13:侯爵家、団欒
暫くして執事に呼ばれた彼女は、侯爵家当主の書斎に立っていた。
既に夜も深まっているが、書斎の机にはまだ大量の書類が散乱しており当主が仕事の最中だとわかる。
大きな机を挟んだ向こうでは、ルクレチアの父が革張りの椅子に深く腰掛けてこちらを見ていた。
「それで、何の御用でしょうかお父様?」
「私とお前との間で回りくどい口上は不要だな、端的に言う。…よくやった、娘よ」
そう言って彼の口元ははっきりと弧を描いた。
「勿体ないお言葉でございますわ、お父様」
返す彼女の赤い唇にも、同じ様な笑みが浮かんでいる。
「お前は夏から随分と変わったな。まさか私もお前があんな大物を釣り上げてくるとは思わなかった」
「ふふ、あら嫌ね、わたくしこれでも美人で名高いのですよ?社交界ではコスタ家の紅薔薇、なんて囁かれる位ですもの、さすが侯爵と夫人の娘と言われているのに」
「確かにお前を人並み以上の容姿に産ませた自負はある。しかしだな、ガリエラ公はそんな面の皮一枚如きで落とせる様な阿呆ではない。まさかあの影の権力者がお前にあれ程惚れようとは、あわよくばと思っていた私にも想像がつかなかった」
そう、ガリエラ公のお近づきにと彼女をしきりに夜会で挨拶させていたのは、他でもないコスタ侯爵である。
(なのに“想像つかなかった”って、おい。それって自分の娘のおつむを全く評価してなかったってことですよね。…パパってば薄情~!)
思いつつ、以前のルクレチアと今のルクレチアが余りにも辻褄が合わなくなってしまわない様に、もう少し慎重になるべきかと考えた。
「しかしお前は第2王子を慕っていたと思っていたが――半分私の意向とはいえ、ガリエラ公と予想以上に懇意になったのはどういう風の吹き回しかな?」
早速彼は疑問を口にする。――当たり前である。気に病むまで第2王子に恋慕していたはずの娘が、外見が良いからといって急に父親程の年齢の男性と深い仲になるというのは、素人目にもいささか不思議だ。
かといってもちろん、彼女は言い訳を用意している。
「ええもちろん、第2王子のことはお慕いしておりますわ。…でも、あの方はいくらお慕いしても全然振り向いて下さらなかった。いくら好きといっても、わたくしにだってプライドがありますもの。どうせ最後は結婚できるのでしたら、その前に大人の男性とのアバンチュールがあったってよろしいんじゃないかしら?」
感情的で子供だった以前のルクレチアと、使い物になるようになった今のルクレチア。侯爵の頭の中で重ならないそれらのイメージを、上手く言葉で誤魔化し連続性を持たせてやる。
「なるほど…お前にも女としてのプライドがあったわけか」
侯爵の口にする言葉には、“どうせ理由はそんな様なことだと思っていた”というニュアンスがありありと込められている。そこには“女のプライドなんぞ、その程度のレベルか”という嘲笑の響きも無きにしも非ずだった。
(もちろんそう思われてたほうがいいから、そこはノーコメントにしとくね、侯爵様)
心の中でぱちりと彼にウインクを飛ばす彼女。
「ならば、その調子で第2王子も篭絡することはできないのかね?」
皮肉半分、本音半分といったところだろうか、侯爵は彼女に更なる要求を突き付けた。
「あら、残念ながらそれは無理じゃないかしら」
「なぜ?」
「だって今学年が始まってからというもの、彼の隣には必ずある少女がいらっしゃいますし…」
「…アマル子爵家の娘か」
眉を顰めた侯爵の様子から、彼の耳にも既にかの少女の話は届いている様だ。
「ええそうよ。彼女、第2王子のお気に入りなんですもの。…それに、お父様も知っていらして?それどころか彼女、エステ候・オルシーニ伯の御子息やガリエラ公の二番目の御子息まで虜にしていらっしゃるそうよ?」
侯爵はますます仏頂面になりながら、不快そうに返す。
「子爵家の娘はなかなか愉快な頭をしているようだな。…ふん、面倒なことをしおって――そもそもな、お前が最初から上手くやっていればこんなことにならなかったものを――」
「あら、でもパウロ様はこのままで良いとおっしゃっておりましたわ」
「ほう?」
「全員生れてきたのが2番目以降で良かった、ですって」
その瞬間、彼の眉が僅かに上がった。
「何をおっしゃりたいか、お父様には当然解っているはずですわ」
「そうか、そうか…ふむ、公がそうおっしゃるなら…成程、確かに効率的な一手であろう」
「でしょう?ですからパウロ様は、むしろ下手に近づくなとわたくしに」
「ならばこれについて、私からは不問だ。ガリエラ公に指示された通りにしろ。今更深く関わろうなんていう馬鹿な真似はするな」
(さっきまで第2王子も誘惑できればよかったのにと言っておきながら、ガリエラ公が第2王子派を切り落とすと見るやこれだもんな…あんまり上から目線で物申されると、私やる気なくしちゃうよおとうさま?)
「承知致しました」
「話はこれで終わりだ。お前も今日は疲れただろう、ゆっくり休め」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、自室に戻らせて頂きますわ――おやすみなさいませ、お父様」
「ああ」
軽く会釈をすると、彼女は廊下へ出た。
そのまま自室への道を歩いていると、ふとカーテンの隙間から見えた夜空に目をやる。
漆黒の空に一つ、満月に近い月が煌々と丸く輝いていた。
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部屋に戻ると早速、可愛らしい弟と妹が押しかけてきていた。
「「お姉さま!」」
「大きな声出しちゃだめよ、2人とも。ほんとはもうお休みになる時間なんですからね」
「はあい」
「しずかに、だよね」
ひそひそ話す子供たちは、寧ろ秘密の話をするかの如く興奮している様である。
「それで、おふたりはわたくしにどんなお話をしてくれるのかしら?」
「えっとね!ぼくは――」
「――わたしはね――!」
話し始めた彼らの口は、とりとめの無い、しかし日常の小さな幸せを次々と語っていく。
彼女は優しく微笑みながら、それにじっと耳を傾けた。
子供たちの洪水の様な語りがいったん途切れたところで、聞き役に徹していた彼女はふと質問を投げかける。
「そういえばフィー、トリス、あなたたちちゃんとお客様の御もてなしは出来るようになったのかしら?」
「もちろんだよ!ぼく、ちゃんと女性をエスコートできるようになったんだ!」
「ええ、フアンなんてまだまだよ。わたしなんかもう立派なレディねってこの前褒められたもの!」
「…ふふ、その割には主語が“わたくし”から“わたし”に戻っているわよ?」
悪戯っぽく彼女が指摘してやると、途端にベアトリスは慌てた。
「ち、違うもん!ちゃんとわたくしって言えてますわお姉さま!この前おきゃくさまがいらっしゃったときだって、わたくしちゃんとごあいさつできたもの!」
「あーあートリスったら、そんな見得はっちゃって。あのひとは商人だったから、貴族のさほうにはあまり詳しくないんだよきっと。それならぼくは、貴族のかたの前でだってちゃんとできるぞ」
「あら、商人のかたが来て下さったの?」
「ええそうなの!来るたび色んな話をきかせてもらえるし、すっごく楽しいの!」
「ぼくはこの前リセール大陸の地図をもらった!」
口を揃えて楽しそうに話す子供たちに、彼女はにこにこと微笑んでいる。
「それは良かったわね。わたくしが前家に居たときは御姿を見なかったわ。その方はよく来て下さるの?」
「うんそうだよ!たしかその人が来るようになったのは、お姉さまが夏静養にいってからかな?それからずっと、ひと月に1,2回きてお父様と商談しているよ」
「そうなのね。わたくしも今度その方に異国のお話をお聞きしてみたいわ」
「あのおじさま優しいから、お姉さまにもたくさん話してくれると思うわ!」
「お父様と同じくらいの歳のかたなの?」
「うーんそれよりちょっと若いくらいかな?アッシュで肩くらいまである髪なんだけど、下の方でポニーテールっていう髪型だし、遠目から見るともっと若く見えるよ」
「そうそう、それにお父さまとちがってたれ目だから、優しそうにみえるの!」
「まあトリス、そんなこと言っちゃいけません。…そうねえ、今までわたくしが見た商人のかたって背が低くてお腹が出ているおじさましかいないのだけれど――」
「あら、ルッソさんはそんなんじゃないわよお姉さま!お父さまよりは低いけれど、ダニエルよりは高いもの。それにお腹なんてでてないわ。」
「うんそうだよ。ぼくお腹にぶつかったことあるんだけれど、固かったしきっと鍛えてるんだよ!」
「ふうん、そんなかた初めてね。――というかあなたたち、まさかとは思うけれどお父様との商談の最中に邪魔しに行ってはいないでしょうね」
う、と詰まった彼らは、明らかに「しました」という顔をしている。
「べ、別に邪魔はしていないよ!ただちょっと、扉からのぞいたりとか、窓の外の花壇のところで遊んでたら、話が聞こえてきたりしただけで――」
「――それ完全に確信犯でしょう」
「だ、だって、面白そうだったんだもん…」
すっかりしょげ返った子供たちに、彼女は思わず溜息をつく。
「あのね、いくら面白そうだからって聞いてはいけないことだってあるかもしれないのよ?…まったく、あなたたちを誘惑したその面白い話とは何だったのやら…」
「あのね、ルッソさんね、ライマルダのお話してたの!ライマルダってお隣のとっても大きな国でしょう。わたくしご本でしか読んだことないから、すごく知りたかったの!」
一転してきらきらと目を輝かせ語るベアトリスを、彼女は窘めた。
「あなたたちの好奇心は美点よ。でもね、ひとに迷惑がかかるかもしれないっていうことも忘れてはいけないわ――わかるわよね?」
「「はあい…」」
しゅんとして反省した子供たちをみて頷くと、一変し彼女は悪戯っぽく笑う。
「――でも確かに何か知識を得るために、時には手段を選ばないことも大切よ。特に小さい子供は失敗しても、幼さゆえに許されてしまうこともあるのだし?」
それを聞いて2人はぱっと顔をあげると、同じく悪戯っ子のような表情をした。
「つまり、ちゃんと引き際をかんがえてやれば、」
「多少は大目に見てもらえるってことだよね?」
問いに対して明確には答えず、彼女はただにこりと笑った。
と、彼女は「あ、」と小さく呟いてフアンの首元に手を伸ばす。
「フィー、これずっと付けているの?」
彼の首にかかっているのは、小さなロケットだ。ぱかりと留め具を開くと、姉と妹と映った写真が嵌め込まれている。
じっとそれを見つめる彼女に照れながらも、フアンはしっかり返した。
「そうだよ。お姉さまがいつも幸せでありますようにって、叶うようにいっつも付けているんだ」
「ちょっと外して見せてもらっていい?」
「いいよ!」
彼は首からロケットを外すと、素直に渡してくる。
「わたくしも付けているの!」
そういってベアトリスも、自分の付けていた小さなロケットを外して彼女の手に押し付けてきた。
左手にのせられた2つの小さなロケット。その中で妹と弟に挟まれ、幸せそうに笑っている少女の姿を、彼女はじっと見つめていた。
おもむろに右手近づけると、人差し指でその写真をそっとなぞっていく。
「とっても、幸せそうに映っているわ」
「うん!ぼくその写真がとってもお気に入りなんだ!」
「わたくしも!お姉さまの表情がすごくすてきなんですもの!」
彼女は一瞬瞼を閉じるとゆっくりと目を開き、なぞる手を止めた。
そしてぱちん、と2つのロケットの蓋を閉め、持ち主に返す。
「ありがとう。わたくし、とっても幸せよ」
そう笑った彼女の顔は、本当に花が咲いたような笑顔で。
兄妹は思わず、歳の離れた少女の顔に見惚れていた。
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「…ラッキー」
子供たちが帰った後の部屋で、その笑顔が艶然としたものに変わっていたのを、知る由もなく。