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 ごろごろごろごろ……。

 足元にすり寄りながら、全力? で喉を鳴らし続けるクロ。それを気にすることもなく、窓の明かりを見つめ続ける男。


ああ、なんか、胸が痛くなってきた。


「あ、の……」

 勇気を振り絞って声をかけてみる。ちらり、とこっちを向いたのは、クロの黄色い目。男は、見向きもしない。まるで、世界はあの窓にしかないと思っているみたい。

「あの部屋、誰がいるんですか?」

 さっきよりも少し大きな声で話しかけるけど、やっぱりこっちを見ることはない。見つめ続けているのに、ぼんやりとした表情。『聞くのが仕事』って言われても、話しかけて答えてももらえないのに、どうやって聞くんだよ。

 恨みがましくクロを見ると、静かな黄色い瞳がこっちを見ている。急かすように、穏やかに待つように。

 なんとかしろって、ことだよな、これ。

「……あの、俺の声、聞こえませんか? 」

 取りあえず、なるべく大きな声を出してみる。が、効果はない。これ、どうしろと?

 ええい、クロ、何かあったら責任とれよな。思い切って、男の肩をつかんでゆすってみた。

「あの!あのマンションに、何の用事ですか? 」

「え? 」

 男の目に意志が戻った。今まで一点だけを見つめていた瞳が、俺を映す。

「俺の事、見えるの? どうして?」

 嬉しそうに笑うその顔は、さっきよりもずっと幼く見えた。



「ねぇ、どうして俺の事見えるの? どうして俺、この猫抱けるの? 」

 さっきまでとは一変、クロを抱き上げて、大きく開かれた瞳でよく喋る。なんだ、意外にこのヒト、明るい人かも。


「ええと、なんて言うか……」

 猫神、なんて信じてくれるかな?死神、のメイは居ないし、俺は猫じゃないし……。

「アンタが何しているのか、気になってな」

 突然口を開いたクロに、驚くこともなく頭を撫でている。

「そうかぁ、君は死神の助手、だね? 」

 え? なんで? 

「猫神を、知っているんですか? 」

「猫神っていうんだ? 会うのは初めてだけど、ここに立ってから死神の助手がいるって、噂を聞いたことがある。君も、猫なの? 」

 いや、猫、なのかな? 人間だと思って育ったんですけど……。

「ハーフ、です」

 猫神と気づかずに付き合って、子供まで産んだ母、種族が違うと知りながら、子供を作り、一度も顔を見せることもなかった父、結果、人間だと思いながら育ったハーフの俺。


 ううん、自分で言っててなんだけど、間抜けな話だ。


「そうなんだぁ、面白いね」

 ケラケラと笑っている。なんか、明るいんですけど……。

 さっきまでの思いつめた虚ろな瞳をした人、どこかに隠れちゃったんじゃないかと思うぐらい元気だ。なぜ?

『生きてるヤツと一緒だ、と言っただろう?』突然、頭の中にクロの声が響く。うん、まぁ、話し相手がいれば、笑えるってことなのか?

「あの、俺、優人って言います。貴方の、名前は? 」

「俺は、信也。」

 よろしくね、と笑う。何か、心残りがあるにしては、ずいぶん明るい。


「で、猫神って、何するの? 」

 いや、俺も知りたい。

 首をかしげてクロを見るが、涼しい顔をして、お腹を出して寝転んでいる。それが、仕事ですかね? 

「魂を、癒すのが仕事ってとこかな? 」

 笑いながらクロのお腹を撫でる信也さん。いや、違うと思います。こいつ、正体は胡散臭いおっさんなんです。

「ええと、それより信也さん、あのマンションに誰かいるんですか? 」

 未練の残りそうな人って、彼女とかかな。まだ、ここに住んでいるのだろうか?


「ううん、誰も、居ないだろうなぁ。いや、居るんだけど、俺は知らない人」

 寂しそうに、つぶやいて、また窓を見つめる。

 知らない人なのに、なんで?


「このマンションね、小さいときに住んでいたんだ。母さんと、俺と、弟と。」

 三人で? 一人暮らし用っぽいマンションかと思っていたけど、違うのか?

 俺の考えていたことがわかるのか、信也さんはクスクスと笑いだした。

「狭いよ、ワンルーム。でも、当時の母さんには精一杯だったと思う。ここは、俺が小学校に入るまで暮らしていて、そのあと、三人で爺ちゃんの家に移ったんだけど、母さんと爺ちゃんの仲が悪くて、いつも怒鳴り声がしていた。『出ていけ』って怒鳴り声、今でも耳に残っている」

 昨日の笹原さんもだけど、爺ちゃんって、優しい人ばっかりじゃないんだなぁ。

「そんなふうに言われ続けているうちに、少しずつ母さんの帰りが遅くなって、帰ってこない日が増えて、いつの間にか、俺と弟を残していなくなった」

「……」

「それでも、仕方ないと思うんだ。俺はね。でも、弟は違ったみたいで、毎日泣いて爺ちゃんを責めて、大きくなるごとにだんだん荒れていって、母さんと同じように帰らなくなった」

「……」

 言葉が、出ない。話を聞くのが俺の仕事だって、クロは言っていたけど、本当に聞くことしかできない。悔しいけど、うまい言葉なんて、全く見つからない。

「何年もたってさ、母さんが帰ってきた。弟と一緒に。ずっと一緒に住んでいたって。帰ってきたことは、嬉しかったんだ。でも、寂しかった。弟だけが、一緒にいた事が、悲しかった」

「でも、家に帰って、来たんですよね? 」

「うん。しばらくは一緒に暮らしたよ。俺、これでも兄ちゃんだから、寂しかったなんて言えなかったし。でもねぇ、毎日、やりきれなかった。母さんが帰ってこなくなったころ、夕方になると泣き出す弟と一緒に、テレビ見ながら待っていた。もう、帰ってこないんだ、と思ったとき、手の平から血が出るくらい拳を握った。しっかりしなきゃ、ちゃんとしなくちゃって思ったから、一人でも真直ぐに生きた。なのに、泣き叫んで、怒って、暴れて、逃げた弟は、愛された、一緒にいたんだって、ね。もう、いい大人なのに、情けないよね」

 笑う姿が痛々しい。情けなくなんて、ない。

「いい大人って。寂しかったのは子供のころですよね。子供のころ寂しかったのは、大人になったからって、消えない。やりきれない気持ちは、残って当然です」

 そう、俺だって、わかる。もうそんなことはないけれど、やっぱり小さいころ、暗くなっていく部屋で一人待っていた記憶は、悲しく、寂しい。記憶の中の俺は、一人ぼっちのまま。

「仕事帰りに、帰りたくないな、なんて思いながらぼんやり歩いていたら、事故にあった。そのとき、ここに住んでいたときは幸せだったな、って思い出して、気がついたらここに立っていた。もう何年も、動けないんだ」

 そう、か。自分でも、なんでここにいるのか、わかっていないんだな。さて、どうしたらいいんだろう……。

 


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