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一騎打ち

 エドワード王子の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。なぜだか、しばらく見つめ返され、互いに出方を見るようなにらめっこが続いた。そしてやがて、根負けしたといったところか。ふて腐れた笑みを漏らす。


「逃げろと言って逃げなかった次は、自分から行くと言い出したか。全く手に余るやつだな……」


 そんな言い方をしなくてもいいのに。顔を膨らませた途端、彼は神妙な顔つきをする。本当は行かせたくない。顔に分かりやすいくらいに書いてある。彼がそう望んでいると分かると、どうしてだか踏みとどまってしまいたくなる。


「いいか。本当に危なくなったら、自分の身だけを守って逃げろ」


 だが彼の口から出てきた言葉は、両方の間を縫うような言葉だった。


「僕は、君の生き方を尊重したい。でも……。命よりも大きな大義があるなんて美談はもう沢山だっ!」


 続いて出たのは、半ば怒鳴るような叫び声。叫んだあと、彼の肩が上下し、荒い気とともに頬に一筋の河が流れていた。拳が握られて、青い筋が走っている。理解した。彼もまた、あたしと同じく置き去りにしたものがあったのだと。そしてもう、何もとりこぼしたくないのだと。彼がラルスとともに、登った塔は無残にも瓦礫の山。彼らふたりだけがここまで帰って来た。

 すべては知れない。彼を掘り返して、彼と同じ気持ちになれるとも限らない。だから、黙って頷くしかなかった。


「セバス、レメトを引いて泳げ」


「だ、大丈夫ですよ自分で……」

「右肩に穴が開いている人に言われてもね」


 皮肉を言うセバス本人も脚をやられている。セバスに続いてラルスが昇ってきた縄を伝って人工湖の湖面へと降りてゆく。「鉱山を頼む」ベラが屋上から、あたしたちを見下ろして言葉を託してくれた。残念ながらこれ以上腹を刺された彼女を連れまわすわけにはいかない。湖面にたどり着く。脚に心臓に悪いくらいの冷たい水が絡みついてきた。思わずいかり肩になってしまう。


「しっかり捕まってくださいよ」


 苦い顔をしながら、あたしの肩を抱えて泳いでいく。

 こちらも脚を動かし、なんとかセバスの負担が軽くなるように努力する。まだ塞ぎきっていない脚の傷に、冷たい水が沁みているのだろう。城下町のある対岸に、堀へと降りていく階段がある。そこに向かってふたりして必死に脚で水を掻くのだった。


 背中越しに愛しい声が聞こえる。対岸に向かって大きな声を出している。分断された石橋。突如として現れた大きな谷に飲み込まれてしまった者も少なくはない。動揺しているのも分かるが協力してくれと。


「友愛会の者たちよ。よくぞ争いを止めてくれた。国を動かす王家でありながら奴隷制の撤廃への尽力がが欠け、民の怒りを買ってしまったこと、深くお詫びをいたす」


「そなたらの上に立つ王家の人間として、足らない行為であった」


 振り返ると、エドワードは屋上から深々と頭を下げていた。治まりつつあった騒動の影が、見られなくなるほどの静寂が訪れる。


「見ましたか、あのバカ王子が下げましたよ。空っぽの頭を」

「あなた本当に王子の世話係なんですか……」


「人の上に立ちながら、下々の者に頭を下げる。そんなこと権力に溺れるということすら知らないバカだからなせるワザですよ」


 辛辣な物言いに隠された本当の意味。セバスは皮肉屋らしい。


「今一度協力してくれ。この城に逃げ遅れた者たちを助けてほしい。ありったけのボートを湖面に浮かべ、全ての人間を脱出させてくれ」


「奴隷制の勢力がマインゴールド鉱山へ逃亡した。今からその討伐に向かう。皆の仇を討ち、ここに帰る」


 すこしの間隔を置いて、群衆は王子を称えてどよめいた。

 王子が、エドワードが、初めて国民の上に立つ王としての産声を上げた瞬間だった。対岸にたどり着いたあたしたち。もう、この距離では王子の姿は小さく見えるが、もう頼りないとは思えなくなっていた。


「ありがとうございます。セバスさん」

「ずっと、王子のことを見ていたな」


 濡れた身体を拭きながらのっけからその一言。真っ赤になってしまった顔をぶんぶんと横に振るも無駄な努力だ。泳いでいる最中も水音よりも彼の声を。頻りに振り返りながら彼の姿をこの瞳に焼き付けていた。


「気を付けてくださいね。あのバカ王子、生粋の女たらしですから」

「ほえ……?」


「この前も私の目の前で喫茶店の女店主を口説いてましたからね」

「は、はあ……」


 そのまま、あたしの目の前で王子の文句をつらつらと。苦笑いに顔が歪むも、不思議とそこまで嫌な気はしない。セバスが彼のことを本当に嫌ってるなら、こんなことわざわざ話さないだろうし。


 ――何より、王子のことをよく見ている。


「ま、要するに奔放なくせに頼りないところがあるスケベ王子なんですよ。だから……あのバカのこと目を離さないでやってくれ」


 それにむしろ嫌いというより……。


「誰がスケベ王子だ」


「ぬぁっ」


 背後にびしょ濡れのエドワード王子が。セバスの愚痴を聞いている間に泳いでたどり着いたらしい。水温で体温が奪われたのか、ここまで全力で泳いできたからか、息が荒い。


「出まかせを言うな。訂正しろ! セバス!」

「出まかせは言ってませんよ。彼女が嫌がるだろうなと思った王子の所業を、私なりの偏見と脚色を加えて、洗いざらい話しただけです」


「悪意の塊じゃねえかっ!」


「レメト、今聞いたことは全て嘘だ、大嘘だっ! 今すぐ忘れろ。忘れるんだ!」


 あまりにも彼が必死なものだから思わず笑ってしまった。お腹が痛くなってしまうくらいに笑った。別に責めるつもりはない。この状況の緊張感を微塵も感じさせない、ふたりのやり取りがたまらなく心地いいのだ。そんなあたしを見て、彼は顔を歪めている。対するセバスはしたり顔だ。


 笑える。あたし、まだ笑えるんだ。だからきっと大丈夫。きっと全てうまくいく。


 セバスが親指と人差し指で三角形を作ってそれを口に加え、指笛を吹く。するとぱからぱからと軽快な足音を立てて、一頭の馬がやって来た。彼の愛馬だという。名前はレイダ、雌馬だ。鞍に慣れた様子でまたがる。そっと差し伸べられた手を手繰り寄せ、彼の広い背中を抱き寄せる。セバスがそっと馬の鼻をマインゴールド鉱山の方角へと向けた。息災を願って、文字通りの馬のはなむけだ。


「騎士団の後ろ盾は使えない。死なないでくださいよ、バカ王子」

「そっちもな」


 互いに言葉の綾を交わし合った後、あたしたちは鉱山へ向けて出発した。騎士団は団長のハロルドをはじめとして拷問研究会の手足だ。鉱山には単騎特攻で向かうというわけだ。心細くはあるが、ここまで来て引き返せなどしない。


「しっかり捕まってくれ」


 言われるがままに腕の力を強めた。少し照れくさい。背中越しに彼の鼓動が速くなっているのを感じる。そして、あたしの心臓も呼吸を合わせて速まっていく。

 馬の動きが大きくなる。流れる地面、吹き付ける風の強さ、混じる砂が身体を打つ痛み。ふたりを乗せた馬は、鉱山に向けて急げる限り急ぐのだった。


「なあ、セバスにはなんて言われてたんだ」

「え?」


 だだっ広い荒野の殺伐とした風景。風に舞う砂が目に入らないよう目を細めていると、急に背中から声が聞こえた。


「エドワード王子のこと女たらしだって、喫茶店の女店主を口説いてたとか」

「セバスのやつ、余計なこと言って……」


 砂と岩だらけの代わり映えのしない景色に退屈しのぎだろうか。


「ねえ、セバスさんとは昔からああいう感じなの?」

「ああ。昔っから世話してくれてたからな。あいつには敵わない。――どうして、そんなことを?」

「口では喧嘩ばかりしてるのに、なぜかそれが嫌に感じない。不思議な関係だなあって」


「なあ、セバスに言われたこと気にしてるか?」

「……ぷっ」


 結局はそこを聞いて来るのか。思わず噴き出してしまった。

 確かにセバスの言う通り頼りないところがあるかもしれない。彼はそんな小さなことを悶々と考えていたのだから。


「気にしてたらどうだって言うの?」

「そ、それは……」

「エドワード王子、あたしの気持ちは変わらなかったよ」


「……、おこがましいけれど、王子の傍にいたい」


 それでも、自分の言葉に嘘はない。――そう。今もこうしているみたいに、彼の体温を感じて、鼓動に耳をそばだてて、声を聞いていたい。胸元に挿した彼からもらった一輪花。そう、あたしを突き動かしていたのは、自分の中にある強さなんかじゃない。


「……、レメト。僕も同じ気持ちだ」


 彼の想いと、彼への自分の気持ちだ。噛みしめるように腕の力を強める。荒野に吹く夜風の冷たさが彼の温もりを強調してくれた。


「湖面で君の勇ましい声を聞いた。今も耳に焼き付いて離れない。逃げろと言ったのに勝手に大勝負して目の前で友愛会の暴動を止めた。――たまげたよ。せっかく人が守ろうとしてるのに、戦地に出向いて大義を成し遂げた」


「君を出し抜くには苦労しそうだ」

「なに、その言い方……」


「悪い。君が生きているだけで、自分も頑張らないとと思えるんだ。だからこそ……君がいれば、何処までも走っていけそうな気がする」


「レメト、僕は王として国を引っ張っていかなければいけない。誰よりも速く走らなければいけない。――だからレメト、僕の傍にいてくれ」


「――考えておく」


 嬉しいけれど、やっぱり彼のように「傍にいてくれ」とはあたしは言えない。

 「傍にいたい」という願望までだ。文通してた仲とはいえ、王子の隣にいる人物として今のあたしでは、とうてい足りない。


「え?」

「王様の愚痴は多そうだ。それに、自分が頼まれたとしても、ただで王子の傍にいれるだなんて思っていない。王子に相応しい人間になれたら、そのときに」


 笑われた。君は君だ。気負う必要なんてない。

 そんな言葉を並べられたって、あたしは奴隷で彼は王子。悪いところかもしれないけれど、一度納得がいかないとなると頑固にならずにいられない。


「でも……、その考え方君らしくて好きだ」


 ――地平線の向こうから光の泉が沸きはじめる。

 夜は終わりをつげ、群青色の空は少しずつ青みを薄めて太陽を迎え入れる準備をし始める。やがて朝焼けだ。茜色の光の中にうっすらと山々とそれに隣接した集落が見え始める。

 ほんの数日しか離れていなかったがひどく懐かしい。


「……。いよいよマインゴールド鉱山が見えて来たな」


 ゴーシュを始めとして、鉱山の皆は無事だろうか。ここに来て不安が募り始める。拳を握りしめ、静かに祈る。彼もより一層馬を速める。ここに倒さなければいけない、奴隷制の後継者がいる。騎士団長ハロルド・タークが。


 鉱山の近くの集落に見慣れない垂れ幕が掲げられているのが目に入った。十字架に槍が左右から斜めに交叉している。拷問研究会の紋章だ。表向きには王国騎士団の紋章となっているらしい。だが、近づけば騎士団の陣営などというものではないことは明らかだ。その垂れ幕より上に巨大な十字架が伸びている。それが目に入った瞬間、悪い予感がした。とんでもなく悪い予感が。


「……っ!」


「おい、レメトっ!」


 思わず馬を降りて走り出してしまった。昇り始めた朝陽の逆光でよく見えない。だが、自然と足並みが途絶える。目の前の空高く伸びる十字架に掲げられた事実の残酷さに。そこには垂れ幕に描かれた紋章が暗に示す磔の拷問を受けている者が。


「レメト、急に走り出すからびっく――」

「……、ゴーシュさんっ!」


 この鉱山に来てからずっと父親のように接してくれた人物が、猿ぐつわをかまされてそこに縛り付けられていた。死に至るまで時間のかかる拷問として有名な磔。まだ、ゴーシュの息はある。しかし、その縄を解くには縛られている位置が高すぎる。手なんて届いたものじゃない。


「邪魔立てをしてやるな」


 必死に手を伸ばしていると、背後から男の声が。フードを深くかぶった男が、口元だけを吊り上げて笑っている。見ているだけで寒気がするほど冷たい笑みだ。男は深くかぶっていたフードを取り去り、その顔を露わにする。年齢は三十代半ばといったところだろうか。顔の堀が深く、眉間にしわが寄っている。


「そいつは、鉱山の皆の命を自分たったひとりの背中に背負うと言ったんだ。奴隷のために命を売るなんざ、並の芸当じゃねえよ」


「騎士団長、ハロルド・ターク。レクトールからの奴隷制の後継者だな」


「エドワード王子、あんた殺されるはずだったのに、こんなところまで。文通なんぞしこしこやっていた女たらしが、随分とあっぱれじゃないか。友愛会と拷問研究会の中心人物として、二足の草鞋を履いた努力を返してくれ」


 陣営の垂れ幕の中から騎士団の面々が続々と姿を現し、縄でくくられた鉱山の抗夫や使用人たちをまるで物のように荒れた大地の上に投げ飛ばす。男も女も胸部を地面に強打し、顔を歪めながらも起き上がることが出来ない。地面に転がるのみだ。


「れ、レメト、どうしてここに」


 縄でくくられた坑夫のひとりが口を開くと同時に、眼前に剣先が突きつけられる。


「おっと丁重に扱えよ。お楽しみはあの磔の男との口約束で、お預けということになってるんだ」


 既に縄でくくった上に、地面に転がしておいてなにがお預けだ。


「まったく、鉱山の労働力は使えると思ったが誰ひとりとして、つるはしを持とうとしない。強硬手段に出ようとしたら、あのハゲの男が自分を生贄に手を出さないでくれと。その代り、人質がここに戻ってきたら解放して欲しいと。とうてい無茶なギャンブルだと思ったが、――どうやら俺は賭け事に運がないらしい」


 ゴーシュは自分の身をゆだねる代わりに他の皆の命の保証を。さらにすべてが救われる条件として、あたしの帰還に賭けていた。そうまでして、この鉱山の皆を拷問研究会に引き渡そうとしなかった。


「ハロルド、一介の平民の賭け事に付き合うのは癪だろう」

「そうだな。約束を違ってここで皆殺しにしてもいいくらいだ」


 エドワード王子が腰に挿した剣に手をかけて、ハロルドの前に躍り出る。ハロルドは大男だ。王子がハロルドの前だと小さく見えてしまう。


「ならばここで、この新国王たるエドワード・オーウェンとの賭け事に付き合ってみないか?」


 剣をゆっくりと引き抜き、大きく一振り。刃が朝陽を反射してきらきらと光っている。無茶な賭けだ。彼が持ち出そうとしているのは間違いなく。


「エドワードっ!」


 声を出したあたしに彼の真っ直ぐな瞳が向けられた。思わずその先の言葉が詰まってしまう。

 たとえ無謀と思えても、僕を信じてくれ。彼の瞳がそう言っていた。



「ハロルド騎士団長、僕と勝負しろ。一騎打ちだ」



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