達では手の届かない闇に落ちます。今、決めて下さい。会いたいですか? 会いたくないですか? 」
「……会いたい。会わせて、くれ」
絞り出すような、でも強い声。周りの闇が少し薄れて、濃い灰色に変わった気がする。親父は虎猫の姿に変えて、背中を向ける。ええと、俺、ここに置いて行かれるの嫌だけど、二人、いけるのかな。恐る恐る尻尾いつかまると、顎で笹原さんを指す。ええと……
「笹原さん、手を、出してください」
片手で尻尾をつかみもう片方の手で笹原さんの手を取る。笹原さんの手は、厚くて力強いのに、冷たくて、背中が冷える。
「行くぞ」
小さな声で呟いた瞬間、俺の身体が宙に浮く。支えなくてはいけないのかと思っていたのに、笹原さんの体重を感じることもなく、これまでで一番安定してフワフワと闇を泳いでいく。俺、慣れてきたのかな?
どのくらい進んだだろう。一段と、濃い闇の中に入った。空気が重く、身体にまとわりつく。嫌な、空気だ。
「クロ、クロ!」
「おおい、ナル、ここだぁ」
クロの声が、闇の中から聞こえる。クロも一緒なの?
フワリ、と柔らかい地面に足が届くのを感じると、周りの空気が一層重くなった。うう、息苦しい。
「着ていろ」
無造作に肩にかけられたのは、おそらく親父の上着。不思議と、周りの空気が軽くなった気がする。なんだ、親父、さっきからこんな便利なモン着ていたのか。
「笹原さん、絹代さんです。絹代さん、貴方のご主人をお連れしました」
あれ?ご主人、でいいのか? そして、元奥さんも笹原さんが来ること、知っていたの?
「……あなた? 」
「絹代、なぜ、こんな闇に? 幸せだったのでは、なかったのか? 」
「幸せでしたよ、私は。あんな時代だったのに、女の私が仕事にも恵まれて、可愛い娘が素敵な人のところにお嫁にいって、可愛い孫にも恵まれて、幸せでした」
「それなら、なぜ、ここにいる? 」
「……なぜ、なんでしょうねぇ。ここに来てから、あなたの顔ばかり思いだすんです。子供のころ、黙ってうちの畑を手伝ってくれた、私の母と、一緒に暮らすことも許してくれた、なのに、私はあなたのたった一度の間違いを許せなかった。酷いことを言って、飛び出して、貴方から娘を奪ってしまった」
「……そんなことは、ない。お前が怒るのは、当然だ」
「私が仕事を探していたとき、とってもいい条件の仕事をもらえたの。学校も出ていない、知り合いもいない私には、不思議なくらいの、仕事。ずっとずっと立ってから、責任者が貴方の弟の友人だったこと、聞きました。貴方が、口添えしてくれたんでしょう? わかっていたのに、意地になってあなたの元に戻れなかった」
爺さんは、黙って首を振っている。
「家も畑も、奪われたなんて、思っていません。あのままだったら、私と母は、畑を売らなければいけなかった。それを、貴方が守ってくれたこと、ちゃんと知っています。本当に、ひどいことを言って、ごめんなさい」
深く、深く頭を下げた。爺さんは、手で顔を覆って膝をついた。もう、言葉は出てこない。
「離れてしまったけど、私は生涯あなたの妻だったと思っています。」
「すまなかった。お前を傷つけて、本当に申し訳、なかった。わしも、生涯妻はお前だけだ」
嗚咽交じりのかすれる声で、許しを請いているのは、もう、さっきまでの寂しい爺さんではない。行き場を求めて上下していた手は、しっかりと絹代さんの手を取っている。
闇は薄れ、薄っすらと顔が見えるぐらいになっている。ああ、なんか、上手くまとまった感じ?
「もう一度、聞きます。このまま闇にいることを、望みますか? 明るい場所に、いきませんか?」
「「お願い、できますか? 」」
「それでは……」
そういった瞬間、親父が、親父だけが、消えた。え? え? ここで、いなくなるの? 笹原さん、まだいますけど? こんないい雰囲気の中、闇に置いてきぼりですか?
オロオロとする俺に、おかしそうにクロが笑う。
「俺たちは、光に向かっては飛べない。光に向かって飛べるのは、死神だけだ」
ああ、そういえば、最初にそんなことを聞いたような。でも、笹原さんを探すとき、結構手間取ったけど、大丈夫なのかな?
「俺がここにいるから、すぐに飛んでくる」
クロが得意げに顔いっぱいで笑う。ううん、人の姿で笑うクロ、やっぱりなんか、胡散臭い……。
「じゃぁ、頼む」
「はい、しっかり送り届けるから、心配しないで」
「世話に、なった」
あっという間にメイとランを連れて帰ってきた親父は猫の姿に戻り、笹原さんは、俺の見ている前で光に包まれ、消えてしまった。これ、成仏ってヤツ?
長い間、闇の中で悩んでいたんだろうに、なんだかあっけない。
「さ、帰るか。優人、初仕事はどうだった? 」
猫の姿に戻ったクロが、真っ赤な口を開けて笑いかける。ううん、どうって言われても……。
「重かった、かな? 」
ほんとに、重い。だって、思いが残っている人でしょう? 俺なんかが、扱うには重いよ。
「そうだな、でも、よくやったじゃないか」
親父の尻尾が俺の足をパタパタと叩く。いや、褒められても、嬉しくなんてないし。
行くぞ、と言われて尻尾につかまるが、フワフワと飛んでいると、眠くなってきた。
「優人、寝てもいいぞ。今日は二人いるから、眠っていても運んでやるよ」
クロの声が、遠くに聞こえる。