2:乙女ゲーム、開始
さて、ヒロインから写させてもらったそのメモによれば、あらすじはこうである。
まず乙女ゲーム『Danza Fiore』は、アレティノ王立フィオレ学園の第6学年にヒロインちゃんこと“エレオノーラ・アマル”が編入してくることから始まる。
彼女は王都の外れに住むごく一般平民家庭の一人娘であった。しかし16の誕生日に子爵家から派遣された使者から、実は彼女の亡くなった実母は子爵家の使用人で当主の愛人であった、ということを告げられる。
今までは使用人仲間であった養母が引き取り一般人として暮らしていたが、子爵家の嫡出子が先日不慮の事故で故人となられたことで、エレオノーラを引き取り子爵家を継いでもらう必要があるとのことだ。そこで彼女はもれなく王立学園に子爵令嬢として編入することになるのである。
そして乙女ゲームの定番と言えよう、その学園でまさしく“王子様たち”と出会うのである。
攻略対象はシンプルに5人。
1人目はアレティノ公国第2王子。御年17歳になられる、正妃の息子。
2人目は侯爵家の三男坊。彼は16歳で第2王子の幼馴染だ。
3人目は伯爵家次男。王子殿下と同い年で、学園に入ってからの友人。
4人目は公爵家の次男。こちらは王子殿下の同い年の従兄。
最後は伯爵家の長男、後継ぎ候補だ。彼は15歳で、ヒロインや他の攻略者たちの1つ下の後輩にあたる。
彼らは最初平民出身でかつ子爵家令嬢でしかないヒロインに面白半分で近付くが、慣れない貴族社会に苦労しつつ気丈に振る舞うエレオノーラにそのうち絆されていき…というまあ王道?であるらしい。
そしてもちろんここで欠かせないのが悪役である。まあ悪役というかライバル役というか微妙な線ではあるが、ともかくこの輝ける大役を任されたのがルクレチア・ダ・コスタ侯爵家令嬢であり、第2王子の婚約者なのである。
(なーんて、ちょっと考え事でもして気ぃ紛らわせたくもなるよね?これは…)
遠い目をしている彼女の前で見つめ合う2人。――御明察、第1イベント『エレオノーラと第2王子“運命のエンカウント”』である。
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「あの、すみません…教室の場所がわからなくて。教えていただけないでしょうか…?」
目の前に佇む可憐な美少女が、彼女にそういって声をかけてきたのは数分前の出来事だ。
緩くウェーブを描く、胸までのストロベリーブロンドの髪。くりっとした黒目がちの大きな茶色の瞳は、不安げにゆらゆら揺れている。小さな鼻と口は、大きな目と相まって童顔を際立たせる。極め付けは、ルクレチアより10センチ以上低いであろう小柄な身長のわりに、制服の胸部がそこそこ押し上げられていることだ――つまり何が言いたいかというと、エレオノーラは男の夢を詰めたような美少女であった。
(男の夢ってまあ私、男じゃないけどね?)
そんなことを考えながら、どう返事しようかと逡巡する。なにせこちらは台本を知らない。…カンペでも用意しておいてくれてもいいじゃないか。
「あら貴女、こちらがどなたかお知りになって声をかけていらっしゃるの?」
「そうね、突然名乗りもしないで話しかけるだなんて。貴女にマナーを教えて差し上げた方は素晴らしいのね。」
…カンペは必要ないようだ。ルクレチアの取り巻きという最強の切り札が存在することを彼女は失念していた。
「あ、そうですよねすみません!わたしアマル子爵家のエレオノーラ・アマルと申します!」
頭を下げながら元気よく答えるヒロインちゃん。――これはシナリオのための演技というより、生来の素直さだろうな…
「まあ、あのアマル家の…」
「…そんな方がなんでルクレチア様に…」
眉を顰めだすカンペたち。なるほど、ここまで彼女が一言も発せずとも、ただ貴族然と立っているだけで事は済むようである。
そんなくすくすと笑う声に比例して、エレオノーラの眉が下がりかけたとき。
「…お前たち、また何をしているんだ。」
首筋より少し短めのブロンドヘアーを風になびかせ、碧眼の切れ長な双眸は少し細められている。颯爽と現れたのは、175センチほどの細く引き締まった体躯の、16,7歳ほどの美青年――
「「フェルディナンド殿下!」」
そう、言わずもがな第2王子である。
「再度言うが、お前たち一体何をここで…」
と言ったところで、グループの中にルクレチアの姿を見つけて顔をしかめた。
(うわあ露骨!いま露骨に嫌な顔したよこの子!仮にも王族なんだから、そこはもうちょっと無難にやりすごそうよ!)
「お前か…またどうせ下らないことで文句をつけたのだろう?」
(下らないことって、まあ確かに阿保らしいけど…でもその阿保らしい貴族制度に支えられてるのが王族でしょうが。しかし“また”ってことは、ルクレチアはこれを常にさばいてたわけか…)
「ご機嫌よう殿下。お騒がせして申し訳ございませんわ…ただ下らない事ではなくてよ。新しく編入された生徒さんに色々と教授して差し上げなければならないことがありま――」
「フェルディナンド殿下?」
(おぉっとここでヒロイン参戦だーーーー!)
思わず心の中で実況中継してしまった彼女を責めてはいけない。先程割と素直な性格だと感じたエレオノーラであるが、自己主張も割と素直な部類であるらしい。
その鈴の音を転がしたような声に、王子が振り向く。
「ああ、お前が新しく編入した――」
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…そして冒頭に戻ったのが、今の状況だった。
(“――振り返る王子。そこには、ストロベリーブロンドの髪が美しい、大きな茶色い瞳でこちらを上目遣いに見上げる可憐な美少女が佇んでいた。彼女の周囲は明るく花の香りがほのかに漂い…普段から婚約者のような気位の高い令嬢ばかり相手にしていた王子は、その瞳のきらめきを魔法のように感じた――”)
見ているだけでは飽きるので、彼女は心の中で朗読会を始める。気分はさながら、御令嬢の間で最近流行の恋愛小説売れっ子作家である。
「すみません、あの、さっきのことなんですが、殿下の勘違いです。」
「勘違い?」
「ええ、ルクレチア様たちは、わたしが名乗りもせずにお声をかけてしまったのを注意してくださっただけなんです。彼女たちは正しいことをしただけなので、そうやって最初から決めつけないでください!」
「なっ…」
(“――彼はその言葉に大きく目を見開いた。第2王子といえども王族。今まで彼の言葉に真っ向から反目してくる者などいなかったのだ。しかし目の前の一見華奢な少女は、「助けてやった」と思っていた王子に堂々と意見を言う度胸も備えていたらしい…その瞬間、彼は今までにない感情が湧き上がってくるのを自覚した――”)
王子の心理描写をしている彼女の目は、さらに遠くへと飛び続ける。いまでは学園の塀の先、遥か彼方の山々に飛び交う鳥たちを観察していた。早くこの場を切り上げてもらわないと、彼女の視力は5.0まで上がりかねないだろう。
(しかしすごい、これがヒロインだ…ヒロインの力なのだ……!!)
彼女の脳内テンションが振り切れ始めたことはさておき、他の御令嬢も思うところがあるようで、呆然としているものや顔をしかめているもの、口が半開きになっているものもいた。
そんな中、イベントは順調に進行していく。
「お前はこれらが正しいことを述べたと、私が注意するべきではなかったと、そう言いたいわけだな?」
「失礼ながら、そうです!」
そこに取り巻き令嬢たちも参戦していく。
「…!まあ、そんな口を殿下に対しておききになるなんて!」
「――あなた先程わたくしたちがお教えして差し上げたことを既にお忘れになって?」
「――まああの例の子爵家でしたら、そのようにご教育なさるのかもしれませんわ――」
「お前たちも口を慎め。」
「「っしかし殿下、」」
「言われたのは私だ。そして私は無礼を許す、それでいいだろう。――してそこのお前」
「なんですか?」
エレオノーラが挑戦的な目でフェルディナンド王子を見る。
「お前、面白いな。名前は?」
「…エレオノーラ・アマルと申します。」
そういってお辞儀をしたものの、ぷいっと横を向くエレオノーラ。
「ふん、そうか。覚えといてやるから光栄に思え。」
「!なんで――」
「――あと、お前の行きたい教室はたぶんあっちだぞ。」
にやりと笑う王子に思いっきりしかめっ面をした後、エレオノーラはパタパタと軽快に駆けていった。
「さて、お前たち。」
王子がこちらに顔を向ける。先程までの楽し気な雰囲気が嘘のように、無表情である。
「いちいち身分の下のものを見下すような真似をするな。…いくら着飾ろうとも、いざというとき下品な中身は隠し通せないからな。」
そう吐き捨てるように言うと、彼は登場時と同じく颯爽と去っていた。
――さて何が奇妙かというと、ここまで5分ちょっとの間、彼女は一切声を発していないのである。一切、である。試しに表情も省エネモードで微笑のままにしてみたのだが、全く誰も気づかなかったようだ。普通何を言われても微笑んだままの少女というのは、なかなかに不気味だと思うのだが…
「ねえ先程の方、とてもお行儀が良くなくて?」
「ええほんと!殿下に色目などお使いになって」
「もちろん殿下がルクレチア様の婚約者であることもお分かりになっているのでしょうねぇ」
「まあ、なんて謙虚なんでしょう!そのようにお分かりになりながら、あんなに分かりやすく上目遣いで殿下を見上げられていて」
そして始まる御令嬢がたの嫌味の嵐。ここでそれ以上言っても特に生産性はないのでは…というのは彼女の論である。そして、
「「ねえ、ルクレチア様?」」
(まあ私、まとめ役だからこうなるよね。めんどくさ…)
とは表に出さず、にっこり微笑む。
「あら、わたくしそこまで気にしてなくてよ?そんな些末なことより、今度のパーティーのお話をしましょ。」
こうして、その乙女ゲームとやらは華々しく開幕したらしかった。