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罪と償い

 骨まで食い込んでいる。外せそうにない。厄介だ。ラルスは男の容態を確認し、ため息を頻りについている。腰に力が入らない。どうして、あたしはその男の姿を見た途端、脚が止まってしまったのだろう。


 思うつぼだ。これでは、思うつぼじゃないか。


 老獪な笑い声が耳の奥、鼓膜を叩いてくる。狙い通り、動けなくなっているあたしたちを見て嘲笑っている。

 ――もうかれこれ数分。ここで足止めを喰らっている。目の前でつり天井の重みに身体をじりじりと引きちぎられていく男。彼を助けたいという‘都合のいい言い訳’で弱さに押しつぶされる自分をよしとしているだけだ。


 分かってる。分かってるのに薄情になれない。


「姐さん、うすうす勘付いていると思うが……」


 ラルスはベラのことをいつの間にか‘姐さん’と呼ぶようになっていた。それを嫌がるでもなく、ただ静かに肩を震わせながら頷くだけ。

 あたしは、そんなふたりの背中を眺めることしかできない。ふたりに囲まれながら、拷問されている男の四肢が伸びる。骨がきしむ。男が喚く、喘ぐ。


「うぁああああああああっ!」


 張り裂けるような金切り声。

 

 ラルスは小声で言ったようだが、聞こえていた。いや、正しくは聞こえていなくとも分かった。男の身体はもう限界だ。

 神経が馬鹿になってしまって先ほどの叫びも、痛みからではなく死への恐れから来たものだと。全て男の様子を見れば分ってしまう。なのにそれをあたしに聞こえないようにふたりは小声で話した。そして、そんな優しさに感謝してしまっている自分。


 そんな自分が自分で情けなくて……、不甲斐なくて憎い。憎い。

 分かってる。分かってるのに、身体が動かないんだ。


 これは罠。罠なんだ。

 目の前で喘ぎ苦しむ男を置き去りにしてここを進めばいい。

 ここをくぐり抜けた先に待ち受ける大事に比べれば、目の前の男の命など天秤にかけるにも値しないはずだ。


 ここで渋っていれば男の四肢がちぎれて、あたしたちは吊り天井の下敷きになる。それが奴の、レクトールの狙いじゃないか。


『笑いものだな』


 心の中に、知らないのに知っている年老いた男の老獪な声が響く。この罠を仕掛けて足止めをしている主だ。


『ここで動けないでいるお前が、国をひっくり返すだと? こんな笑い話があるものか』


『お前はすべての命が救えると思っている甘ちゃんだ。だからそんな思い上がりが言える』


 色素の抜けた白く長いひげの生えた老人。顔が皺だらけだが、目蓋の奥から覗く瞳は鷹のように鋭い。声色は地獄に身を落とした堕天使のそれの様。地を這って足元から絡みついて来るような響き方をする。


 年老いた男は屈み込んで、冷たい手で項垂れているあたしの頬を撫でてきた。

 いたわって撫でているのではない。むしろいたぶって、なぶっているくらいだ。


『自分の両親を見過ごしたくせに、守れなかったくせに、目の前のもう助からない男を捨てられない。ここで捨てられずに死んでいくことが、お前の弱いくせに自分が強いと居直る偽善者への戒めさ』


『国をひっくり返すなどという大義が見えている者は命の価値が等しくないことを弁えている。この国には正義ではなく、そんな度量が必要なのだよ』


 見捨てればいい。目の前の男を見捨てろ。そうしたら、あたしはこの先に行ける。この先に行けるんだ。なのに。なのに……。


『さあ? どうする小娘? ――見捨てればいい! お前が両親を守れなかったようになぁあっ!』


 ……。ちが……う……。


「……、違う……」


 何が違うのだ。年老いた男は笑った。


 違わない。ああ、少しも違わない。


 奴の中ではどう言っても、あたしは弱い。勝てっこない。

 ここでつり天井に押しつぶされても、喘ぐ男を見捨てても、あたしは勝ったことになんかならない。これは負け戦なんだ。

 どう行動しても、どう言い返しても、あたしの思い上がりにしかならない。


『何が違うという?思い上がるな。お前が大事をなせるわけもない』

「……、だったら思い上がりでいい。とんでもない我儘でいい」



「あなたの所に着くまで、思い上がってやる」



 含み笑いを漏らす幻影を振り切って立ち上がる。

 薄情者。両親に飽き足らず目の前の男までも見捨てて殺した。何とでも言えばいい。どれだけ蔑もうと、そんな汚れでは、あなたの足元にも及ばないのだから。


「ベラさん、ラルスさん。行きましょう」


「……、レメトお前……」

「どうしてもバツが悪くなったら、あたしを気絶させるつもりでしたか?」


 ベラの瞳がきゅうっと小さくなる。図星だったのだろう。ラルスはやれやれと額を手で押さえている。


「そんな庇い方されても、あたしは自分の良心が守られたなんて思いません」

「……、覚悟を決めたのか」


「そんな大それたことは言えないです」


「ただ……顔も知らない。姿を見たこともない。なのに許せない、絶対に許すものかと思った人の顔。それをこの眼に収めるまで、死ぬつもりなんてありません」


 結局憎しみか。笑えばいい。呆れてため息をつけばいい。

 あなたがどれだけ、あたしの道に壁を立てようと、罠を仕掛けようと。生きてやる。


 生きて、生きて、生き抜いてやる。それが、あたしの抵抗だ。


 拷問台の上で四肢を伸ばされるづけている男の額に、あたしは手を置いた。それで、この男の苦しみが少しでも和らぐようにと思ったなんて言うつもりはない。


「あたしに、あなたを助けることはできない。あなたの痛みを取ってあげることもできない」


「その上、これからあなたをここに置き去りにして逃げるのです」


 あたしは今からこの男を見捨てる。どう言い訳をしようと、それは変わらない。


「だから、あたしが憎いと思うなら恨んでくれて構わないです。ただ、あたしはこの国を変えてやります。もう……あなたや、お母さんやお父さんのような人を増やさないために」


「あたしが信じられないというのなら、どうぞ化けて出て。いっそ、呪い殺してくれたって構いやしないです。――ただせめて、これだけは言わせてください」


「ごめんなさい」


 優しい人と思われたかっただけかも知れない。

 心の奥底から絞り出すように声を出しても、捨てられた人に、そんな浅はかな思い上がりは通用しない。


 非情だ。薄情だ。部屋を飛び出して、吊り天井の外へ。


 最後に一瞬だけ見えた男の口元が、少し笑っていたように見えた。

 勘違いだ。救われたいと願った、あたしの錯覚だ。


 背後で地響きとともに吊り天井が落ちた。――男は断末魔すら上げなかった。


 あたしは、冷たい涙を流した。


 贖罪か。いいや。赤子のそれと変わらない、我儘な涙だ。


「レメト、お前は悪くない」

「そんなこと言わないでください。ベラさん。あたしが、そう言って欲しいように思えましたか」


「意地を張るな、レメト」

「意地を張ってなんていません。あたしは自分が無力であることを悔いているんです。気付かされたんです。無力は立派な罪だ。あたしは、あの人を殺してしまった。だから、その罪を受け止める。そして……、これ以上重ねない」


「このまま、やられっぱなしなんて大罪も甚だしいわ」


「……、レメト……」


 ――それからまた続く深い地下の迷路。

 先ほどまでの暗くて狭いただの通路から、無残な姿の死体が転がるおぞましいものに変わっていた。まるで神話か冒険小説に出てくる死の迷宮そのものだ。拷問研究会の玩具にされた亡骸がごろごろと転がっている。

 そして、生きた人の気配は感じられない。


「レクトールが口入をしたようだな……。転がっている死体は、そこまで日が経っていない。ここは、もぬけの殻だ……」


 レクトールの計画する奴隷制の継承の手筈が着々と進行しているのなら、奴隷制を守るための悪性の中心となる人員は、友愛会の襲撃を逃れなければ行けない。もうこの拷問研究会の拠点を逃げているというのか。


 ここはもぬけの殻。転がっているのは、遊びを終えた亡骸ばかり。


「……俺はレクトールをこの手で殺すと誓ってここに来たというのに。空しいな。レクトールは計画の中に、自らの死を計算に入れている」


 ラルスの言う通りだ。奴を殺しても、奴の計画を止めたことにはならない。奴が見定めた奴隷制の後継者を探し出さなければ無意味だ。まるで自分たちが赤子のように思えてくる。

 無力だ。そして奴の掌はあまりにも巨大だ。


「ラルスさん、でもここは進みましょう。レクトールに会えば何か掴めるかもしれません。この先が城に繋がっているのなら、あたしのせいで厳戒態勢になった王城への唯一の侵入口のはずです」


 互いに見合って頷く。ここで立ち止まっていては、レクトールだけでなく、置いてきた命にも笑われることになる。そしてここに渦巻く無数の怨霊たちにも。だから先を急いだ。まだ赤黒い血が滲んだ水たまりを蹴って。


「誰かいるのか」


 声がした。さっきの足音を聞かれてしまった。まだ見張りを残していたか。――だが、それにしては少しとぼけたような声にも感じ取れた。


「レメト、レメトじゃないかっ」


 その声は、あたしの名前を知っていた。


 そしてその姿が目に入る。ベラもラルスも驚いた顔をしていた。

 だが、驚く間もなくまず真っ先に、あたしはその胸に飛び込んだ。――悔しいかな。強がりが解けてしまったようだ。彼の背中に腕を回し、抱きしめる腕がどうにも止まってくれそうにない。


「エドワード王子、会いた……かった……」


 なんでそんなことを言ってしまったのか。エドワード王子にとって、あたしは毒草を送り付けた暗殺者なのかもしれない。軽率にもそこまで配慮が回らず、ただ気持ちの向くままに王子を抱きしめたというのか。


 分らない。初めて街で顔を見たときも感じた。この気持ちは何なんだ。


「……、僕もだ……。でも今は申し訳なかったと思っている。僕が不甲斐ないばかりにレメトをはじめとして、多くのものを苦しめてきた」


「すまない。知らなかった。何も知らないままで生きてしまったことをひどく悔やんでいる。レメト、俺はお前を苦しめるだけのこの国も。父上が頭を悩ませてきた悪政も。全て……知らないという理由だけで薄情にも見捨ててしまった」


 肩が震えている。国を背負う王子というには幼く見える。

 苦しんで、のたうち回っている。大きいくせに頼りない背中。でも感じる。その背中は温かい。


「……薄情者はあたしもです」


「ここに来るとき、ひとりの男を見捨ててきました。ベラさんは、あたしを悪くないと。でもあたしは……そんな思い上がりで自分の良心が守られたなんて思いたくない。それこそレクトールに勝るとも劣らない偽善者だ。――だから、エドワード王子。どうか、あなたも思い上がらないでほしい」


「あたしの無力さが罪であるならば、あなたの無知も立派な罪となる」


 そのあどけない瞳を精一杯の眼力で睨み付けてやった。


 知らない。知らなかった。


 そんな言葉を自分の罪を和らげるためなら使ってくれるな。複雑な感情が沸き起こった。


 少し苛立っているのに。苛立っているからこそ、それを正しいと思う方向へと導いてやりたい。そして同じように、あたしが間違ってしまったら、王子にはそうして欲しい。それを触れた肌の温もりに期待してしまう。


 顔に紅い血潮が満ちていくのを感じる。何だろう。この気持ちは。

 小説や絵本で親しんだ恋だと言うのか。奇妙だ。しおらしく静かに咲くような花ではない。力強くも禍々しいとまでも思えてしまうほど。生に対する執着が沸いて来る。


「だからともに行きましょう。その罪を償うために」


 例えるならば、気高い生命を謳歌する一輪花。――棘の鋭い薔薇だ。


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