友愛会と拷問研究会
今は主がいなくなり、フランクリの時計工房には市民探偵のガサ入れが入っていた。
中には柱時計や、壁掛け式の振り子時計が所狭しと並んでおり異様な雰囲気を醸し出している。隙間なく天井から錆びついた鎖でつるされた振り子時計の群れがただひたすらに不気味だ。
「時計造りが仕事と聞いていたが、これはほとんど病気だなバドソンくん」
「事実病気ですよ、ホールズ氏。大量のアヘンがこの時計工房から見つかりましたし、それに爆薬もしこたま――」
「これは実にきな臭いですよ」
ホールズ氏と呼ばれているこの男。外見はカーキ色と深緑色のチェックがあしらわれた革製のトレンチコートを羽織っており、頭にかぶった帽子は前後に短い鍔がついたトレンチコートと合わせたチェック柄のもの。そして、口にくわえた象牙製のパイプがいかにも‘それっぽさ’を演出している。
「分かっている。ここにいたのはフランクリという名の一介の市民。アヘンの吸い殻の量から考えて市民程度の財力で賄えるものじゃない。そもそも、この不気味で悪趣味な店。いくら生活に必要で高級な趣向品もある時計だからって、そこまでは繁盛しない」
「何者か大きな金を持ってるやつが、アヘンを餌にフランクリをたらしこんだと考えるのが妥当だろう」
パイプの先から紫煙をくゆらせ、推理を巡らせる。内容も的確だ。情勢から考えて、よほど商家が儲けても国が搾取するのが自然の摂理。下手に金を持たせれば、身分や階級が名ばかりで逆転してしまう可能性もある。議会制という民主的な仕組みを政治に採用していながら、階級差別のはびこるこの歪な国。ここでは、それはあってはならないことなのだ。
「ホールズ氏、部屋にフランクリ氏の手記がありました」
助手のバドソンが持ってきたページが後ろにいくにしたがってぼろぼろに破けている奇妙な日記帳を出してきた。アヘンに毒されていく過程を日記の外見そのものが演出しているようだ。内容を見る。お世辞にも綺麗とは言えない字が、四肢を広げて大の字で寝っ転がるように書かれていた。紙面に引かれた罫線などお構いなしだ。内容も酷いもので。
――しぇいふのひゃくにんは、あひぇんをくれる。あひぇんはきぼちを楽にさしぇてくれるから、わたす、は好きだ。ひゃくにん。は、じぶんのこと、だなと呼べといった。なま、えで呼ばずに、ただだなと呼べと行った。なじぇ名乗らないのか。気にはなったが。あひぇんのほうがだじなので。だなと呼ぶことにした。いいだろうと言ってあひぇんをたくさんくれた。――
――わたすのののひゃつめげは、国を変べるためにひつようだ、だなはそいった。それから、あひぇん、をてき。てき、にくれる、こと約束して、くれた。とってもと、っても。うでしか。った、――
こんな調子だ。政府の役人とやらと関係を持つ前からアヘンを吸っていたのが、そのままどんどん重度化したようだ。ページをめくるごとに、文体と字体が狂っていく。
「こいつは相当重篤なようだな」
――あるどぎ、だなは、■■■のはぎゅるま。おおきさ。かえろいった、わたすは、それでは、とけい。ただしい。なくなる、いった。ただしい。とけい、■■。くじ。い、そ。ういった、でぼあひぇん。なくある、わたす。かな。しい、だから■■ただし。くない。とけい、うつくし。くないと、おぼ■■げど、あひぇん。ほしいがら、■■■■■く、ちたが■■がにゃが。った――
後半まで来ると、インクのしみや紙の破れで、読めないところまで出てくる始末。おまけに読めたとしても、何を言っているのかわからない。証拠としては重要だが、解読には極めて難を要するだろう。まあ、薬漬けの娼婦などには良くあることだと、ため息をつきながらページをめくっていると、明らかに筆跡の違う文が出てきた。
今までの文は、羽ペンで書かれたものだったが、これは金属筆。おそらくは上物の万年筆で書かれたものだろう。その直前には、もはやにょろにょろとしたただの暗号文と化してしまったフランクリの記述がある。明らかに、その一文だけが、正常な人間によって書かれていた。
――正しい時計が美しいとは限らない。‘審判のとき’は午後七時十三分。――
何故だか戦慄が走った。バドソンは懐中時計で、現在の時刻を確認する。午後六時二十分。そこに記された‘審判のとき’とは全く違う時刻だ。だが問題は、その直前の‘正しい時計が美しいとは限らない’という文章。バドソンが唾をごくりと飲み込むと同時に、ホールズ氏はハッとなった。時計だ。ここには無数の時計がある。その全てが同じ時刻を指しているはずと、時計店に品物として置かれているならそう思うだろう。
現に、この店の視界に入る時計は全て懐中時計と同じ、‘正しい時刻’を指していた。だが、目を凝らすとひとつだけ。高い天井を支える梁に取り付けられた振り子時計が、その‘審判のとき’を指そうとしていた。そして、分針が十三分を指した。
その瞬間、ふたりの時間は途絶えた。
噴き上がる火炎は、時計店の中に蓄えられた大量の火薬により、時計工房付近の数棟の建物を巻き込むほどの爆炎となった。地響きと轟音。きのこ雲が舞い上がり、辺り一面街の一角が焦土と化したのだった。
*****
蒸し暑い蒸気に満たされた坑道の中、あたしはつるはしを握っていた。いつものように鉱石を掘り出すために。重たいつるはしを握り、オイルランタンの灯を頼りにしながら、ただ一心不乱に岩壁を掘り進めていた。
「レメト、精が出るなあ……」
背後から、ゴーシュの声が。いつもあたしを労ってくれる優しい声だ。声は変わらないが、その声の表情に少し影が見られる。
「なあ、知ってるか」
その影はさらに強まり、彼の声は苦しみに喘ぎ、救いを希うようなものになった。あたしは、その声色に、彼への心配よりも恐れを抱いてしまった。
「レメト、お前は守られていたんだ」
そうだ。あたしは守られていた。
マインゴールド鉱山は、日をまたぐほどの距離ではないが、街からは離れている。周りも荒野に囲まれており、辺ぴな土地だ。人身売買を統括する地主の監視が甘かったのだ。だから、だからこそあたしは奴隷にとっての日常たる体罰や拷問から逃れてきた。すべては、娼婦にはなるなと教えてくれた母の教えに感謝しながら、日々を謳歌してきた。
「レメト……、俺の顔が見えるか……」
あたしの顎が、ゴーシュの手によって掴まれる。それは氷のように冷たかった。振り返ったそこにあった顔は、人間の顔なのかということさ怪しく思えるものだった。
目が開けられないほどに腫れ上がった目蓋。完全に筋が曲がって折れてしまった鼻からは血がだらだらと流れて、固まった血が唇を覆っている。さらに顔の左半分は骨格がひしゃげていて、青い痣が広がり、ほとんど壊死してしまっている。
「見えるか、この醜い顔が。醜い姿が……」
身体の方はさらに、痣や外傷がひどかった。皮膚には焼け焦げた跡があり、ぼこぼこと膨れ上がっていて、蛆が集って肉を食い荒らしている。皮が禿げ、肉が零れ、骨が見えているところまである。言葉にならなかった。その全てが、自分が原因だと知っていたから。自分が絵本や小説の中の人物に憧れた思い上がり。王子への淡い想いを抱いてしまったがために。
あたしを守ってくれていた全ては……。
「お前のせいだ。みんな、みんなお前のせいだっ!」
――そこで目が覚めた。そんな夢だった。
自分を売りとばした地主は、マインゴールド鉱山の奴隷たちに、奴隷に相応しい扱いをすると言ってきた。この鉄格子に閉じ込められた、あたしとベラを人質に。マインゴールド鉱山の皆は力仕事をする、あるいはそれを支える仲間として結束意識が高い。だからこそ、あたしはあの場所で、少なくとも人並みの生活をすることが出来た。
「だから、お前のことは誰も捨てたりしないさ」
そう、あたしは捨てられない。誰からも捨てられることはない。
鉱山の皆があたしを、捨てようとしない。あたしのために苦しみ続ける。自分がさっきまで見ていた夢のようだ。あたしたちを守りたいがために、鞭で打たれ、棍棒で殴られ、拘束具をつけられ、拷問される。
たとえ、皮が剥がれようと、肉がそぎ落とされようと。
たとえ、皮膚が焼けようと、そこに蛆が集ろうと。
たとえ、骨が折れ、身体が腐り、やがて苦痛の中で息絶えようとも。
ここにあたしがいるから。
ここにあたしたちがいるから。苦しみ続ける。
あたしの……あたしのために、光を奪われて、闇の中、もがく。喘ぐ。叫ぶ。むせび泣く。
ここで、ここ……で、その様子を耳に流されながら耐えるしかないというのか。
あたしが、あたしが自分の身分もわきまえずに灰かぶり姫に憧れを抱いたりしたから。軽率にも一目見ただけの王子と文通をする仲になり、まんまとそれを利用されたから。
誰が悪い? 誰のせい? 誰が原因で、こうなった?
誰だ? 誰のおかげで、あたしたちを守ってくれた皆が苦しむ。
仲間が……、苦しむ……。
『お前のせいだ。みんな、みんなお前のせいだっ!』
――そう、すべては、あたしのせいで。あたしの……せいだ……。あた……しの……、せいなんだ……。じゃ……あ、どうしたらいいだろう。
どうしたら、みんなをすくえるかな?
どうしたら、みんながくるしまずにすむかな?
あたしは、どうしたらいいかな?
……。あたしがいなくなれば、くるしまずにすむのだろうか?
おもえばそうだ。おかあさんだって、おとうさんだって。
くるしんで、くるしんで、しんだんだ。
あたしだけ、こんなところで、みながくるしむのをしりながら、なにもどりょくせずに、いつしかなにもかんじなくなって――つめたいひとになっていく。そうして、のうのうといきのびる。
みながくるしんでいることさえ、はなでわらうんだ。
そんなの、そんな……の……。ずるいよね……。
――あたしは、ゆっくりと自分の両の掌を喉仏にあてがった。
そう。そうだよ、レメト。レメトは力が強いから大丈夫だよ。
レメトは力が強いから。自分の首くらい、自分で締めて、自分を自分で殺せちゃうよ。
「……く……。くぅ……、うぅ……」
力を込めていく。気道が閉塞する。
――苦しい。息ができない。本能が反射的に手の筋肉を弛緩させる。それを抑えこんで、さらに舌を出し、その表面に犬歯を突き立てる。
「……うぇ……えっほ…えほっ……ぐ…ぐぶ……」
死ぬんだ。いなくなればいいんだ。
あたしがいなくなれば、いなくなれば、皆苦しまずに済む。
だから、だから、だから……。
「うぐ……ぐっ……。うぅ」
あたしは、皆のために死ぬんだっ
頭蓋骨が揺れた。顔の右側から衝撃が加えられ、蹲ったままの姿勢で、あたしの身体は左に向かって崩れた。何が起きたのかわからなかった。もはや意識が朦朧としていたので、右頬に強く感じる痛みでさえ、知覚するのに時間がかかってしまった。やがて、鈍い痛みで右頬が疼きはじめる。それとともに聴覚が目覚め、怒りに震えたその声を捉え始めた。
「こんの……、ぉ……、あほぉおおおおっ!」
一緒に捕らえられていたベラだった。
彼女の右手は真っ赤に腫れ上がっていた。そして、自分が貸したワンピースの襟元が伸びようが構わないという勢いで、項垂れるばかりの首を揺さぶった。
「おいっ、おいっ、死んだんじゃ……死んだんじゃねえだろうなぁあっ! ふざけた真似してんじゃねえぇよ! 誰が、……だ…れが……お前に死ねと言ったぁあっ! 誰がそんなこと頼んだっ! 誰がそんなこと望んだ、言ったんだ! 勝手な真似するなぁああっ! 勝手に希望を捨てるな! 勝手に私を置いていくな! 勝手に仲間を見放すな! 勝手に逃げるなぁあっ!」
「みんながお前のために苦しもうが、どんな目に遭おうが生きろっ。――お前が死んだら、全部全部……なくなっちまうだろうがっ! お前がいなくなったら、皆が折れちまうだろうがっ! お前が折れてどうすんだぁっ!」
「……、ベラさん……でも、どうしたら……」
「どうしたらじゃない。ここから抜け出す方法を考えるんだっ。抜け出さないといけないんだっ」
「私は、私たちは……、マインゴールド鉱山の皆の人質なんかじゃない。そんな都合のいい言葉で、命を軽視するなっ!」
泣いていた。ベラは泣いていた。
なぜだろう。皆のために、命を捨てようとした、あたしなんかよりずっと悲しみの涙を流していた。綺麗な顔をぐしゃぐしゃにして、だらだらと鼻をすすりながら泣き腫らしていた。まるで、本当にあたしが死んでしまうんじゃないかと。死んでしまったんじゃないかと本気で心配しているようだった。
――ようやくはっきりしてきた意識の中で、あたしは気づいた。
ああ、自分は言葉が欲しかったんだ。
あたしに、本当は死ぬ覚悟なんてなかったんだ。
あたしが自分の首に手をかけてまでしたかったことは、自分のために泣いてくれる、怒ってくれる人がいることを確かめること。そんな、ちっぽけなことだったんだ。
そんなもの。そんな人がいること。もうとっくに……ずっと前から知っていたのになあ。
「……、ごめんなさい……ごめ……んなさい……」
唇から漏れた、足りない言葉。それから、ベラはあたしの背中に温かい手を回し、強く強く震える肩を抱きしめてくれた。温かかった。
「……、生きるんだよ。きっと、救える方法があるはずだからっ」
だが、その温かさの余韻に浸る間はなかった。
地下を揺さぶる轟音が響き、天井の一部がばらばらと砕け落ちたのだ。どこか街中で爆発が起きた。一瞬でそう判断した。この街で何かが起きようとしている。そう直感した。自分がここに入れられたとき、違和感を感じた。地主にあたしたちを人質に取らせて、マインゴールド鉱山の奴隷管理を徹底するだけならば、あたしたちに王子殺害未遂の罪状などいらないはずだ。
そもそも、あの毒草は、王子から送られてきた花だった。
「……、ベラさん、あの手紙たしか筆跡が前と違うとか言ってませんでした」
「……。気のせいかも知れないけどね。前はもっと茶目っ気のある字だった気がするわ」
自分をここに誘い出す手紙が、王子とは違う人物によって書かれた。あたしたちに、毒草を持ってこさせるためだ。
「ベラさん。もし、王子に毒を盛ろうとする人が街に現れたらどうなりますか」
「そりゃあ、王子を守ろうと国は躍起になって警備を強めるだろうさ。それこそ、王子が息苦しくなるほどに」
「……、あたし達に罪状を擦り付けたのは、その状況を工作するためじゃ」
「それって……」
「どんな思い上がりだって言われてもいい。あの王子が、あたしをハメたとは思えない。そして、恐らく……、王子もハメられている」
王子との手紙のやり取りで鉄格子の中に閉じ込められておきながら、なんという思い上がりだ。ベラは腹を抱えて、あたしの思い上がりを笑った。
「気に入ったよ。あんた、心底王子に惚れてるね」
「なっ、……、し、信じたいだけです」
「私は信じるよ」
「……え、……」
「あんたがそこまで考えることだ。それにあんたの考えに愚かもなさそうだから。そこまでして王子を信じるってんなら、この国ごとひっくり返すくらいに信じてみるってのも悪かないだろ」
それでも馬鹿にして笑ったわけではない。
あたしが王子のことを信じる心意気を称讃しての笑いだった。
信じよう。もう一度、信じるんだ。自分が先ほど地面に投げ捨てた希望を拾い上げた。そして、それで鉄格子を打ち鳴らした。何度も何度も打ち鳴らした。やがて、看守がしびれを切らしてこちらにやって来た。そこで、あたしは口を開いた。安直なことこの上ない作戦を実行するために。
「あ、あの……トイレ行きたくなったんですけど」
だが、あたしは奴隷だ。人権はなく、その場で用を足すことを強いられ、糞便にまみれて苦しむことなど、拷問のひとつにされているくらいだ。尿瓶を渡されて終わるのは目に見えている。
期待通り、鉄製の尿瓶が渡された。おまけに使いさしだ。そこで、あたしはベラに目配せをした。
「ちょっと、ここでこいつが小便するってんなら、私は牢屋を別にしてもらえるかい?私は奴隷じゃないんでねえ。トイレがついている牢屋に移してもらえないかい。こんな子汚い娘に汚されちゃかなわないんでね」
看守の体格はそこまで良くはない。これは好機だ。ベラは良心など踏みにじって、あたしを侮蔑した。
「あんたも奴隷が、糞を垂れるところに一緒にいろなんて死んでもいやだろっ」
これで、ベラはあたしを奴隷として踏みにじったと相手に認識される。
差別が蔓延したこの国ならば、奴隷を踏みにじれば相手は隙を見せる。看守がベラの要求を飲み、鉄格子のドアを開けた瞬間を、あたしは見逃さなかった。
尿瓶の中身が入っていたのは、むしろ好都合だ。
何故ならば、鼻を刺すような悪臭のするし尿を顔面にぶちまけられて、怯まない人などいないからだ。
「ぬぁっ、えほっ! うぇっほ! な、何をするっ!」
一瞬を逃すな。ベラは相手の股間を蹴り上げ、悶絶する看守の延髄を手刀で打った。膝から崩れ落ちる看守。
「あーあ、一刻も早く手を洗いたいわ」
「ベラさん、意外と腕っぷし強いんですね……」
「ガチムチばっかの鉱山にか弱い女なんていなくってよ。こんなはしたない作戦を思いつくあんたもどうかと思うけど」
そんな与太話をしている余裕はない。
異変に気が付いて衛兵が集まってくるはずだ。そうでなくとも、看守以外にも衛兵は見張りを利かせているに違いない。ここからどうするのか。ここは地下だ。どこの地下かは分らないが、地上につながる出口はひとつだろう。そこをどう潜り抜けるかが問題だ。忍び足で地下牢を歩く。しばらくすると、不気味な壁にぶち当たった。人骨がうず高く積まれた壁だ。頭蓋骨やあばら骨、大腿骨。すべてが無作法に積み上げられ、どれとどれが誰の骨かなどわかったものじゃない。
「カタコンベね。ここは教会の地下かしら」
人骨の壁は地下空間にある広間を取り囲むような形でそびえ立っていた。円形の広間の外周を人骨の壁を伝って進んでいく。やがて、その広間に入る入り口が見えた。中をのぞき込むと、人骨の壁に垂れ下がる羊の皮の垂れ幕に、あの紋章が見える。蹄鉄と十字架を組み合わせたようなあの紋章。そして、声明文。
―友愛会は、奴隷の解放の名目のもと王侯貴族に正義の鉄槌を下し、
‘審判のとき’に血族すべてを根絶やしにせんことをここに誓う。
友愛会総統 レクトール・アルバナク―
王侯貴族。エドワード王子だけでなくその父の現国王を含む、その血族。すべてを皆殺しにするという声明。あの蹄鉄に十字架の紋章は、その誓いを立てたものの集まり。‘友愛会’の一員であることを表していたのだ。
「物騒な連中ね」
ベラが毒づいたその瞬間、彼女は背後から腕を羽交い絞めにされた。その量の手の甲には鉄の爪がついている。アサシンだ。顔がばれぬよう黒い布で覆われており、目元だけが視界のために晒されている。
「ベラさんっ!」
男と女だ。敵うはずがない。なにより、ベラもあたしも得物を持っていない。何か使えるものはないか。羽交い絞めにされた腕を振りほどこうと必死に抵抗しながらも、根元を押さえられていては、力の加えようがない。あえなくずるずると引きずられていくベラ。それを追いかけるがまま、あたしは人骨の壁から突出した大腿骨を引き抜いた。そして、走ってアサシンに向かって喰らいつくがごとく骨を振り下ろした。
アサシンは、ベラを振りほどき、鉄の爪を突き出す。かろうじて体は避けるも、ワンピースの袖口が切れてしまう。今度はアサシンを背後からベラが羽交い絞めにした。しかし、すぐに振りほどかれ、今度はアサシンがベラの胸ぐらをつかみ上げ、引き寄せて鉄の爪で引き裂いた。
「ぐ……う……」
「ベラさぁんっ!」
右わき腹から鮮血を噴き出し、その場に崩れ落ちるベラ。衝動的に駆けよるあたしの目前に鉄の爪は突き立てられていた。
身体を引き裂かれる。そう思ったときだった。
「お前もアサシンだろ。なら不意をついてみろよ。こんな風にな」
目の前でその身体から、黒い布に覆われた首がだらだらと血を垂らしながら地面に落ちた。血塗られた爪の男。その耳には蹄鉄と十字架の紋章。頭部に巻かれたバンダナ。そして細い眼とひょろ長い身体。
「あ、あんたは……」
「危ないとこだったな。色気のある姉ちゃんも抗夫の芋娘も、俺に命拾いさせられたってわけだ」
ラルス。なぜ、ここでこの人はあたしたちの助太刀などしたのだろうか。
だが不思議と以前は感じた恐怖心がない。だからと言って、目の前に現れた彼を信用する気にもなれない。彼はあたしの身元を特定しようと探りを入れてきたからだ。
「そう怖い眼をするなよ。俺は王子を殺したりなんてしないからさ」
そう言って、ラルスはあたしの目の前で、友愛会の紋章のイヤリングを両耳から外し、一思いに靴底で捻りつぶした。
「あ、あなた……いったい何をしに来たの? ここに……」
「俺を騙くらかしたレクトールの化けの皮を剥がすのさ」
その敵意は、あたしへのものではない。垂れ幕に描かれた声明文。彼が忠誠を誓っていた組織そのものへ向けてのものだった。