幕間:ヒロインの友人は
北国であるアレティノ公国に、四季の気候差はほとんどない。しかしいくら年間の平均気温が低かろうと、真夏となればこの国もそれなりに夏らしい表情をするようになる。
カラーン、カラーン、という軽やかな鐘の音と共に、時計台にとまっていたいた夏鳥たちは白い羽を羽ばたかせて青空へと舞い上がった。その下では、午後の授業が終了した生徒たちの波がちらほらと校舎から流れ出てきている。
その波の合間を縫って、緑の植え込みに縁どられた白い石畳の道を、1人の少女が駆けていた。
「エレナ!今日の授業はどうだった?」
学園の制服は、白地に紺のラインでセットアップになっているワンピースである。その制服を美しく着こなした栗毛の女子学生が、校舎から出てきたストロベリーブロンドの可愛らしい少女に溌剌とした声を投げかけた。
「エリザ~今日も授業大変だったよ…また宿題たくさん出ちゃって…」
対するエレオノーラは、眉を下げて情けない声を出す。今日もまた、エリザベータに宿題を手伝ってもらう羽目になりそうだった。
「あらあら、そんなお顔していたら美少女も形なしよ?どうせまた宿題助けて~とか言うんでしょう。」
「だって、ほんとにわからないんだもん…」
「はいはい、そうだよね、エレナは化学がいっそ壊滅的にできないよね。」
「うぐっ!でも言い訳すらできません…」
そう言って肩を落とすエレオノーラは、まるでしゅんと尻尾を垂らす子犬の様である。
そんな友人に溜息をつきつつも、エリザベータはすぐに悪戯っぽく笑った。
「あーでもあれかなあ?エレナには手取り足取り教えてくださる先生が何人かいるみたいだし?わたしなんかが教えなくてもいいんじゃないかな~…むしろ邪魔だったりして。」
するとエレオノーラはぽかんとした後、ムッとしてやり返す。
「そんなんじゃないもん!グイード様とかチェーザレ様はたまたま親切にしてくれるだけだよ!そもそも王子とかテオダード様はわたしのこと面白がってからかってるだけだし…ほんと、なんであんなに絡んでくるんだろう…」
「そりゃ気に入ってるからに決まってるじゃない。」
「は?誰が誰のことを?」
「フェルディナンド殿下やテオダード様が、エレナのことをよ!もうほんと、そこまで振り回しておいて自分では無自覚なんてあり得ないわよ、このにぶちん。」
ぴん、と軽く額を指で弾いてやると、うう、と可愛らしく顔を顰めるエレオノーラ。
「ぜったい違うと思う…」
「いや、絶対そうだから。…って言ってる傍から信者その2が来たわね、さすが公爵家子息は目ざといわ。」
話しながら視界の隅に黒髪の美青年が歩いてくるのを確認して、エリザベータは意味ありげに友人に目配せをした。
「ちょっと、チェーザレ様のこと信者なんて変なあだ名で呼ばないでよ!失礼でしょ?」
「はいはい、本人の前では言いませんよ――御機嫌ようチェーザレ様、エレナはこの通り元気溌剌ですわよ?」
彼女は目の前で立ち止まったチェーザレを見て、からかう様に声をかける。
「ああ、そうらしいですね。――エレナ、前の時間は化学の授業だったと思うけれど、今日は大丈夫だったのか?」
一見無表情にも見えるその顔は、実は他のものはあまり見たことがない柔らかい微笑みにうっすらと覆われている。エリザベータも、エレオノーラの友人でなければ彼のこんな表情は見ることができないだろう、といつも思っていた。
「う、えっと、はい、なんとか…」
「その様子を見るに、こてんぱんにやられたようだな。」
クスリとチェーザレが笑う。それだけで、その希少性に周囲で遠巻きに見ている学生たちに衝撃が走ったのを、エリザベータは感じていた。
一方の友人は、チェーザレに笑われて少々いじけている。その姿ですら愛らしいエレオノーラは、今も彼の視線を釘付けにしていた。
そんなふわふわと甘酸っぱい空気が漂い始めた矢先、見慣れた乱入者が割って入ってくる。
「エーレナちゃん、いじけちゃってどうしたんだい?」
ライトブラウンの柔らかそうな癖毛がさらりと揺れていて、甘めの顔立ちはさも女好きしそうである。
「…テオダード、お前何をしにきた。」
「なにって、可愛い子がいたら声をかけるのが男の真髄でしょ?」
するとこれにエレオノーラが勢いよく反発する。
「そんなこと言って、誰でも彼でも片っ端から可愛いなんて口説いていくような男の人に褒められたって、わたしは全然嬉しくありませんけど!」
「今日もキャンキャン可愛いなあ~。ほんときみって子犬みたいだよね。あのゴールドの毛並みがつやつやしてて目がくりくりしてるやつにそっくり。」
そう茶化すテオダードの目は、からかっている割に随分優し気だ。エリザベータは第1学年からこの学園に在籍しているが、エレオノーラが来るまで彼のそんな一面を見たことはなかった。
(王子とグイード様だってそう。とにかくエレナったら学園のハイスペック美男子を次々と落としちゃうんだもの)
羨む気持ちがないでもないが、むしろエリザベータは応援する気持ちの方が大きい。まず自分たちは関わることすら諦めていたような、既に家柄も器量も申し分ない婚約者を持つ輝かしい貴公子たち。それを、子爵令嬢であるエレオノーラ――つまり彼女たちと似たり寄ったりの身分でしかない女子学生が、その器量と性格であっという間に虜にしていったのである。それはまるで女性なら誰もが夢見るサクセスストーリーのようで、彼女たちはエレオノーラを応援することで、自分たちの夢を見ているのだ。
そんな夢見るエリザベータの意識を引き裂くように、凛とした声がその場を割って入った。
「あら、チェーザレ様、テオダード様、御機嫌よう?」
亜麻色の髪の、楚々とした美人――チェーザレの婚約者、ロベルタ嬢である。伯爵家の令嬢である彼女は、家同士の繋がりのために幼少期からチェーザレの婚約者として隣に立っていた。その佇まいは静かながらも、気品、そして芯の強さが表れている。
しかし、そんな美しい婚約者を見やるチェーザレの視線はとても冷ややかだ。
「…何の用だ、ロベルタ。」
「何の用、だなんて藪嵩ですわね?自分の大切な婚約者にお声をおかけするのは、そんなに仰々しいことなのかしら?」
口元をさりげなく手で覆いながら上品にくすりと笑う姿は、流石伯爵家出身といった風情である。
婚約者、という言葉を発するときにちらり、とエレオノーラやエリザベータを流し見たのも、彼女がすると下品にならないのが不思議であった。
「婚約者、だってさ?確かにチェーザレの婚約者はロベルタ嬢だもんね~。ほら、婚約者をあんまり放っておくと嫉妬されちゃうよ?――女の子の嫉妬は怖いんだぞ~?」
そうふざけた調子で言ったのはテオダードだ。ただの友人同士のからかいに見せてはいるが、わざわざ釘を刺しに来たロベルタをさりげなく馬鹿にしているのが何となく雰囲気にでている。
落ち着いた表情でチェーザレを見つめるロベルタ、そしてその前に立つチェーザレとテオダード。その後ろにはまるで庇われているかのようにエレオノーラがいる。彼女はあまり状況が読み込めていないようにおろおろとして、前の2人とロベルタとを見比べていた。
空気が硬くなり始めたその時――
「――ロベルタ、そんなところでどうなさったの?」
その少女が登場した時、まさに空気が切り裂かれるような、そんな印象をエリザベータは持つ。
艶やかな黒髪、小さな顔、すらりと長く伸びる手足と、蠱惑的な身体の曲線を更に強調する細い腰。はっきり通った鼻筋の下には、まるで赤い薔薇の花弁をそっと乗せた様な唇が、緩やかなカーブを描いている。また、きつめに引かれているアイラインと濃い目のアイカラー、目の周りを隙間なく覆うカールした睫毛が、その派手な美貌をより一層華美に彩る。
――『彼女』はまさに、女王のような存在感を放っていた。
「ルクレチア、さま…」
エレオノーラが小さな声で呟く。普段は気丈な友人がその美少女を目の前に萎縮している様子に、2人の貴公子は憤りの目線を前に投げかけた。
「レチア様。わたくしたまたま御姿を拝見したものですから、チェーザレ様にお声をおかけしたの。そしたら“何の用だ”なんて冷たいこと仰るので、少し落ち込んでいるところでしたのよ。」
そう宣うロベルタは、その実特に落ち込んでいる風でもない。ただ淡々と事実を述べるその姿は、いっそつまらなさそうでもあった。
ロベルタの言葉に、美貌の少女は眉一つ動かさず返す。
「あらそうなの?それは残念ね、チェーザレ様には貴女がただ他愛のないお話をしたかっただけ、というのが伝わっていらっしゃらなかったのではなくて?」
「ええ、まあそのようね。まるでこれではわたくしが文句でも述べに来たかのようだわ。」
ロベルタがそう言った途端、テオダードがふん、と鼻を鳴らす。
「実際そんな顔をして来たんじゃないか。――ルクレチア嬢といい、きみたちはお上品なお嬢様を上手くかぶっているようだけど、僕にはそんな薄っぺらいものじゃ通用しないよ?」
テオダードは女誑しの名に相応しい、艶やかな笑みを浮かべながら、先程とは打って変わって寒々しい視線を彼女たちに投げかけた。
それを見てふと、エレオノーラに向ける視線は本当に特別なんだなあ、と緊張感もなく頬が緩んでしまうエリザベータである。
しかしその状況をあっさりと潰すのも、目の前にいる侯爵令嬢だった。
「…あら、テオダード様御機嫌よう。そうですわね、貴方はいつも何かしら御見通しなされているのでしょうね、素晴らしいことだわ。――ロベルタ、わたくしこの場に特に用はないのだけれど、貴女のその“何かの用”とやらは終わったのかしら?」
一瞬ロベルタの口の端がぴくりと痙攣した気がしたが、思わず2度見したときにはすでに、その顔には穏やかな表情が浮かべられていた。
「ええ、そもそも“何かの用”があったわけでは無いのですもの。寮に戻りましょう――ではチェーザレ様、テオダード様、失礼させて頂きますわ。」
最初と同じ、凛とした声と共に会釈をすると、ロベルタたちは背を向けて颯爽と去っていった。
それを見送りながら、思わずといった体でエリザベータが口を開く。
「まあ、すごいオーラだったわね…」
すると今まで黙って後ろに立っていたエレオノーラが、やっと話し始めた。
「そうね、特にルクレチア様って、もう存在そのものが“プライドの高いいじめっ子令嬢”って感じ。…なんかわたし嫌われてるみたいだし、ああいう人ちょっと苦手かも…」
思わず漏れた、という様なエレオノーラの台詞に、後の2人も同調する。
「あいつは地位を笠に着る、典型的な勘違いタイプの御令嬢だからな。」
「ああ~侯爵家の権威を自分の力のように感じちゃってる子か。」
「しかも自分が相当の美人だと自負しているらしく、方々に色目を使っている。――私もこの前のパーティーで流し目をされて、肉食獣の様な視線にぞっとしたな。」
「うわあ、そりゃ災難だね。一応あれでもルディの婚約者だっていうのに、まったくあの女狐は僕でさえ手を付けたくないよ。」
出るわ出るわ、ルクレチアの悪評が次から次へと2人の間で交わされた。
しかし、とエリザベータは考える。エレオノーラは普段、誰かに対してはっきりとマイナスの発言をしない。だが、なぜかルクレチアに対してははっきりと“プライドの高いいじめっ子令嬢のようだ”と表現した。“嫌われているみたい”とも言っていたが、それはまるで断定のようで、友人の中でルクレチアの印象は既に決まっているらしかった。
不思議だ、とエリザベータは感じた。エレオノーラのこともであるが、それ以上にルクレチアが、である。考えてみると、彼女は一度もエレオノーラに自分から関わってきたことがない。自分も婚約者である第2王子を奪われようとしているのに――まるで、一切無関心であるかのようなのだ。
(いや、無関心のよう、じゃなくて、本当に興味ないって感じ?――いやでも侯爵令嬢だし、プライド高いっていうから表に出さないだけなのかしら。うーんでも、意識して避けてるって感じもしなかったけど…っていうかむしろ、いても気づいてないくらいの雰囲気なような…?)
そこでエリザベータは気づく。
エレオノーラやエリザベータたちを見る彼女の目、それはまさに、足元に転がる小石を見下ろしているものだった。
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一方、去って行った2人は。
「ちょっと、レチア様。わたくしをあの場で笑わせようなんて意地が悪すぎますわよ?」
「あら、何のことかしら?」
とぼける彼女だが、その口元は耐えきれない様にひくひく揺れている。
ロベルタはじっとりとその口元を見て答えた。
「『そうですわね、貴方はいつも何かしら御見通しなされているのでしょうね、素晴らしいことだわ。』って。――レチア様、テオダード様をまともに相手にする気、砂粒程度すらなかったでしょう。あれを聞いたとき、余りにも適当すぎてわたくし吹き出すところでしたのよ?」
「あらばれた?だってあんな自称たらしの坊やなんか相手にしていたら、それこそ日が暮れるわよ?――時間は有限。わたくしは拗らせた坊やの相手に時間を費やすほど、見上げたホスピタリティは持ち合わせておりませんの。」
そう言って明後日の方向に視線をやる彼女に呆れつつ、それでもやはり笑いを堪えきれずに、ロベルタは友人と笑い合ったのだった。
日間ランキングを見たら多くの方の目に触れさせて頂けたようで、本当に感謝しています!こういうものを書いたのは初めてですが、皆さんに楽しんで頂けたら幸いです。