1:悪役令嬢、自覚
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(えー、こんなこともあるわけね…)
彼女は今、なんとも微妙な気持ちで手元の紙を見ていた。
季節は初秋、北方の内陸部に位置するこの国の気候はすでに寒冷で、肌寒い風がそよそよと木々を揺らしている。一方で段々短くなる陽が窓から幾筋か差し込み、ぽつぽつと枯れていく白い花が短い夏の終わりを告げているかのようだ。
部屋にはそこそこの大きさの花柄の天蓋ベッド、豪奢な机と椅子、ガーネット色の小さめのソファ、白いキャビネットが置いてある。
そのソファには1人の少女が座っていた。艶やかに波打つ黒髪が一筋、白っぽい象牙色の肌にかかっている。本来黒く光るつり目がちの目は今は伏せられ、差し込む陽が彼女の黒く長い睫毛と高い鼻梁で、それぞれ影を作っていた。
少し濃いめの化粧が性格をきつそうに見せているが、そういうタイプでいえば文句なしの美少女である。しかし先程から彼女の細い眉は、紙を見れば見るほどひそめられていった。
ここは寮の自室。ドアの向こう側には、“ルクレチア・ダ・コスタ”と彫られた可愛らしいプレートがかかっているはずである。
そして中にいる彼女はまた一つ、溜息をついた。
(いやだってね、いくらここが王立学園で、この国の貴族という貴族の子息子女はこぞって通わされてね。12~18歳のお年頃ちゃんたちが寮生活しててね、しかも王子殿下やらその他高貴な方々の御子息もいらっしゃるとはいってもね。まさかここが)
――乙女ゲームの舞台です、なんて聞いて呆れる話じゃないか。
…阿保らしい。何だろう、ものすごく阿保らしい。大事なことだから、彼女は心の中で2回言った。
(ていうかね、こんなものを肌身離さずなんて持ってないでよ。散々裏で自分のことについて聞いてまわられて、しかもそれをメモした紙を隠し持ってるなんて、誰がどう見ても勘ぐるでしょうがこの野郎!)
軽くキレて、彼女はノートのページを切り取ったのだと思われる、何重にも折り目のついた紙をぴんっとはね飛ばした。
飛ばされた紙の上には、“乙女ゲーム『Danza Fiore』”という文字と、“攻略対象”という文字が綺麗に書かれていた。その下に、彼女が学園で見知った者の名前とメモが綴られている。まあもちろん、乙女ゲームという単語を正しく理解した時から、入るだろうなと予想した通りの面々だ。それ自体には特に何も思わないし、まあいいかくらいで済むのだが。
(まあでもここまでくると予定調和だよなあ…)
そう、これは予定調和である。
――このアレティノ公国で第2王子殿下の婚約者である“ルクレチア・ダ・コスタ侯爵令嬢”は、まさしく悪役令嬢に最適の人物なのである。
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そもそもなぜ一介の侯爵令嬢が、乙女ゲームなんぞ知っているのか。それはもちろん“彼女”が転生したという記憶があるからである。前世の自分はおよそ26歳ごろまで生きていた日本人女性のようだ。
そうはいっても何せ乙女ゲームに触れたことがほとんどなかったので、まずこの現状に気がつかなかったわけだし、知ったところで「ヒロインがいろんな男の子といちゃいちゃするのかあ」くらいの感想である。こちらに作為・不作為かかわらず害が及ばないのであれば、特にこちらが思うものも全くないのだ。
(まあこの紙を書いたであろうヒロインちゃんは、元は同じ世界にいた転生者で、かつこの乙女ゲームだかをやりこんでいたんだろうなー…)
そうわかるのは、紙にゲームの詳細な内容が記されているからだ。攻略対象についてのあれこれはもちろん、それぞれのルートの話の流れやセリフ、イベントを起こすための条件、さらに隠しキャラとやらまで書かれている。正直彼女はこの“隠しキャラ”を見た瞬間、できることならヒロインにはこれを選択しないでほしい、と目を閉じ祈ったが。…正しくそれは彼女にとって、面倒事にしか思えなかったからである。
(…いやでもむしろ、ヒロインちゃんがある一定の狙いの下的確に動いてくれることで、その攻略対象たちの確実な将来的行動のヴィジョンが得られる、とも考えられる?)
――案外これは悪くないかもしれない、と彼女は考え始めた。ただしこれはヒロインにあたる転生者がシナリオを忠実に辿ろうという意思があった上で、さらに攻略対象たちが“ゲームの通りに動く”ということが仮定条件なのだ。しかし彼女がこうして自由に生きているように、彼らもこの世界の人間として生きている。はたしてそんなに上手くいくか…
コンコン
「ルクレチア様、ロベルタですわ、いらっしゃる?」
彼女――今の名前はつまり、ルクレチア・ダ・コスタである――は友人のためにドアを開けに行った。
「どうなさったの?」
「わたくしお茶のお誘いに参りましたの!いつものサロンにみなさんいらっしゃるわ。」
「あら素敵。…先日わたくしお茶請けにちょうどいいお菓子を頂いて。持っていくわね。」
「まあ楽しみだわ!レチア様に持ってきて頂くものはいつも美味しいんですもの!」
「ふふふ、ロベルタはそれを考えてお誘いに来られたのかしら?」
「そんなことありませんわ。レチア様がいらっしゃらないとお茶会に華がなくてよ?」
「まあお上手ね。」
(ん~、まずはからくりを知ってるヒロインちゃんがどんな風に考えて行動するかだよなあ?…とりあえずこの紙は写させてもらって、明日あたり、気づかれる前に返却してきますか。)
そう心の中で開き直ると、ノックされた瞬間懐に入れた紙を確かめてから、彼女は誘ってきた友人とともに寮のサロンへと降りていったのだった。