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12:侯爵家令嬢、帰宅





 がたん、という座席の揺れが、彼女の意識を思考の川底から浮かび上がらせる。


 馬車が止まったのは、立派な屋敷が立ち並ぶ王都の地区でも、ひと際豪奢な門が道路を睥睨する一角。それぞれには細かな装飾を施された紋章が掲げられており、その敷地の持ち主たちを示していた。


 フットマンがドアを開く。彼女が降り立つと同時に、目の前の見上げるような金色の門が音もなくゆっくりと開いていった。

 領地の屋敷は門から更に1キロ弱馬車に乗らないと玄関に辿りつかないが、土地の狭い王都のタウンハウスでは、前庭を抜ければすぐ建物が現れる。


 開かれたドアから玄関に入ると、吹き抜けの玄関ホールが広がっている。階段や床に使われている大理石は、使用人たちの手によって今日も美しく磨き上げられていた。

 ホールには、3つの人影が佇んでいる。


 「お帰りなさいませ、お嬢様。」


 きっちりと燕尾服を着た初老の男性が、彼女に声をかける。彼のダークブラウンの髪は服と同じ様にきっちり後ろに撫でつけられており、その胸には執事の証であるバッジがきらりと輝いている。


 「ただいま、ダニエル。お出迎えご苦労様。」


 「いえ、こちらこそお嬢様のお元気な姿を再び拝見できて、大変嬉しく存じます。」


 そう言って執事はきっかり45度、腰を折ってお辞儀をした。


 そしてその横から一歩前に進み出る、背の高い黒髪の壮年男性。


 「見る限り息災そうだな、ルクレチア。」


 きりりと吊り上がった大きな目、定規でひいた様な鼻筋、眉間に僅かに刻まれる皺。言葉を紡ぐ唇は薄く横一線に結ばれている。細身で背の高い体躯は堂々としており、一筋縄ではいかなそうな雰囲気を醸し出していた。


 「初夏のパーティー以来ですわね、お父様。」


 ルクレチアは確かに父親似だ。特に目元と鼻は父親そっくりで、小さい頃は顔を見てコスタ侯爵の娘だとわかるため、王宮で迷子になってもすぐ父親の元へ送り届けられたらしい。


 「わたくしとはお久しぶりね、レチアさん。」


 隣に寄り添うのはルクレチアの母親。彼女はブロンズの髪を優雅に結い上げ、落ち着いた色のドレスに身を包んでいる。目尻は夫や娘と反対に優し気な線を描いており、娘が似たところと言えばぽってりとした唇、顔の小ささ、そして肉体美であった。


 「ええ、ご無沙汰しておりましたわ、お母様。つつがなくお過ごしになられているようで、わたくしも安心致しました。」


 「レチアさんはあれから随分落ち着いたみたいで、本当に良うございました。」


 はんなりと微笑む母親は、50近いとは思えないまだ女の盛りであると感じられる。


 「その節は、お父様にもお母様にもご迷惑をおかけしまして――」



 ぱたぱたぱた、と軽快な足音が彼女の言葉を遮った。


 そう思った途端、彼女はお腹の辺りに温かいものが2つ飛び込んできたのを確認する。


 「「お姉さま!」」


 1人は大きな茶色の目をくりくりさせている、ダークブロンドヘアーの男の子。10歳になる弟は、上目遣いで見上げながらもひしっと彼女の制服を掴んでいる。


 「ようやくお帰りになったのね!わたくしたちお姉さまが到着されるのがいつになるかって、ずっと楽しみにしていましたの!」


 元気にはしゃいでぴょんぴょん飛んでいるのは、先日8歳になった妹だ。弟とお揃いのダークブロンドの髪は、子供らしい柔らかな手触りである。


 2人が口を開けばまるで親鳥に餌を強請ねだる雛の様に、彼女に詰め寄って次々と言葉を重ねてきた。


 「きいて!ぼく、あの御本読めるようになったんです!あと剣術も強くなったって、この前先生に褒められたんですよ――」


 「――お姉さま!わたくしイニシャルの刺繍、習い始めましたの!お姉さまにも1つ差し上げたいわ――」


 「――ベアトリス、フアン、そこまでにしなさい。ここはお客様もお迎えする玄関ホールなのだよ。」


 雛の囀りを止めたのは、コスタ侯爵である。彼は静かに子供たちを見下ろすと、彼女の荷物を持っていくよう侍女に指示し、彼女自身にも夕食の準備をするよう促した。


 「ふふ、じゃあ続きのお話は今晩にでもお部屋で聞かせて頂こうかしら?」


 父親の目を盗んでこそりと耳打ちをすると、フアンとベアトリスはぱっと顔を輝かせ、期待した目を母親に向ける。

 それを見た母親が苦笑しながら僅かに頷くと、弟と妹は破顔しながらお互い顔を見合わせ、自分たちも着替えるためにそれぞれの部屋へと戻っていった。


 「…今夜は多少夜更かしをなさっても、大目に見て差し上げようかしら?」


 母親が彼女を見やりながら、明日の朝はみんなお寝坊さんね、と笑う。

 久しぶりの長女の帰宅に、侯爵家はどこか賑やかさを増していた。



 ✦✦✦✦✦✦✦



 彼女の帰宅を祝ってか、今晩の夕食は何時にも増して豪勢だ。コースの最後には、ルクレチアの好物であるガトーショコラが振る舞われている。

 ベアトリスがケーキを食べ終わり、かちゃりとフォークを置いた音とともに、コスタ侯爵が口を開いた。


 「さて、学園生活は順調か、ルクレチア?」


 彼女はナプキンを持っていた手を止めると、落ち着いて答えていく。


 「ええ、恙無く。」


 「確かゴート伯、リッダ伯、レッジョ辺境伯、ペレッティ候、それにパンフィーリ家の者と親しくしていると聞いたが、今もそうか?」


 「皆さまとは良い学園生活を送らせて頂いていますわ。それと最近は、サロ伯爵の娘さんと特に仲が良いかしら?」


 「ほう、サロ伯爵か。あそこは中立派だが…しかし父親も頭は悪くないようだ、娘と仲良くしておくに越したことはないな。」


 「ええ、彼女は多分人を見る目がおありよ。頭の回転も良い方だから、友人として信頼しておりますの。」


 「なるほど、それは上々。我が家のルヴェンマパーティーには招待しなかったのか?」


 「今年は飛び地の御領地で過ごされるんですって。…その代わりと言っては何ですけれど」


 一旦侯爵の顔をちらりと伺ってから、彼女は話を続けた。


 「ペザロ伯のご長男をご招待するとお約束しましたの。よろしいかしら?」


 すると、無表情が通常運転である侯爵が、珍しく片眉をくいっと上げた。


 「ペザロ伯の長男というと…確かお前の1つ下だったか?」


 「ええそうですわ。カルロとはコースの選択授業で同じでして。スポレート伯の御子息と仲が宜しいようで、わたくしも偶に昼食をご一緒させて頂いているの。――ああ、ご心配なさらないで、もちろん彼の友人の女子生徒もその場に同席した上で、ですから。」


 一瞬眉を顰めたルクレチアの父親は、それを聞くと普段の無表情に戻った。


 「そうか…スポレート伯の息子とも友人か。正直マラテスタ家は分家との派閥対立もあるようだから、家として付き合いたい相手ではないが…ただその長男だけは、一見の価値があるかもしれん。」


 「でしたらルヴェンマパーティーは良い機会ではなくて?」


 「そうだな、招待の件は認める。ただし、私からでなくお前の名前で、あくまで私的な手紙として送れ。いいな?」


 「ええ、必ずそのように。」


 そう言って2人の会話が途切れると、今度は横からルクレチアの母親が学園の生活について聞いてくる。

 一通り成績について褒められた後、話は彼女にとって一番面倒な部分に入りかけた。


 「そういえばレチアさん、あれからフェルディナンド殿下ときちんとお話しできたのかしら?」


 そう聞いてくる夫人の表情は、どちらかというと繊細な娘の恋心を心配する母親のそれである。


 (確かにお話しはしました。…ただし、会話のベクトルは永遠にねじれの関係だと思われます)


 思わず心の中で白け切った答えを返しつつ、微笑みとともに無難な回答をすることにした。


 「ええ、偶にお話しさせて頂いていますわ。ただ殿下とは取っている授業が全く違いますし、友人との付き合いもありますから…残念ながらいつもという訳ではございませんが。」


 嘘ではない。確かに彼女はフェルディナンドと会話を交わしたし、彼と授業がほとんど被っていないし、友人との付き合いがあるというのも本当である。


 (まあ会話は言うまでもなく、授業が被ってないのは王子がわざわざルクレチアの取る授業を確認して、できるだけ違うの取ろうとしたってことらしいけど。友人の付き合いに至っては、友人の1人であるはずの子爵令嬢に恋慕してるって状況だけど…。沈黙は金だから。)


 そんな彼女の内心を察したのか、侯爵が尚も心配そうに話を続けようとする妻を諫めた。


 「そこまでにしろ。確かに殿下と娘の関係が良いに越したことはないが、どちらも16,7の子供だ。思春期を過ぎて多少落ち着いて来れば、自然と上手くいくようになるだろう。今どうこう言って何かなるものではない。」


 (半分正解、半分不正解…でも止めてくれたのはグッジョブお父上!)


 すると今まで黙って話を聞いていたベアトリスが、おもむろに声をあげた。


 「ねえ、それなら殿下もパーティーにお呼びすればいいんじゃない!ルヴェンマの時期にはよく恋人同士でお出掛けするんでしょ?ならお姉さまも殿下をお呼びしてデートすればいいのよ!」


 「殿下がいらっしゃるの?それいいね!僕は殿下とお会いしたのずっと昔だけど、お手合わせとかして頂けないかなあ!」


 (…あ、これあれじゃないか?なんだっけ、ルクレチアが殿下とエレちゃんのデートを邪魔しようと、自分の家のルヴェンマパーティーに婚約者として招待するみたいな、そんなイベント。私が言い出さなきゃそんなもの起きないと思ってたけど、妹と弟が伏兵だったとは…私としたことが、これはノーマーク…)


 可愛らしい子供たちがお願いするのなら、仕方ないが殿下も招待するか――などと思うはずもなく、彼女は侯爵と夫人が口を挟む前に笑顔でばっさり切りに行く。


 「まあまあ2人とも、殿下にお会いしたい気持ちはわかるわ。でもね、考えてみて?ルヴェンマ休暇はご家族で過ごすのが習慣でしょう?殿下はただでさえ普段王族として色々とお忙しいのよ、なのに折角のルヴェンマ休暇まで家族水入らずの時間を邪魔されたらどうお思いになるかしら?わたくしは婚約者だけれど、だからこそ殿下のお気持ちを優先して差し上げたいの。――お姉さまの気持ちを理解して頂けるわよね?」


 立て板に水、というような口調に圧倒されつつ、弟妹はこくこくと頷いた。


 「じゃあこのお話はここでお終い!――お父様、お部屋に戻ってもよろしいかしら?」


 「ああ。…それとルクレチア、あとで私の部屋に来い。話があるから、時間になったら呼びにやる。」


 「わかりました。ではそれまで、自室で休ませて頂きますわ。」


 そうして優雅に立ち上がると、彼女は部屋へと戻っていった。




 

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