再び鉱山へ
ラッパの音が鳴り響く。
暴動の始まりを知らせるものとは節が違う。攻め方を止める合図。
そう聞こえたと言えば、甘えた願いと言われるだろうか。
――だが、その合図を機に、喧騒はぴたりと止んだ。ラッパの音色を聞いた者たちが、暴動の手を止め、往生際の悪い者たちも取り押さえられた。
友愛会の暴動の波は収まりはしたものの、まだ全てが終わったわけではない。右の肩口に深く突き刺さった矢。傷口を広げぬよう、真っ直ぐに引き抜く。雄たけびと荒息で痛みを紛らわし、どくどくと流れ出る血を左の手で鷲掴みにして押さえる。ゆっくりと上体を回転させ、うつぶせの状態になる。朦朧とする意識を奮い立たせる。肩を激しく上下させ、膝をがくがくと震わせながら何とか立ち上がる。
「大丈夫かっ」
くっきりとし始めた視界の中に、全身に傷を受けた男が現れる。騒ぎが収まったのをきっかけに、セバスが屋上まで様子を見に登って来たようだ。右手のレイピアには血がびっしりとこびりついており、もうそれ本来の切れ味は発揮できそうにない。刃先を拭き取る暇すらなかったのだろう。
「だ、だいじょ……、えっほ……えほっ」
「レメトっ、大丈夫か」
喉に激痛が走り、跪いて嘔吐いてしまう。どうやら声帯を酷使しすぎたようだ。喉が熱湯を流し込んだ後のように激しく痛む。
「レメト、大きい声はもうしばらく出すな」
「でも、まだ終わっていないんです……」
よろける肩をベラが支えてくれた。目の前で自分より傷のひどい人が平気で立っているのに、自分の身体はなんて脆いのだろう。だが、そんなくだらない悲観をしている暇はない。
「セバスさん、友愛会の皆さんに伝えてください……。身に着けた時計を捨てて、この城から逃げるよう」
「分かってる」
ラルスに仕掛けられていた懐中時計を改造した時限爆弾。それが友愛会の皆に持たされ、時限爆弾として使われている。
あたしの声はもう使い物にならない。その状況を踏んでセバスが拡声器を取り、塀の上に立った。左手には、懐中時計が握られている。ラルスが首から下げていたものだ。
「皆の者、侵攻を踏みとどまってくれたこと、誠に感謝する。もうひとつ聞いてはくれないか。いや、見て欲しい」
「こいつは、友愛会のラルス・コローネが持たされていたものだ。皆がこの城に仕掛けられた時限爆弾の爆発時刻七時十三分を確認すべく持たされていたものだ」
左手の懐中時計を高く掲げる。友愛会の皆は誰もがそのためのものだと信じていたが、実態は違った。
「こいつは狂っている。三十分ほど早い。歯車にゼンマイがかませてあり、少しずつ一時間の長さが短くなる。どうしてこんな小細工がしてある?」
「時計を進めてみよう」
人差し指でてっぺんのネジを回し、時計の時間を進ませる。
「時刻は七時十二分。審判のときまで間もなくだ」
そして、大きく振りかぶって、人工湖の湖面へ向けてそいつをぶん投げた。
懐中時計は湖面に触れるか触れないかのところで、火を噴いた。時計そのものの大きさをまるで度外視したかのような大きさだった。友愛会の面々は、そのきのこ雲が語る真実を理解した。
自分たちは革命の戦士などではない。ただの代償だったのだと。
「時計を捨てろ。それはレクトールの呪縛だ。この城をもぬけの殻にしろ。もうこれ以上、誰も奴の爆弾で死なすな」
セバスが左手の拳を天高くつき上げる。空を無数の懐中時計が舞った。湖面に無数の波紋が作られる。友愛会がレクトールの人形から脱却した瞬間だった。だが、それさえも地獄の底から、彼が嘲笑ったのだ。
城の背後の塔が爆炎に包まれる。巨大な燃え盛る火柱となった塔は、瓦礫の雨を降らせた。だがその爆発に気を取られている隙に、最も恐れていたことが起きた。今度の爆裂音は真正面から。こともあろうに、城と城下町を結ぶ唯一の道である石橋が破壊されてしまったのだ。
「なんてことだ」
石橋は見事に真っ二つだ。石橋の中心付近にいたものは、爆発により消し飛んでしまった。多くの犠牲を産んだだけでなく、この城自体が人工湖に浮かぶ孤島となってしまった。審判のときよりも、ずっと早いこのタイミングで石橋が断裂。友愛会の皆が人間爆弾となって、城を破壊することが確実となるよう、城の中に閉じ込める。最初から、レクトールはその算段だったのだ。
「人間爆弾は防げても袋の鼠か」
ベラがそう漏らしたとき、屋上に向かって鉤針が飛んできた。鉤針は塀のふちをがっしりと掴み、やがて人の体重がかけられる。驚くほどの速さでするすると登って来たのはラルスだった。人工湖から這いずり上がって来たらしく、びしょ濡れだ。地下道で別れて、爆発した塔の中へと向かっていたのは、ラルスとエドワード王子。火柱と瓦礫の山と化した惨状を見たあとでは、生きていること自体が不思議に思えた。同時に、心から生きていて良かったとも。
「しょげているところすまんが、新しい情報だ」
登り終えると屋上から手招きをする。数十秒ほど遅れて彼が屋上まで上がって来た。ラルスと同じく、びしょ濡れだった。
「エドワードっ!」
その姿を見た瞬間、思わず声が出て、思わず走り出してしまった。彼がのけ反って倒れてしまうんじゃないかっていうくらい強く抱き付いた。
「よかった……、よかった……」
そう言うと彼の、あたしより一回り大きい手が背中の後ろに回された。その瞬間、自分を立たせていた強がりが音を立ててガラガラと崩れた。
あたしは膝を折って、彼にもたれかかった。頬に熱い川が流れるのを感じる。
「無事だったんだね……、エドワード」
たとえ、声を出すたびに喉が痛んだとしても、出さずにはいられなかった。
たとえ、腕を動かすたびに肩口の傷が動こうとも、その肩を抱きしめられずにはいられなかった。胸ポケットに挿した、彼が送ってくれた赤い薔薇が心臓の拍動と声を合わせて熱を帯びる。
だが、名残惜しくも抱き寄せた肩を離されてしまった。上目遣いで彼の顔を見やる。目つきが鋭い。怒っていた。
「逃げろと言っただろ」
「……、ごめんなさい」
謝ったがすぐに、謝らなくていいと言われた。たった一言だけ、心配させるな。その一言を言いたかっただけだ。君は間違ったことなんてしていない。そう言って再びあたしを抱きしめたとき、肩がわずかに震えていた。それが分かってしまったとき、どれだけ大義をなしても、自分の勝手な行動を恥じずにはいられなかった。あたしは。あたしは……。
――大好きな彼に、心配をかけてしまったのだと。
「お熱いところすまないが、すぐに向かったほうがいい」
ラルスの一言で再び彼の目つきが変わった。今度はベラの方にも目配せをしている。その瞬間にあたしの勘が悟った。あたしとベラの共通項、マインゴールド鉱山。奇しくも、その勘は当たることとなる。
「マインゴールド鉱山に奴隷制の幹部が向かった」
彼の口からそれを聞いた瞬間、あたしを鉱山に売った地主のヤニくさい息と憎たらしい声が五感を通して蘇ってきた。
『……、マインゴールド鉱山の奴隷に、おもてなしだよ。お前らを人質に取れば、誰も抵抗はすまい』
奴隷制の幹部はこの喧騒から身を退くために、鉱山に移った。あの地主は、あたしを人質に鉱山に奴隷制の幹部を常駐させるつもりだった。いや、あの地主自体、拷問研究会の差し金だったのだろう。だとすれば、あたしは今知っている拷問研究会の情報を彼に伝えねばならない。
「後継者の名前は……、ハロルド・ターク……」
エドワード王子とセバス、そしてラルスもその名前に目を見開いた。その名前は三人が知るところだった。だが、エドワード王子とセバスが知る名前の意味と、ラルスが知る名前の意味は違った。
「騎士団長ハロルド・ターク」
王族関係のふたりは、表向きの役職を知っていた。
「友愛会の次期総統をレクトールから任命されていた。俺が友愛会に流す情報の仲介をしていた相手」
「あのフードの男だ」
もうひとりは、裏の顔を。同じ友愛会の仲間として。いや、自分を騙したもうひとりの怨敵かも知れない。そのフードの男は、エドワード王子の手紙の偽装に関わっていた。あたしを毒殺犯に仕立て上げようとした男でもある。そして奴隷制の継承者という情報をあたしが加えた。すべてが繋がった。
あたしとエドワード王子の仲を利用した者がいる。鉱山で、あたしたちの仲間に危害を加えている。帰らなければいけない。一刻も早く帰らなければいけない。
「エドワード王子……、あたしを鉱山に連れて行って」