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ラルスの過去/疑惑の手紙


「ついて来るといい。君が友愛会に入ったことに応えて会わせてあげよう。君の両親に。そして見せてあげよう。この国の現実を」 


 少年は初老の男に手を引かれ、深い深い地下へと通じる石段を下りていく。

 年老いた男は、昔は初老だった。少年は齢八歳ぐらいだろうか。一定間隔で壁に立てかけられた松明と、初老の男の持つオイルランタンの灯が照らす薄暗い視界の中、主のない呻き声やすすり泣く声が聞こえる。一段。また一段と降りていくたびに、それが大きくなっていく。その上、ひとりやふたりのものではない。


「ひっ……」


 鋭い音と、それに遅れて喘ぐ声。


 革製の鞭がしなり、風を斬り、背中を打って引き裂いた音だ。


 苦痛に喘ぐ声が木霊すれば、少年は恐れに身がすくみ、思わず立ち止まる。瞳が潤むのに呼吸を合わせるかのようにして、天井から一滴涙が零れ落ちた。


「大丈夫だ。君には危害は加えないよ。それに言っただろ。奴隷商に売られた君を両親に会わせてやると」


「お、お父さんは……お母さんはこんなところにはいない。お、おうちに帰らせてっ」


「……、奴隷の君たちに生涯を過ごす家など与えられていない」


 少年の瞳は、その場でしゃがみ込むようにして縮こまった。

 少年はゆっくりと、人形が床をずるずると引きずられていくようにして歩みを進める。恐らく体は動いていても、心は立ち止ったままなのだろう。


 ――やがて、最下段に降りついた。呻き声は岩壁に反響し、周波数を変えながら共鳴し合い、唸りとなる。耳たぶを舌で撫で上げるように張り付くそれらに心までも針で串刺しにされているかのよう。そう、目の前で息も絶え絶えの男が、そうされているように。


「……、……」


「括目して見よ。これが彼らの『仕事』だ」


 仕事。仕事とは身を削って社会に貢献すること。


 少年はそう思い描いていた。だからこそ、一般的に少年というものは仕事に憧れを持つもの。


 だが、背中を一本の鋼鉄の針に刺されたまま、宙ぶらりんになった目の前の男は――

 左胸下部、胃のある位置を刃で突き通され、頻りに喘ぐ女は。ひたすらに鞭に打たれ続け、背中からおびただしい量の血を噴出させている、全裸の男は――


 いったいなんの貢献をしているというのか。


 初老の男が開け放ったすえた臭いの沁みついた扉の向こう側の景色。少年には分からない。分りたくもない。


「……、これは……」

「拷問研究会の本拠地さ。彼らは、一定年齢を越えた奴隷や、最下級の奴隷をここに集めている。要するに……、道具としての期限も切れ、子供のおしめも外れたあとの者どもが、残りの生涯を玩具として過ごす場所だ」


 人が道具として使われる、奴隷という冷遇された労働環境。

 

 身売りに出された少年は、それを身を以て知っていた。破れた丈の足りない衣服から覗く痛々しい傷がその証拠だ。だが、その何倍も深い傷を目の前の『玩具』たちは無下に刻まれ続けている。


 彼らの扱われ方は、少年の知識も経験も想像も優に超えてしまっていた。


 立ちすくむどころか、あわあわと唇がうわ言を呟きはじめる。いくら現実逃避をしても、壊死した患部から発せられる死肉のような臭い。血の臭いが逃れようのない阿鼻叫喚のごとき現実を突きつけてくる。


 呻き声をあげる玩具から目を反らしても、石壁に沁みついた赤黒い染みに、無尽蔵に加えられる朱が目に入る。少年は目を塞いだ。地獄にて鬼に際限なき苦痛を加えられて、喘ぎ苦しみ、むせび泣く声がけたたましく鼓膜を。


 どんどんどん。どんどんどんとノックする。答えたくないのに、どんどんどん。どんどんどん。


 少年は耳をも塞ぎ、その場にうずくまり、鼻をすすりながら泣きべそをかき始めた。

 苦痛から逃れたくて、消え失せていく感情。ただただ口を突いて出てきたのは、帰りたい、帰りたいの一言。


「ここでは、ファラリスの雄牛やガロット、ユダの揺籃ゆりかご、鉄の処女、運命の輪など数多の拷問および処刑器具の試用が行われる」


 それでも少年は、耳に宛がった手を引き剥がされる。初老の男は、この子供どころか、常人ならば卒倒しそうな地獄の沙汰をまじまじと見つめ、少年にそれを受け入れることを強要する。


「常に如何に苦痛を与えるかについて飽くなき探求がなされ、刺傷の場所や大きさ、喘ぎ声、断末魔までも事細かに拷問官が記録する。痛みや外傷には、薬の治験を施し、容体の変化過程を綿密に記録する。これにより、数々の薬方が発達した。その過程で沈痛麻痺作用のあるマリファナ、阿片、コカイン、モルヒネなどの医療麻薬も確立された」


「ここでの研究を支える資金や、麻薬の売買および兵器開発などに、奴隷が生み出した金がなだれ込んでいる。これがこの国の姿だ」


 耳に入り込んできた呻き声、肉を裂く音、血飛沫。

 少年は泣き叫ぶ。目を閉じる、背を向ける。もがく、喚く。


「聞けっ、目を開けっ、拷問研究会は奴隷商の元締めにあたる。君を苦しめるのは、この組織を管理する王侯貴族の存在だ」

「もういいっ! もういいよっ!」


「こんなところに……。こんなひどいところにっ! おと……、おとうさんなんかっ、おかあさんなんかっ、いないんだろっ!」


 初老の男の衣服を縋り付くようにして揺さぶる。


 すると、初老の男は静かにほくそえみながら、少年を奥に引き連れ、案内した。


 そこでは、椅子に手足を縛りつけられた男がいた。首には太い縄がかけられており、背もたれに空いた穴を通して、その裏に取り付けられたネジ車に巻き取られており、それを動かすクランクを別の男が握り締めていた。


 ガロットという拷問、処刑具のひとつだ。


「ジョージ・コローネ。お前の息子がお目見えだ」


 男はにんまりとほくそ笑みながら、クランクを一思いに二周ほど回した。


 ぎりぎりと縄が首に食い込み、気管が閉塞する。急所である男性の突き出た喉仏にあたる部分に金具が取り付けられており、圧迫し、激しい嘔吐と呼吸困難を催させる。


「ぐぼぉおえっ、ぼごご……、おおお……おぼごぼ。ぼぼぼ……」


 ガロットに縛られた男は、言葉を発しようとしている。


 いや、本人はもう発しているつもりなのだろうが、口から出ているのは嘔吐く声のみだ。さらに男は、クランクを回し、首を絞め上げていく。

 やがて、縛られた男の口元から黄色い胃酸が滴り落ちる。血の混じった吐瀉物をごぼごぼと噴き出させ、鬼灯のように顔を紅く染まらせ、水を失った魚のようにのたうちまわる。――そして数度ぴくりぴくりと痙攣した後、白目をむいて紫色にひなびて、冷たくなった。


 少年は静かにその場に膝を折った。


 目の前で喘ぎ苦しみながら息絶えた父親に、言葉すらかけることもできなかった己の無力さ。さらに床に手をつき、嗚咽を漏らした。震える肩に、初老の男がひっそりと手を添える。



「やるべきことは分かるか。ラルスよ」

「ああ、レクトールさん」


「絶対に……ぜっ、絶対に王侯貴族の皆を殺すんだ。ひとり……、ひとりひとり……。首を縛り上げて殺すんだ……。父さんがそうされたように」



 小鳥の声と顔にかかる朝陽の光が知らせる夜明けの訪れ。少年は時を経て、青年となった。


 青年は、窓枠に腰かけた状態で眠りについていた。思い出したくなくても、脳裏にこびりついて離れないような、昔の夢を見ていたよう。青年は、細目から、翳りのかかった瞳を窓の外の紫色の明け方の空へと覗かせる。


「ラルス……、随分とうなされていたな」


 見られていたかという落胆のため息を漏らすラルス。

 声をかけてきたのは、彼を警戒している執事のセバスだ。警戒の根拠となったものは彼の耳にぶら下がる、蹄鉄と十字架の組み合わさったような飾りのイヤリング。友愛会と呼ばれる組織の紋章だ。セバスはその存在意義を熟知していた。


「セバスさんか……、俺に警告しに来ましたか。友愛会の思う通りになどなるものかと」

「……、そのつもりでしたが、少し、あなたと話したいと思いましてね」


 掌を後頭部に当てて、枕を作り、窓枠にもたれかかる。


「奇遇ですね。俺もそう思っていたところですよ」

「どうして、王子が彼女と会う手助けを?」


「それはもともと、そういう計画だったからさ。王子にお近づきになりたいという奴隷階級の者がいれば、‘利用しない’手立てはないですからねえ……。彼女をつかって、王子に毒リンゴでも渡させましょうか?」


 口笛を吹くような軽い口取りで、何ととんでもないことを言うのだろうか。

 拷問研究会が奴隷制の根源である悪政団体ならば、友愛会は奴隷制に関わる人物を根絶やしにしようとする過激派だ。初めから、王侯貴族を皆殺しにする目的で、友愛会は政界に根を張っていた。ラルスのような奴隷制の被害者を使って。セバスはそれを熟知してはいたが、へらへらとした顔で王子の殺害を宣言されては、動揺せずにはいられない。それも王子の世話役である自分の目の前で堂々とだ。


「どういうつもりですか。それを私の前でづけづけと」

「……、ひとつ聞きたいことがある」


 聞きたいことがあるのはこっちのほうだと、思わず口をついて出そうになるが、間髪入れずラルスが口を開く。


「王子はなぜ、彼女が奴隷階級であるにもかかわらず、会いたいと平気で言えるんだ? 身分のお高い連中は、俺たちのことなど汚らわしい下賤の者と思っているんじゃないのか」


「……、さあね。王子は何も知らないだけでしょう。ですが、国王は奴隷制の撤廃に尽力なさっている。あなたも、あの場にいたなら聞いていたでしょう」


 アルドルフ国王は、レクトール議長が訪ねて来た時に、奴隷制を撤廃する法案の文言を書いていた。それも頭をしきりにかきむしりながら、必死にひねり出すようにして。そこで改めて浮かび上がってくる疑問はこうだ。


「ならば、いったい誰が、奴隷制なんぞという悪政を囲っているんですか」

「考えたくないですが、……そいつは、‘怪しまれない立場’を利用しているのでしょうね」



*****



―拝啓、レメト・ラファエリト


 王子です。急な話なのに、会ってくださるだなんてとっても嬉しいです。今度の日曜日、是非とも街まで来てください。君の顔ははっきりと覚えていますが、何分人の多い街です。この花を持って、十一時。城門前の噴水広場で待っていてください。


エドワード・オーウェンより―



 人差し指と親指で王子からの手紙に添えられていた、パピルスでくるんだ花を、くるりくるりと茎を回転させてみる。花はつるのように華奢な茎と、それに似合った細く白い花弁と、がくの中心から伸びる白いひげのようなが特徴的であった。


「おい、鼻歌なんか歌って惚気るな」


 上機嫌になっていると、ベラに諭された。揺れる馬車の中、あたしは手紙の文面を見返しながら、傍若無人にも空唄を口ずさんでいたのだ。浮かれていたことを見破られ、思わず顔が紅潮する。


「一応、ケツを引っぱたいたのは、私だしね。あんたをひとりで行かせるわけには行かないからな」

「あ、ありがとうございます」


 そして、すかさずあたしの肩に顎を乗せて、ぐいぐいと手紙を覗き見しようとするベラ。


「ちょっと、……ベラさんっ」

「いいじゃないの。またワンピース貸してあげたんだからさっ」


 手紙に綴られた文字が目に入るや否や、観察力の鋭いベラはあることに気づく。


「ねえ、レメト……」

「どうしたんですか」


「この手紙、この前のものと筆跡が少し違うような気が……」


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