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「ほら、つかまんな」

 宙に浮かび、長い尻尾を俺の前でゆらゆらとさせ、大きく口を開けて笑うクロ。


 ううん、なんか、ちょっと、失敗したかも。でも、クロだし。一緒に留守番してくれていた、可愛いクロの姿を思い出して、勢いをつけて尻尾をつかむ。そうそう、とクロが笑った瞬間、俺の身体から、重みが消えた。

 無重力って、こんな感じなのかな。フワフワとして、身体の中心がわからない。浮いているのか、沈んでいるのか。クロの尻尾をつかんでいる手だけが、現実のもの、身体の残りは、まるで夢の中にいるようだ。

「手、離すなよ。離したら、闇に落ちちまうからな」

 怖いことをつぶやいて、クロは窓から外に飛び出す。俺の身体は、フワフワしているのに、ぶつかることもなく、スルリと窓をくぐり、闇夜高く浮かび上がる。足元に見える暗闇の中の光は、ずっと昔に海で見た漁火のよう。懐かしいなぁ、なんて思っていると光がどんどん遠くなっていく。漁火が、蛍になり、星よりも小さくなったと思ったときには、もうクロの姿はすっかり闇夜に溶けている。手の中の尻尾の感触だけが、クロの存在の全て。

 急に、不安が胸いっぱいに広がってきた。どうして、来てしまったのだろう。


クロは気にしていたと言っていたけど、一度も顔すら見たことがない父。

闇を飛ぶ猫神。

そんな父にあって、何を言うのだろう、何を思うのだろう。


どうしよう、帰りたい、行きたくない。そんな灰色の気持ちが胸の中に、重く広がっていく。

「おい、闇に飲まれるなよ。まったく、それでも猫神の息子かよ」

 舌打ち交じりにクロがつぶやく。猫って舌打ちできるんだぁ、なんて考えた俺の頭には、なんだかすっかり、黒い霧がかかっているようだ。

「仕方ねぇ、少し休むか」

 クロがつぶやいた瞬間、俺の足は何かに降り立った。暗いけれど、足の裏にあるその感触は柔らかい。身体の中心が戻ってきたようで、少しだけホッとした。

「クロ、ここどこ?」

「さぁ」

 さぁって、そんな……。

「闇の中なんて、俺たちだって全部なんてわからんよ。わかろうとも思わねぇしな。それでも、ここは危険じゃない、それは、確かだ」

 握り占めている尻尾が、俺の手から逃れようとしているのか、グルグルと動く。嫌がっているのは、わかるけど、でもこんな真っ暗なところで離せるわけがない。

「つかんでいてもいいけど、な。よく聞けよ?」

 溜息まじりのクロの声が聞こえてきた。

「いいか、お前は親父に会うことを、望んでここに来た。余計なことは考えずに、会ってみろ。大丈夫、怖いヤツじゃない。余計なことを考えていると、俺の尻尾をつかんでいても、闇に落ちるぞ。生きている人間が闇に落ちたら、なかなか上がれない。嫌だろう?」


 はい、嫌です。でも、そもそも『闇』って、何を指すんだろう? 地獄、とか?

 素直に聞いてみると、クロが闇の中でうなっている。


「そうだなぁ、お前らが考えている『地獄』の一歩手前が『闇』だ。何もない、ただの真っ暗な空間。行先のわからないヤツが迷い込んで、なぜ自分がここにいるのかを考えて、考えて、そのまま『地獄』に落ちるか、光の元に這い上がるかはそいつ次第。俺たちは、闇に迷い込んだヤツに、声をかけるだけ」

 それだけ、なんだ。それが、死神の仕事……。

「ちょっと気が抜けたか? 身体が軽くなっただろう? じゃ、そろそろ行くぞ」

 途端に、俺の身体はまた浮かび上がる。さっきと違って周りが何も見えないので、感覚だけだが、さっきと同じようにフワフワと浮かび上がり、速度を上げて進んでいくのがわかる。『怖いヤツじゃない』そういったクロの言葉を信じて、すべてをゆだねてみよう。


 どのくらい飛んでいただろう。急に、目の前に光が差し込み、クロは迷わず光の中に入っていく。ふわり、と足元に触れた感触は、さっき闇で降り立った場所によく似ている。明るさに目が慣れず、目元をこするためにクロの尻尾から手を放した瞬間、クロは猫から恰幅のいいおっさんに姿を変えた。ああ、やっぱりこの姿、慣れないなぁ。

「クロ? 」

 恰幅のいいおっさんの影に隠れて、誰かいるのか。もしかして、俺の? うわ。まだ心の準備が……。

 慌てて相手から見えないようにクロの後ろに隠れようとしたけど、それはかなわなかった。力強く俺の腕をつかんだクロが、半ば引きずるように俺を前へと押し出した。

「おう、ナル。お前さんが、愛して気にして止まなかった優人だ」

「優、人? クロ、お前、何を? 」

 言葉を続けられないその人は、間違いなく俺の父親その人だろう。一度も見たことがないのにそう思ったのは、毎朝鏡の中にいる俺と、同じ目をしていたから。一重で、つり目。何度怖いと言われたかわからないこの目は、やっぱり父親譲りだったのか。

 その人は、細い目を大きく見開いて、口をもごもごと動かしているが、言葉が出てこない。

 俺がここに来たのは、本当にクロの独断だったことがよく分かった。

 会いたいと、言ってくれたわけではなかったんだ。


「初めまして。優人です」

「あ、ああ。初めまして……」

 思いっき睨んでの一言に、すっと目をそらしながらの返答。途端に俺の頭からは、『冷静に』なんて言葉が消えてなくなり、気づいた時には俺の腕は、その人の胸倉をつかんでいた。


「初めまして、だよなぁ。無責任すぎだろう? 」


 感動の父子の再開に、クロは一人ニヤニヤと笑っている。


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