10:宵闇の女神、哄笑
※今回は婉曲ですが艶回?です。また、主人公は何時にも増して口が悪いです。作者としては男性女性関係なく貶めるような意図はありませんが、不快に思う方がいらっしゃったら読み飛ばすことをお勧めします。
そこは、ガリエラ公領内にある別館の主寝室である。
広々とした部屋の奥に、落ち着いた色の、かつ豪奢な織物で彩られた重厚な天蓋付きのベッドが鎮座している。
繊細なレースのカーテンがベッドの上と外の空間を遮断しているが、時折差し込む月明りに透けて、中に1組の男女が寝そべっているのが見て取れた。
女の美しく幼げな横顔は、色事を楽しむにはまだ少し早い年齢にもみえる。それは彼女に普段施されている濃いアイラインが、今は落とされているからというのもあった。
しかしシーツの上からでも想像できる身体のラインは、男を惑わせるためにあるかのような曲線を描いている。そしてシーツに隠されていない、悩ましいデコルテや肩、ほっそりとした腕や首には、ところどころ赤い花が咲いていた。
そんな女を見つめながら、男は慈しむようにその長い艶やかな黒髪を撫でている。時々その武骨で大きな手は、女の白い柔肌を滑っていく。
目を閉じながら、うっとりとそれに身を任せている美少女を見る男の顔は整っており、その口元は満足げに弧を描いていた。
ガリエラ公に呼び出された彼女は、今宵も彼に甘い夜を捧げている。
「ん…」
ガリエラ公の指が肌をくすぐる感覚に、彼女の伏せられていた瞼が上がり、隠されていた大きな黒い瞳が公爵の悪戯っぽい美貌を捉えた。
「あれ、起こしてしまった?」
「…わざと、でしょう?」
その赤い唇を尖らせながら、彼女は囁く。すると公爵もふっと笑って彼女に顔を近づけた。
「だって、可愛くてね。つい。」
「もう、パウロ様はわたくしを寝かせる気がないのね?」
「あれ、ばれてしまった?だって、ここのところ全然きみに会えなかったんだ…少しは甘えさせてくれてもいいだろう、レチア?」
ガリエラ公は妖艶に微笑みながら、更に顔を近づけ――ぺろりと彼女の首筋を舐めた。
「あっ」
「ふふ、可愛いな、レチア。化粧している時も気高い美人だけれど…今のように何もしていない方が、僕としてはそそる。」
「ほんとに公爵様は悪戯っ子なんだから。…それじゃあお化粧をしない方が、第2王子にも気に入っていただけるのかしら。」
するとガリエラ公は、先程までの微笑みから一転し少々不機嫌な表情を浮かべる。
「きみは意地が悪いな…きみに溺れる僕の目の前で、他の男の寵を欲しがるのかい?――許せない、な。」
そう言いながら彼女のシーツの中に侵入してきた腕をいなし、答える。
「あら、わたくしは“婚約者という立場から”第2王子に気に入ってもらえるかどうか考えただけだもの。第2王子を女として求めているわけじゃないわ?」
「ふぅん、そう?でもきみ、以前はあんなに熱をあげてた時もあったじゃないか。…熱っていうのはいつぶり返すかわからないからね。」
それを聞いて、彼女はくすりと笑う。
「やめて、あれはわたくしにとって、思春期の手痛い擦り傷みたいなものなの。正直、王子様に大切にされるお姫様っていうのに憧れて、恋に恋してたのよ。あれはただの風邪だったの…そしていまわたくしは、貴方っていう病気で高熱に浮かされている最中なのよ。」
「奇遇だね、僕もきみに対して同じ症状を抱えているんだよ。そしたら、僕は彼に対してこれ以上嫉妬の炎を燃やさなくていいわけだ。」
「そうよ、当たり前じゃない。…まず、彼が女としてわたくしを求めることはあり得ないわ。貴方もしっているでしょ?あの子爵家の娘さんのこと。」
ガリエラ公は、眉を寄せながら頷いた。
「ああ、あの子だね…彼女、なかなか良い趣味をしているみたいだ。」
「そうでしょうね。わたくし学園で彼女と少しお喋りさせて頂いたのだけれど、とても素直で純粋な子だったわ。そういったところが、一部の男性がたに特に気に入られているのでしょうね…王子も彼女のお優しい心に触れて、随分穏やかになられた、ともっぱらの噂だもの。」
そう伝えると、宰相はふん、と鼻で笑った。
「穏やかになられた、ねえ…それは多分、正しく言い直せば“腑抜けになられた”の間違いであろうよ。実は僕自身も彼女を見たことがあるんだ。ガリエラ公爵として、一国の宰相として、そして王家の血が流れる者として、第2王子をはじめとした幾人かの高位貴族の令息を魅了する娘というのは、どういう者なのか見極める必要があったからね。」
そこでいったん言葉を切ると、公爵はどうでも良さげな口調で続けた。
「――しかし、あれは特に面白くなかったかなあ。手玉に取るだけの器量と中身があると少しは期待していたんだが…器量はそこそこ、中身を言ってしまえば三流以下、かな?道端に転がっているような小石程度につまずくなんて、王子やらあれやら、同じ性に生まれているはずなのに、僕には理解できない生き物に思える。」
とうとう“生き物”呼ばわりされてしまっている攻略対象たちを哀れに思いつつも、彼女も擁護はしない。しかし一応、解説だけはしておいてあげようと口を開いた。
「パウロ様はそれだけの力をお持ちになっているもの、わからないのは当然ですわ。持たざる者を癒す力。…きっとそれが彼女の魅力ですもの。」
なるほどね、と納得したように頷く公爵の声には、もうすでに興味のかけらもなかった。
「そういうことか。まあ、なら仕方がないのかもね。王子もあれも、侯爵や伯爵の倅たちも、正直生まれてきたのが2番目以降で本当に助かったよ。――おかげで事の始末がつかなくなりそうになっても、元凶たちそのものを始末すれば済んでしまうわけだし。」
まるで粗大ごみの処理について話しているかのような口調だ――夜の褥の中で恋人と他愛もないことを話しながら、「そういえばあれ、だめそうなら来週の収集日に出してこよう?」と思い出したように話しているかのよう。
しかし内実は、王子だけでなく自分の血の繋がった息子まで簡単に始末してしまおうと、父親であるはずの男は語っているのである。
だからといって、彼女はそれに対して何も思わない。
それが、彼らが生きる世界で当たり前のことだから。
世界を生き抜くためには必要なことだから。
彼女らの“世界”は、家族だけでない。学校だけでない。王宮だけでもない。国だけでもない。
不特定多数、有象無象の人間が犇めく、正しく世界なのである。
(思うところがあるとすれば、エレちゃんの外見はわたしが見る限り美少女なんだけど、ってとこかな。そりゃこの人自身美男だし?奥様も、女っていう枠を踏みつぶしていようが美女には変わりないし?美を見慣れているこの人にとっては、使えなけりゃただの綺麗な石ころってことか。…でも石ころ舐めちゃいけない。どんな丸いちっちゃな石だって、例えば時速160キロとかでヒトの眼に当てれば失明するんじゃない?――要は使い方次第で凶器にもできるし。)
彼女は思考を複雑な方へと巡らせがちだが、実際話は単純である。…ガリエラ公はストライクゾーンが狭く、子犬系純粋少女は対象外だったというだけの話だ。そしてプライドの高い小悪魔系ビッチが好みど真ん中だった、と。
彼女は半分意図して、半分は無意識で、公爵のツボを一息に踏み抜いたらしかった。
「そうね…でも、捨てる時はちゃんと捨て方も考えないと、あとで大変なことになりますよ?ほら、皆さま本体には大したものをお持ちでなくても、外的資産としては色々持っておられますし――特に王子なんかは…」
「ああ…あれはね。奴の持っているあの山は特にライマルダとの結束に必要不可欠なものだしなあ。エステ候のところのも、なんであんなのに研究所の管理なんて権限与えてしまったんだか、僕は今でも理解に苦しむね。」
「まあ、そうよね。ライマルダとの提携は特に重要かつ極秘ですもの、わたくしもお父様から伺わなかったら、知らなかったくらいなのに。」
「カルロスは賢い選択をしたと思うよ――きみが多少なりとも事情をわかっていれば、むしろ僕たちにとっても第2王子らを御すのに助かるからね。しかもきみだって王族となれば、一国の顔として他国を訪問することだってあるわけだ。ライマルダとの関係はなかなか繊細だ、きみみたいな有能なひとが対応できるとなれば、薄氷を踏むような事案だってそれだけ心強いからね。」
そこで公爵はいいことを思いついた、というように表情を明るくした。
「…ああそうだ、なんなら王子の持っているあの山、きみとの共同管理にしてしまえばいいんじゃないか?ついでにあっちの持ってる研究所をその山の近くに移転させてさ。今のところは山の共同管理権だけ確保しておいて、研究所の実質的な管理もきみができるようにして、あれらの捨て時になったら、適当な罪状を貼ってやって、名目上の権利もごっそり抜いてやればいいんだから。」
「あら本当に?――それじゃあその期待に応えられるように、精進しなければいけないわね。」
「うん、そうしよう、決めた。今度早速手配しておくよ。…大丈夫だレチア、きみになら捨て時まで第2王子を任せても安心だ。」
ええ、と彼女が顔を顰めると、ガリエラ公はそんな顔しないで、と彼女を抱き寄せる。
「ほら、こうやって僕と気持ちいいことしながらでいいからさ?――ね、いいだろうレチア?」
そう言う公爵の指は、シーツの中で抱きすくめた彼女の美しい身体の上を、艶めかしく這い始めている。
(う そ で しょ ? ? これ何回めだと思ってんの?!
――こいつ、少なくとも私の倍の年月は生きてるんだよね?
実は年齢詐称ですとかじゃないよね?アイドルじゃないしね?
私の方が疲れてるんですけど?いい加減喘ぐのも疲れるんですよ、わかります??
いちいちあなたの言葉攻めに反抗しつつも感じるなんて繊細な芸当、やられまくりながらするの大変なんですよ??
ちょっと不機嫌にあしらってみせてから、あざとく誘惑するなんて、面倒なんですよ??
もちろん冷たく突き放して放置してやりたいっていうのが本音だなんて、あなたのご機嫌とるために今までしてきた努力が無駄になるんで、ぜっったい言いませんけど???
何のためにご機嫌取るかって?そんなの利益が欲しいからに決まってんでしょうが!
ねえ、もちろん男性だって色々と大変だろうとは思うの。
でもあなたは、一発のためなら多少は頑張れちゃうって部類の人間ですよね??
それに対して、世の中の女性一般がどうであろうと、必要以上の労力は使わないのが
私 の 主 義 な ん で す よ!!
――ってことでそのくそうぜえ指どかしてさっさと私を寝かせろやこの
絶 倫 じ じ い ! ! ! ! ! !)
「えー…気持ちいいことする気分じゃない…」
そう可愛らしく呟くと彼女はぷい、と身体をひねる。あくまで可愛らしく、あくまで多少身体をひねる程度である。
間違っても、彼女の心の叫びは、心中から1ミリたりともはみ出てはいけないのである。
「そんなこと言うなよレチア。…ね、きみのそんな可愛い顔をみていたら、僕なんてもうこんなになってしまったよ?」
押し付けられるガリエラ公の腰。彼女の白い柔らかな双丘は、残念ながら明確にその硬さを感じ取っていた。
(・・・覚えてろ。これのために使った無駄な労力のぶんは、 き っ ち り 元をとってやるからな・・・)
彼女の意識を音声化できるとしたらそれはまるで、この国の宗教で例えれば、地の底から這いあがる地獄の使者の声に聞こえるのではないだろうか。
「ふうん、こんなになってるなんて、パウロ様も可哀想ね。――そんなにわたくしに食べてもらいたかったの?」
言いながら公爵の腕の中でくるりと振り向いた彼女は、妖しく掠れた声で囁きながら、目の前にある男の唇をぺろりと舐める。
その瞬間、男の腰がびくりと揺れ、その涼しげな目元に明らかな火が灯った。
「おやおや、そんなこと言われたら、僕も自制できなくなってしまう。…いいのかレチア?」
ふん、と彼女は鼻を鳴らすと、その赤い唇をにっ、と煽情的に吊り上げる。
「あら、パウロ様こそ――覚悟はできていらっしゃる??」
その言葉とともにぐいっと公爵の身体に乗り上げた彼女は、上から噛みつくようにその唇を奪った。
そんな彼女の挑発によって易々と煽られたガリエラ公は、大きな手で至るところを弄りながら、時々たまらないように、自分を跨ぐ彼女の細い腰に熱を押し付ける。
(ちくしょう、まあ本当に海老で鯛釣れたから大損じゃないけど…こうなったら絶対、あと1時間で終わらせてやる。――向こう1ヶ月は出せなくなるくらい搾り取ってやるわ。覚悟しなさいよ、公爵さま?)
そんな穏やかでない発言を心の中で呟きながら、大切な睡眠のために仕事を開始した彼女を、まるで半眼のような月が薄く照らしていた。