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交渉成立。契約終了。

 声が届いた。背中から突き抜けて、心臓に真っ直ぐ。初めての感覚だ。思わずその声にこくりと頷き、差し伸べられたその手を握りしめる。温かい。彼の体温が、ゆっくりと伝わって、あたしの心をその熱波で揺さぶった。


「立てるかい?」


 馬鹿言わないで。そんな返事が頭の中に沸いてきた。何でかって。その声を聞いただけで、身体を支えるために下半身から上半身を貫いている背骨が抜けてしまったかのようになってしまう。耳たぶが熱を帯びて、頭がぼうっとしてくるのが分かる。だから、振り切って立ち上がった。これ以上、彼の声を聞いたりしたら、どうにかなってしまいそうだった。


「だ、大丈夫ですっ」


 そうとはいいつつ、思いきり彼の腕を手繰り寄せるようにして立ち上がる。自慢ではないけれど、力は強い方だ。坑夫として働いているのだから、当たり前と言えば当たり前だが。半ば彼を引きずりこみそうになりながら立ち上がる。


「おっと、力が強いなあ」


「あ、ああ……、鉱山で働いているから」


「レメトッ!」


 ベラの強い声で意識がハッとなる。王子の目の前でつい軽く口を滑らせてしまった。肩が強く引っ張られ、乱暴な別れの言葉とともに引き離される。少しだけ名残惜しくもあったが、ベラの心中も分り切ったことなので、一緒になって王子の視界からあたしたちは姿を消した。

 去り際に御者の顔が目に入る。王子とは対照的に、鋭い瞳であたしたちを睨み付けていた。その耳には、先ほどラルスという男がつけていた蹄鉄と十字架を組み合わせたような飾りとはまた違った飾りのイヤリングが。十字架に向かって槍を左右から突き刺したような。ちょうど磔の刑を表したかのようなものだ。


 蹄鉄と十字架。十字架と左右からの槍。


 何かの紋章なのだろうか。本の虫な代わりに、世間というものをしらないあたし。ベラに尋ねてみたが、彼女も知らないと。ただ、ラルスにしろ、王子の馬車の御者にしろ、関わらない方が身のためだと。同感だ。ただ、あのときの王子からは、恐怖というものを感じなかった。それをベラに言うとこう返って来た。


「あんたは、免疫がなさすぎるんだよ」


 言われてみれば鉱山で、男に囲まれているとはいえ、あたしに対しては皆、娘と接する様な態度。恐らく異性と意識した目で見られるようなことは経験したことがない。


「鉱山の連中は、小さいころからあんたを見てきたやつばっかだから。誰もあんたには色目なんて使わないだろうさ。まあ、使ったらとっちめてやるけど……」


「でも……、悔しいけどあたしも何も感じなかったよ」


 男を見る目は確かだと自身を豪語するベラ。彼女でも王子に対しては警戒心を持てなかったと。


 対して、警戒心を抱かせたのは、あの御者だという。


「あたしも感じた……」


 鉱山で働いている。うっかりその事実を口走ったときに、彼はあたしたちを鋭い瞳で睨み付けていた。

 この国は、家系で一生の身分が決まり、昇進もなければ没落もない。悠久の豪楽に浸る王侯貴族と永久の苦痛に喘ぐ奴隷。そんな悪政が始まったのは先代の国王。つまりは王子の祖父にあたる人物からだという。

 だが、その悪政の根源たる人物もクーデターによって殺された。それから国は、民意を重視するという名目で議会という組織を立ち上げ、国王は政治的権限の一部を議会に譲った。しかし、クーデターも議会も現国王の着任も、この悪政を廃することには結びつかなかった。となれば、現国王もこの悪政を続けている暴君あるいは愚君。そう思っていた。


 だから、あたしは幼い歳で売りに出され、両親とも離れ離れになり、その行方さえ互いに知れなくなったんだ。


 あたしはこの国のせいで。この国の王侯貴族のせいで。


「……レメト、大丈夫か」

「……うん……」


 少し感傷的になりすぎたようだ。石畳の地面にしゃがみ込んでいた。

 雨は降っていないのにあたしの足元だけが少し濡れて、灰色の岩に鼠色のシミがついていた。昔のことを思い出すといつもこうだ。

 たとえ、一緒に暮らせなくてもいい。せめて、娼婦にはなるなと教えてくれたことにお礼だけでも言いたい。それを許してくれないのは、他の誰でもなく王族のせいであるというのに。なぜか王子からは、そんな冷たい気配を一切感じなかった。替わりに感じたのは、触れた手の温もり。


「……、あたしには、あの王子が悪い人には思えない」


 立ち上がり、ぼそりと呟いた。ベラの口からため息が聞こえる。


「あんたがそう思うなら、あたしもそう思っとくよ。どこかでまた縁があるといいわね。王子様と」


 縁、その言葉を聞いたとき、なぜだか少し耳たぶが熱くなった。


 背中越しに行くよと伝えられ、歩き出す。街に出た本来の目的は買い出しだ。坑夫たちの腹を満たす食材を買いそろえて帰らなければいけない。



*****



 政治や地理に歴史、民俗に宗教、経済、経営を取り扱った書物が金箔をあしらった壁一面を埋め尽くす巨大な本棚。その前に大の大人が三人は横に並んで寝転がれそうな、これまた巨大な机がある。

 机の上には辞書や書物が開かれて置かれており、紙面の上でつらつらと踊る羽ペンが。その主は威厳に満ちた顔つきをしていた。だが、その眼はどことなく物憂げ。眉間には皺が寄っており、ううと頻りに唸っている。

 何か考え事をしているようだ。彼の唸る声だけが木霊する単調な聴覚世界。ふとそこに、扉をノックする音が。返事をするとドアを開けて、顎に白いひげを生やし、髪の毛も白い。顔の皮膚は皺が多く、老獪という言葉を具現化させたかのような顔立ちだ。その年老いた男は、ゆっくりと口を開き、へしゃがれた重々しい声を出した。


「これはこれは陛下様、また法令を考えておいでなさるのですか。我々議会も、陛下様の尽力には感服しております」


 机に座っているのはこの国を治める国王。アルドルフ・オーウェンその人であった。

 アルドルフ国王が机上で筆を走らせていたのは国の法令を記したもの。


「レクトール議長、議会は機能しているのか。私がこれまで何度、奴隷制の廃止法案を書いてきたと思っている」


 アルドルフ国王は法改正のための執務に追われていた。


 この日も式典が終わった直後から机に向かい、文言を悶々と考え込んでいる。そこに現れたのがレクトール議長。国王から政治的な仕事を一部任されている副官たる立ち位置の人物だ。


「お気持ちお察しいたしますよ。私も陛下様と同じく尽力してはいるつもりなのですが、どうも議会の連中を取りまとめるのも難しいのですよ」


「……民意を尊重するために立ち上げた組織ではなかったのか」


「ええ、尊重しておりますよ。ですが……、何分時間がかかるということもご理解いただきたい」


 机の上で拳を握りしめ、青筋を走らせる。皺の入った顔で笑われると、敬語のひとつひとつ、そのすべてが慇懃無礼な嫌味にさえ、聞こえてくる。


「この件は引き続きこちらにお任せください。それより陛下様。今朝の王国創立記念の式典の件ですが……」

「また、王子がすっぽかしたのだろう?」


 国王の言葉にレクトール議長は、すかしたような笑みを漏らしてこくりと頷く。


「まさか、カカシを身代わりに逃げて、街をほっつき歩くとは。お陰様で、王子は‘カカシ’という良いジョークが出来ましたよ」


 机の上に置いてある重たい書物が飛び上がるかという勢いで拳を振り下ろす。机の上に置いてあった王冠がごとごとと音を立て、積まれた本の塔は崩れ落ちた。


「……いくら政治にも催事にも無関心で、女子を口説きに行くような愚息でも、王族を侮辱したことには変わりはないぞ。レクトール議長よ」


「そうお気を荒立てないでください。言ったじゃないですか。これは単なるジョークだと」


「そんな趣味の悪いジョークをわざわざ言いに来たのか」


 どうやら、アルドルフ国王とレクトール議長の仲というものは、芳しくないらしい。

 国王が尽力している奴隷制の撤廃法令を議会がさんざん跳ね除けているからだろう。この国の国王は先代の王がクーデターで殺されてからというもの、政治における決定権を議会に剥奪されている。いくら、国王が頭を捻って良法を練りだそうが、議会を通さなければ行使されない政治構造なのだ。自分の要求をひたすらに叩き落とすような男に親しみなど抱くはずもなく、ふたりが同じ空間にいるときは異様な空気が漂うのだという。


 その空気に圧倒されながら、扉の隙間からひっそりと中を覗いているのが、式典をすっぽかした当の本人。エドワード王子だった。傍には王子の執事であるセバスも傍についている。どうやら、馬車を走らせたはいいものの、結局式典には間に合わなかったらしい。


「王子、何をやっているのですか。早く謝りに行った方がいいのでは?」

「い、いや……少々ややこしい御人がいるので」


 アルドルフ国王と同じくエドワード王子もレクトール議長のことを好ましくは思っていなかった。父親の政敵だとか、それ以前に彼の醸し出す底の知れない雰囲気に傍にいるだけで血の気が引くのだという。


「もう、バレてしまっているのですから、腹をくくりなさい。土下座した姿を絵師に描かせて、街中に配って回れば、レクトール議長の態度も軟化するのでは」

「――お前は、レクトール議長と気が合いそうだな」


 そうすると当のレクトール議長本人が伝言を終えてこちらに向き直り、歩き始めた。伝言の内容は、王族直属の護衛という新たな役職を試験的に設けたということ。しかもその役職に就いた人が今から参るということだ。


「それでは、私は少し用事がありますので」


 その言葉を吐いて、エドワード王子が手をあてがっていた扉の前に立つ。

 思わず、エドワードは扉から離れて死角に逃げ込む。扉の両脇に置かれた巨大な甲冑像。扉の右脇にたたずむそれの影だ。レクトール議長は、扉から姿を現すとすぐさまエドワード王子が隠れている場所とは逆方向に歩き出した。どうにか、見つかることはなかったらしい。


「こそこそしても仕方がないでしょう。なぜ逃げるんです」

「いや、お前もしっかり隠れていたよな……」


「どうしたんだい、おふたりさん。こんなところに隠れて」


 知らない声が上からした。ちょうど甲冑像の上からだ。声がした方を見上げると、頭にバンダナを巻いた細目の男が甲冑像の頭の上にあぐらを掻いて座っていた。いつの間によじ登ったのか。それとも天井から降りてきたのか。どちらにしろ、かなりの身軽だ。


「よう、王侯貴族を見下ろすのはなかなかに気分がいいや」


 自身の身軽さに物を言わせて、その男は三メートルはあろうかという巨大な甲冑像の頭の上から大理石の床の上に降り立った。その手の甲にはギラリと光る鉄の爪が。思わず、エドワード王子は敵意の視線を向ける。アサシン風の出で立ちに、自らの命の危険を感じたのだろう。しかし、そんな王子の態度とは裏腹に、その男は気さくな笑みを返してきた。


「まあまあ、そう怒るなって、こう見えて俺は王族直属の護衛係ということになってんだ。名前はラルス・コローネっていうから。よろしく」



 


 城下町の一介に個人が経営している時計屋がある。

 民家の壁という壁に時計がびっしりと架けられたその異様なたたずまいは、目にするだけで一種の戦慄を覚える。この不気味なほど大量の時計に囲まれた民家の門をくぐると、煙草のにおいが充満している。それもただの煙草ではない。それが匂いの時点ですぐに分かる。


「おや、おひでなしゃったね……、だんな」


 時計屋の主人は煙草を口に加えている。

 目の焦点も合ってない、呂律も回っていない。ここまで来れば、彼が吸っているそれが、アヘンを含んでいるものであるということは察しが付く。このアヘン漬けの男のもとをひとりの年老いた男が訪ねて来ていた。


「フランクリン氏よ。例のものはできているか」

「ぼちろんでしゅ……、それより……はひゃくあひぇんをくだせぇ」


「……交渉は、そちらが要件を満たしているということを確認してからだ。アヘンにも限りがある。それに、すべてがあなたを満たすためにあるわけではない……」


「ば……わかりゅましゅた……。しょれはしょれはもう、徹夜でいくつもいくるもちゅくったんでぢゅよ」

「時計であんなものを作るなんて芸当ができるお方は、あなた以外にはおられませんよ。奴隷が挙げた国益を搾り取り、あなたのアヘンに回すのも何ひとつ惜しくない。あなたは新しい国において、それだけの投資価値のある人間だ」


 年老いた男を時計屋の奥の倉へと案内する店主。倉の扉を開けると中にはこれまたびっしりと並んだ時計の数々が。そのどれもがある仕掛けを施されているという。


「設計図は?」

「ここにござびます……」


 年老いた男は、羊皮紙に書かれたその設計図に目を通し、感嘆の息を漏らした。


「……よくもまあ、思いつきましたね、こんなもの。あなたにアヘンの味を覚えさせ、洗脳させた甲斐がありましたよ。ゼンマイ仕掛けのからくりなど昔からあり、仕組みも難しくないというのに。どうしてこれを思いつかなかったのか」


「設計図通りに火打石ど脂を染み込ましぇた紐、火薬を組み合わしぇれば、だりぇにでも簡単につくりゅことができましゅる……。そして、だんなの計画に必要な数もこの通り……。ここにあるのは、……じぇんぶで、はっぴゃぁっくもの時計仕掛けの爆弾でござりましゅ!」


 自慢げに高らかに声を上げる店主の腹を刃が刺した。


「お疲れさまでございます。フランクリ氏」


 店主の腹に刃が食い込み衣服に血が滲む。刃を伝ってぼたり、ぼたりと石の床に赤い滴が落ちる。店主は膝を折り、その場に崩れ落ちる。


「こ……、これは……」

「すみません。残念ながらもうあなたにアヘンを貢ぐ必要もなくなった。結構、拷問研究会の予算を圧迫していてね」


「……だ、だんなしゃっきは……、わたしのこと……を……、価値ある……存在だと……」

「ええ。だが、覚えておきなさい……」


「人の価値は所詮時価だ」


 崩れ落ち、跪いたその後頭部、延髄に刃が振り下ろされた。首の神経が断裂し、店主は冷たい屍となって倒れた。


「交渉成立。そして、契約終了だ」


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