9:第2王子、失言
カルロをある意味で攻略した彼女は、それから週に一度、カルロと例のカフェテリアで昼食をするようになった。もちろんアドレアンと、テラスを占拠する友人たちも漏れなくついている。
他の攻略対象とは、以前の接触以来まったくと言っていい程かかわっていない。ただし第2王子に関してだけは、そうもいかなかった。婚約者であるルクレチアをそっちのけでエレオノーラと懇意にしているため、取り巻きの令嬢たちが頼みもしないのに嫌がらせをしに行こうとするからである。
(まったく、どうせ王子に問い詰められたら「ルクレチア様のためを思って」とか「ルクレチア様がお辛そうだったから気持ちを汲んで」とか言うんだろ。いかにもルクレチアが普段からエレオノーラを嫌っているような物言いしてさ、明確な指示はなかったものの黙認はされてましたよてきな。)
いい意味でも悪い意味でも、令嬢は貴族だ。責任の擦りつけ合いは、貴族の嗜みとも言って過言ではないのである。
もちろん普段なら、それを黙って見ているような彼女ではない。ただ今回は彼女の望むシナリオのために、それとなく嫌がらせの内容を矯正しつつ黙認していた。
そして、その結果が現在の状況である。
彼女は今、学園のサロンの一室で優雅に紅茶を味わっていた。その向かいには、窓から初冬の薄い日差しを受けてブロンドヘアーが輝いている、物々しいオーラを出す美青年。――御名答、ルクレチアの麗しき婚約者、フェルディナンド王子である。
「お前、なぜ俺に呼ばれたかわかっているんだろうな。」
どすの効いた声で低く問う第2王子。もちろん彼女は正しく理解している。
(あれでしょ、「俺の可愛い彼女に嫌がらせするなんて!堪忍しろこの悪女!」って言いたかったんでしょ。まあなんていうか、ほんとお坊ちゃんだこと。現実で肩書王子だもんね、可愛い彼女はまさにお姫様。身分が低い幼気な美少女を守るかっこいいヒーローの気分なのかな?)
こんなことを思っているが、彼女は決してそれを否定したいわけではない。ただ、それに自分が付き合わされることに辟易しているだけだ。彼女は基本的に迷惑をかけてこないのであれば、この王子たちが何をしようとも気にならないのである。
「あら、久しぶりにわたくしと語らいたかったから、と仰るのではなくて?」
にっこり微笑んで彼女が返すと、途端に王子は氷のような表情で睨んできた。
「そんなわけあるか。お前の顔なんて心底見たくもないんだ。今日はエレナのことでどうしても釘を刺しておかなければならないから呼んでやったが――本当に、お前みたいな奴と同じ空気を吸っているなんて吐き気がする。」
(おーおー、ならいっぺん吐いとこうかぼく、すっきりするぜ。ただし吐くのはトイレにしてくれ、私も目の前で人に吐かれたら貰い吐きしそうだからな。あと衛生的にもよくないからな。)
嘔吐する美形というのも一部ニッチな嗜好の人間には受けるらしいが、こういうタイプの美形はお呼びでないだろうなあ、なんて下らないことを彼女は考えている。
「まあ、そんな冷たいこと仰らないで?エレオノーラさんのことでお話があるというのは理解しましたわ。――それで、その方がわたくしとどんな関係がありますの?」
「どう関係がある、だと?ここのところエレナに下らないちょっかいを出しているのはどこのどいつだと言うんだろうな?」
冷たく睥睨するフェルディナンド。その視線を楽し気に受ける彼女は、正に物語に登場する悪役の鑑のようだ。
(下らない、ってとこには賛成だわ。ほんとあの子たちってば、考える嫌がらせが下らなさ過ぎるもん。)
取り巻きの令嬢たちが行おうとした嫌がらせは、まるで10歳児の思考のようだった。――曰く、靴を隠す。教科書をゴミ箱に捨てる。集団で無視する。エレオノーラの悪口を学園で流す。そういった類のものばかりだ。
彼女は最初、そのまま放置しようかとも考えていた。確かに子供っぽい虐めではあるが、逆に単純だからこそいなし易い。
もちろん単純だからこそ、繊細な子であれば向けられる悪意に耐えられないということも考えられた。しかし彼女の観察の限りでは、エレオノーラはそういうタイプではない。純粋だが強気なところもあり、きちんと支えてくれる仲の良い女友達も作っている。
ならば、そういった下らない虐め程度強気で流せるくらいの強さはあるだろう、と彼女は踏んでいた。
(でもガリエラ公の目もあるし、あんまりお粗末なやり方放置して評価下がるのもやだったしなあ)
仕方なく、彼女は器物損壊系の行為に関して「下品な行動は貴族としてありえませんわ」という鶴の一声を発し止めさせた。
ただし、噂話については一切止めていない。むしろ、エレオノーラが攻略対象に気に入られているのを利用して、「高位貴族に取り入ろうとしている」だの「複数の男を相手にしたがっている」だの「美男とみれば誰彼かまわず色目を使う」だのと流すよう、さりげなく誘導したのは彼女である。
(私は今のところエレちゃんを好きでも嫌いでもないから、虐めたいって欲求はないんだけど。ただどの程度使いやすい子なのかは興味あるからな~…エレちゃんには申し訳ないけど、ちょっと嫌がらせされてて下さいな。エレちゃん強いし、この程度なら堪えないよね?)
「さあ、わたくしはそんな方存じ上げませんわ?――ねえそれより殿下、この前ヴィサッチ山をご視察なさったんですって?その時のお話を伺いたいわ。」
「は、俺の話などお前にするものか!それにお前はその山から宝石の原石でも採掘されると思ったんだろうが、残念だったな。あの山は鉱物のこの字も出てこないぞ。何か利はないかと科学者たちが調査をしているようだが、今までそんなもの出てきたこともありはしない。――ふん、本当にお前はどこまでも強欲で濁っている。」
蔑むように吐き捨てる王子は、目の前の少女の瞳にほんの一瞬、光が灯ったことに気づかなかった。
「誤解ですわ殿下。わたくしはそういったことを考えていたのではないのです。ただ、殿下と他愛ないお話をさせて頂きたかっただけで…」
「くだらん。お前と話す口など俺は持ち合わせていない。」
ばさりと切り捨て、フェルディナンドは席から立ちあがった。もとより彼は、釘を刺すだけ刺したらさっさとエレオノーラの元へ行こうと考えていたのである。それ以上の長居は無用であった。
「いいか、エレナに手を出してみろ――お前が一生後悔するようにしてやる。」
そう言い残すと、王子は荒々しくドアから立ち去っていった。
ティーカップを片手に、ぽつんと残された少女はソファーに座ったままだ。
「ふふふっ」
と、他に誰もいないサロンで、どこからともなく小さな笑い声が上がる。
よく見ると、楽し気に赤く弧を描いている彼女の口元。
「みーつけたっ」
にい、と笑った彼女は、これぞ悪役令嬢という表情をしている。
――その一週間後、いつものようにガリエラ公に呼び出された彼女は、釣った海老を餌に今度は鯛を釣ってやろうと強かに笑いながら屋敷へと赴いた。