5
初めて、父親に会った。初めて、自分の横に大人の男性が眠っている。
父に会いたいと駄々をこねたときの母さんの顔と、『悪かった』としょぼくれた虎猫の姿が、頭の中をぐるぐる回る。
可愛かったクロは、可愛い猫ではなかった。
俺の父親は、人ではなかった。
考えてもどうにもならないことはわかっているのに、頭の中にも胸の中にも灰色の雲がかかったみたいで、疲れているのに、全然眠たくならない。隣から聞こえる規則正しい寝息にすら、イライラする。
俺は黙って、空が白くなっていくのを待った。
「おはよ~!」
死神とは思えないぐらい元気いっぱいのメイが、少し乱暴にドアを開ける気配がした。いつの間に眠っていたのか、頭の上には衝立は外され、隣の二つ敷かれていた布団は綺麗にたたまれていた。
「優人、まだ眠っているわけ?やだなぁ、初仕事なのに、緊張感のないヤツ」
大きなお世話だ。寝起きで不機嫌全開の俺は、無言でのっそりと布団の上に座った。ちらり、と見ればメイの後ろには、かなり年上の女性が困ったような笑顔を見せている。ハツラツ、としたメイとは対照的に、穏やかな美人って感じ。この人も?
「メイ、ラン、おはよう。あがれよ、すぐに朝飯だ」
クロがお皿片手にちゃぶ台を指す。言われる前から靴を脱いでいたらしいメイは、食事が並ぶ前に、ストン、と座椅子に腰かけている。俺に向かって顔ぐらい洗ったら?とか言っているけど、無視。
「おはよう、優人君? クロの相棒死神で、ランと言います。よろしくね」
ああ、やっぱりこの人も、死神なのか……。
「今日の迷子ちゃんは、笹原さん。白髪に眼鏡のおじいちゃん、グレイの作業着を着ている、なかなかの頑固者らしいから、気を付けてね!」
何に気を付けるんだよ……。おじいちゃんなのに迷子、ねぇ。
「じゃ、ナルよろしくねぇ。優人も一緒にいったら? 」
「行くぞ」
言葉と同時に親父は虎猫の姿に変わり、メイはストン、と座椅子に座って何か読み始めた。俺の目の前には、親父の尻尾がユラユラと揺れている。掴まれって、ことだよな。
無言で思いっきり尻尾をつかむと、昨夜と同じように、ふわり、と身体が浮いた。
「手を、離すなよ」
クロと同じことを言って、まっすぐに闇に向かって駆け出した。昨夜はよく見ていなかったけど、確かにかけている。猫神は、闇を駆けるのか。
夕べよりも少し落ち着いた頭で、闇を駆ける背中を見つめる。迷いなく進む背中。クロもデカい猫だと思っていたけど、親父もだ。細いから、余計にデカく見える。動物園にいる、山猫みたい。
どのくらい走っただろう。まっすぐに進んでいた背中が、迷いだし、速度が明らかに落ちてきた。
「優人、笹原さんの特徴、覚えているか? 」
は? 忘れたのか?
「白髪に眼鏡、グレイの作業服来たおじいちゃん! 忘れてんなよ」
「忘れてはいないさ、お前、その人イメージしてみろ」
はぁ?イメージ? 何言ってんだ?と返せば、いいから早く、とせかされた。
白髪に、眼鏡、グレイの作業服で、頑固者……。
頭の中で何度か繰り返すと、不意に知らない爺さんの顔が頭に浮かんだ。誰だ、これ?
「浮かんだな、よし」
独り言を言って走り出したその背中は、最初と同じように迷いなく闇を駆けていく。
上っているのか、下っているのかもわからないその感覚に、つかんだ尻尾を離さないようにするだけで精一杯だ。
「この辺りに、いるはずだ。優人、何か感じるか? 」
感じるか、って何をだよ。
「さぁ」
そっけなく答えた俺に、そうか、とさらにそっけない答えが返ってきた。
「笹原さん、笹原さん、いませんかぁ? 」
なんとなく、腹が立った俺は闇に向かって大声で叫んでみた。何も見えない闇の中で探すより、返事をしてもらえばその方が楽だと思っただけのことだ。
「……ぃ」
闇の中から、小さな声。これ、笹原さんか?見つかったんじゃねぇ?
「行ってみるか」
再度親父の尻尾が目の前で揺れる。一人じゃ動けない俺は、素直に従うしかない。
「笹原さん、ですか? 」
「ああ、呼んでいたのは、アンタか? 」
「いえ、息子が」
闇の中でぼんやり見えるのは、さっき頭の中に浮かんできた爺さん、その人。
何なんだ、これは。
聞いていた特徴を思い浮かべると、勝手に頭に浮かんだ顔。それが、探し人。
これは、俺の猫神としての、能力なのか?
「笹原さん、貴方は闇の中にいることが。望みなのですか? 」
頭がまとまらなくて、自分の手を眺めている俺をそっちのけで、親父は爺さんに話しかけている。
「そんなわけは、なかろう」
絞り出すような、低く険しい声。そりゃそうだろう。誰が好き好んで闇になんかいるかよ。
親父、ずっとこの仕事しているのに、デリカシーとかないのかよ……。
「では、貴方はどこに行きたいのですか? 」
「どこにも、行きたくはない」
苛立つ声。痛みをこらえるように歪んだ顔が、切なくなった。