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王子の手紙

 両の手に鉄の爪を装備した、ラルス・コローネという細目の男。

 この度迎え入れられた王族直属の護衛と自分を宣うが、その出で立ちは格式ある騎士などには到底見えない。はっきり言って、人懐っこい笑みなどを浮かべて気さくに話しかけてくるような出で立ちではない。人に気取られずにその命を奪う、アサシンのような格好だ。


「俺に敵意を抱くような必要はないよ」


 へらへらと笑いながら、装着していた鉄の爪を外してグローブだけになった握り拳を開いたり閉じたり。こちらにその刃を向ける気はありませんよという主張だ。だが、セバスの瞳は、その耳元にぶら下がる蹄鉄と十字架を組み合わせた飾りに注がれていた。それも警戒心に満ちた眼差しだ。


「エドワード、そこにいるのだろう?」


 扉の奥から静かな怒りに満ちた声がした。呼ばれた当の本人エドワードは肩をびくつかせる。間違いなく、式典をすっぽかしたことを怒られる。目が泳いでしまっているエドワードに、セバスの冷めた眼差しが差し向けられる。いかにも自業自得だろうがと言いたげな目つきだ。エドワード当の本人もやはりその自覚はあるのか、矢のような視線を受けるとしぶしぶ王室へと歩みを進める。やや猫背勝ちになりながら、いかにも委縮した足取りで赤い絨毯の上をひしひしと踏みしめる。


「……、エドワード。お前はいったいどんな王子になりたい?」


 すると、彼の予想とは裏腹に穏やかな声が飛んできた。先程までの怒りはどこに吹き飛んだというのか。


「私にはそれが分からない」


 額に手を当てて唸りながら、机の上に伏す国王。怒りが度を越えて落胆に変わってしまったらしい。不甲斐ないと自分を恥じたのか、エドワードはしゃんと背を伸ばし、国王の前に跪き、一礼をする。


「……、父上。私はお父上を尊敬しております」


 伏したアルドルフ国王の背中がぴくりと動く。表向きでは落胆していたが、どこかで信頼していた息子への親としての想いがようやく実を結んだのか。眉間に寄せていた皺を解き、ゆっくりと上体を起こす。しかし、そこに肝心のエドワード王子の姿はなかった。思わず口をあんぐりと開ける国王。


「おい、セバス……。エドワード王子はどこに」

「ああ、上っ面だけの言葉を言って窓から飛び降りました」


 セバスが澄まし顔で淡々と述べる。彼が指さす方向では、真昼の日差しが開け放たれた大きな窓から差し込んでいた。


「なるほど。確かにこんな天気の日は飛び出したくもな――ってそうじゃないっ! なんで止めなかったんだ!」

「止めても、あなたの説教なんて聞きやしませんよ。陛下殿、あの王子は、あなたが思っているよりも何も考えちゃいませんよ」


 エドワードが幼少のころより付き人を務めてきたセバスには、彼の性分が分かりきっていた。とかく楽天的で考えることや、型に嵌ったことを嫌う。

 政にはまるで興味がなく、催事や式典も頻繁にすっぽかす始末。


「それより、あのラルスという男のイヤリングを見ましたか?」


 ついには、そんなことをいちいち咎めていては時間の無駄だとでも言わんばかりに話題を移す。いや、実際これは重要な話題だった。


「蹄鉄と十字架か」

「彼は紛れもなく、友愛会の差し金です。充分に警戒した方がよろしいかと」




 エドワードは王室の窓から飛び降り、城の中庭に降り立っていた。

 ポプラ並木と緑の芝、色とりどりの季節の花が植えられた花壇を愉しむためのものだ。見下ろ王室はそれらを見下ろす2階にあるため、着地の仕方を考えれば大した怪我は負わない。何よりも、日ごろから往生を抜け出すのが日課となっているエドワード王子には、これしきのことは朝飯前である。王室の庭から飛び降り、植樹のポプラの葉を撫でて、ふかふかと柔らかい芝の生えた土の上に降り立つ。

 そして、同じく涼しい顔でこれをやってのける身のこなしの軽い男がもうひとり。王家直属の護衛役として着任することになった男。ラルスだ。


「王子ってもっと格式のあるやつかと思ったよ。随分と破天荒なんだな」

「……ラルスと言ったか。君は王侯貴族に対してあたりが強いな」


「悪く思うなよ。俺は年下に敬意を払うような性分ではないからね」


 ラルスよりエドワードは確かに年下だ。だがそれ以前に、エドワードはラルス自身が住む国の王子である。しかし、だからと言って、ラルスが自分に対して敬意を払わないことを咎めるつもりはないと言う。


「それよりも、僕には君の中に私怨のようなものを感じるがね」


 私怨という言葉に反応して、ラルスのイヤリングが揺れた。少し思うところがあったのか。だがやはり顔色一つ変えず、相も変わらずへらへらと常に笑っているかのような細目からは、瞳が覗かない。


「他意はないさ。それより、王子。今朝、街で女の子に会ってたろ? 鉱山で働いているという、丈の合わないワンピースを着ていた女の子だ」

「……、それをなぜ?」


 聞けば、護衛係の予行演習として王子の行く先を視察して回っていたのだという。というのは軽い冗談で、たまたま見かけたのがその場面だったため、いずれ付き従う主の身辺ならばとことの一部始終を聞いていたのだという。


「もともと俺は情報屋もやっていてね尾行と盗聴は趣味なんだ」


 だが、ラルスのその口ぶりを聞く限りでは、情報屋としてつけまわしていたというのがもっともな解釈なようだ。どうにもいいものとは言えない趣味に、エドワードは顔を歪める。


「まあ、そう気を悪くするなよ。奴隷関係の情報も集めていてね。鉱山で働いているという彼女の一言でピンと来たよ。多くが身体を売る娼婦になる女の奴隷の中で珍しく、それを頑なに断り続けたコがいてね。そいつは、他の男の奴隷どもとともに坑夫として働くことになったらしい。名前はレメト・ラファエリト。女でありながら過酷な肉体労働を志願するものは稀有でね」

「……何が言いたい?」


「じゃあ、こっちも質問で返すよ。そのレメトってコにもう一度会いたいかい?」


 その一言で、エドワードは歪めていた表情を解いた。目の前でろくに話せないままに消えてしまった少女のこと。気にはなっていた存在だ。


「……、ああ。居場所がつかめるなら」

「王子は面白い人だな」


「……、何がだ?」

「奴隷と聞いても、何の抵抗もなく、彼女に会いたいだなんて言えてしまうんだと思ってね」


 奴隷が何だ。誰かにもう一度会いたいと思うことに、別段面白いということなんて何もないじゃないか。そう言い返すとラルスは、また王子を面白い人だと、少し感服したように笑う。いや最も、その顔のつくりから常に笑っているかのように見えてしまうのだが。


「手紙なんて書いてみたらどうだい? 工面して届けてやるからよ」



*****



『どこかでまた縁があるといいわね。王子様と』

 

 つい先ほど、ベラに言われた言葉が頭の中をぐるぐると回っている。

 まだ手の中にあのときの熱を感じる。何を考えるとかでなく、頭の中が真っ白になって空を高く見上げてしまう。雲を追いかける。どこに行くのかと尋ねかけるが、返事はもちろん返ってこない。


「レメトッ!」


 最後の一声だけが聞こえた。

 ベラは何度もあたしを呼んだらしいが、聞こえたのはその一回だけ。いかに自分が上の空だったかを思い知らされる。思わず赤面すると、ベラが額に手を当てて大きなため息をひとつ。


「初にも程があるわよ……」


 そう言われたところで、ようやく上の空から解放された視覚が周りの状況を捉え始める。自分が置かれた状況は、今までずっと自分がそこにいたくせにこう言うのも滑稽だが目新しかった。目に飛び込んできたのは、石畳の道に向かって食材が陳列された棚が張り出したマーケット。ベラが言うには、かなり危なっかしい千鳥足で、このマーケットを歩いていたということらしい。


「今のあんたに卵は渡せそうにないわね」


 そう言って葉物や根菜など、とかく落としても大丈夫そうなものだけを袋に入れて渡された。


 気をしっかりと持とう。


 そう言い聞かせて袋の持ち手を握りしめる。


 買い物が終われば、また鉱山に帰らなければならない。

 石造りの地面。飾りタイルで彩られた噴水広場。赤茶色の煉瓦に彩られた街並み。全てさようならだ。


 ――縁があるといいわね。そうとは言われたけれど、きっと縁はないのだろう。あたしは、奴隷として働く坑夫で、彼は王子様だ。この手が彼の温もりを覚えていても、所詮それはただの淡い想い出にしかなり得ない。――そう思っていた。



<二日後、マインゴールド鉱山>



 鉱山に戻ったあとは、何も変わらない時間が続いた。

 慣れてしまった時間に挟まれて、街での記憶だけが自分の中で、知らない誰かの記憶のように浮いてしまっている。――駄目だ。まざまざと蘇る記憶を振り切って、一心不乱につるはしを振り下ろす。砕かれる岩と泥。感触が変わってくるのをつるはしに伝わる振動から読み取る。鉱山での仕事で覚えた音と震え。この感触は鉄だ。

 暗闇の中にオイルランタンの揺れる光に照らされて。あたしは街で華やかななワンピースに包まれていた自分のことは忘れて、汗にまみれた泥まみれの灰かぶりの坑夫として、そこにいた。


「来たっ!」


 ランタンの光を反射して、金属の存在を主張する。


 その存在が確証に変わった瞬間、つるはしを振るう手がスピード上げていく。呼吸もそれに調子を合わせて。一見ただの鼠色の岩のようにも見えるが、目を凝らせば結晶独特の多面体のような構造が見て取れる。今度は、たがねと金槌に持ち替えて、その結晶が傷つかないように慎重に切り出していく。


「よしっ!」


 切り出された鉱石は、一輪車に乗せてトロッコの荷台まで運ぶ。鉄だけでなく石炭もかなり採れた。マインゴールドという名ではあるが、その所以たる金に巡り合うのは非常に稀だ。残念ながら、ここのところはお目にかかれていない。


「よう、レメト。頑張ってるなあ」


 満杯になった一輪車から鉱石をトロッコに移し替えていたところ、肩にその熊のような手が置かれた。いつもあたしを気にかけてくれるゴーシュだ。タオルでそっと汗を拭ってから向き直る。すると、真っ先に彼が持っていた手紙に目が行った。あたし宛てのものらしい。裏に返すと差出人の名前が書いてあった。


 エドワード・オーウェンより。


 自分の目を疑ったのは言うまでもない。自分の記憶を疑ったのも言うまでもない。だが何度瞬きをしても、思考を反芻させても、そこにあるのはあの日に会ったこの国の王子の名前。その答えに自分の思考がたどり着いたとき、胸元から首筋を伝って顎を撫で上げるように血潮が満ちていくのを感じる。肩が小刻みに震えて、生唾を飲み込んで喉をごくりと鳴らす。


「どうしたんだ?誰からの手紙だったんだ?」


「お、おおお、……お、王子様からの……手紙で……す……」


 まさかと笑われた。自分でもまさかとは思っている。童話のシンデレラじゃあるまいし。

 だが、オイルランタンの灯を頼りに読み上げれば、いよいよ確信に変わる。そこには、こう書かれてあった。



―拝啓、レメト・ラファエリト


 お元気ですか。僕のこと覚えてますか。二日前に城下町で君と出会った王子です。あのときは、どうやら急いでいるようで、何も話すことはできませんでしたが、よろしければまた今度、街まで来てくださいませんか。普段は鉱山で働いているとのことで、あまり街には慣れていないことだと思います。ですから、僕が街を案内しましょう。是非とも見て欲しいとっておきの場所があるんです。


 また会えるその日を楽しみにしています。


 エドワード・オーウェンより―



「え? あの王子が、あんたに手紙を?」


 ベラのその反応は予測できていたが、二度も面と向かって笑われるとは。

 自分でも馬鹿げているとは思っている。でも、中身を見てしまった今、疑うこともできない。もう、縁なんてないと思っていた王子からの手紙。それも街まで来てくれと言う誘いの言葉まである。嬉しい気持ちもあったが、どうしていいかわからないという気持ちが殆どだった。だから、その話をベラにしたんだと思う。拳を握りしめて、それを机に押し付けて、上目遣いでベラの顔を見つめる。

 その視線に、ベラはビスケットを頬張りながら冷ややかな表情を返した。


「で? まさか、私にどうしたらいいかなんて聞くつもり?」


 具体的にはそう考えていなかったかもしれない。それでも心のどこかではそう思っていた。肩をびくりと震わせるあたしに、ベラはため息をひとつ。


「助言はしても、あんたの決断に私の思惑は介入させたくないわ。あなたが王子のことを信用するかしないか。それだけのことでしょ?」


 たとえ、自分で何が正しいのか、何がしたいのかわからなくても、それを他人に求めるのは間違っている。誰かの人生に助言はしても、干渉したくない。ベラの心意気はあたしにも理解できる。


 でもだからと言って、あたしはいったいどうしたら……。


 しゅんと顔を俯けて、肩を縮こまらせていたところに、そっとベラの手が置かれる。向き直ったあたしの瞳を真っ直ぐに彼女は覗き込んだ。


「可能性があるって言ったでしょ? あなたの最大の強さは若さ、未経験、無知。知ってしまったものに恐れを抱くことはあっても、知らないものにまで恐れをなす必要はないわ」


 その言葉通り、彼女の瞳には恐れという文字はない。


 声色も透き通っていながらどっしりと力強く、あたしのしゃがみ込んだ心を引っぱたいてくれた。あたしは、王子のことを知らない。街のことも何も知らない。知らないものに恐れをなす必要がないということは、恐れることなんて知ってからいくらでもすればいい。


 今はすべきことではないということだ。


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