序章:ある戦場で
次話から本編スタートです。
※今回は多少残酷な描写が入っているので、苦手な方は飛ばして下さい。
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ざあっ…と一陣の生ぬるい風が吹き抜けた。
生い茂る下草と高く葉を茂らせる木々。そんなうっそうとした熱帯雨林が途切れた先には、焼畑だったであろう今は放置された荒地が漫然と広がっていた。
しかしよく目を凝らすと、その大地には一本の歪な線が走っている。そしてそこにはわずかに揺れる、黄土色の帽子たちが無数にひしめいていた。それらは一様に、静寂する森林の方を凝視しながら細い筒を構えている。
ざあっ…と再度木々が騒めいた。
森林の茂みが僅かにかさり、と揺れたが、その微かな音は周りの音に溶け込んでいった。そしてまた、もわりとした湿気が辺りを重く包み込む。まるで肺の中まで纏わりついてくるような、じっとりとした空気。茂みはあれから一葉も動いていないように見えるが――
「…く、はしなッしなない…ぼ、ぼくは、しなない…ぼくッ、は、しな、しなな…」
少年は、鉄製の筒状のものを構え茂みの中に伏せながら、先程から引き攣るような声でずっと同じ文句を囁いていた。震える声の高さと線の細い足腰から、まだ彼は10代の半ばも過ぎていない、子供と言っても過言ではない年齢だと思われる。
それを、隣で同じように伏せているこれまた同じような年頃の子供がちらりと見た。ただしこちらの方は隣の彼とは打って変わって、無表情で落ち着きはらっている。いっそ隣人など興味がないといったような表情でもあった。
「ねえ、き、きみ怖くないのッ…?」
遂に少年は隣人にひっそりと声をかけた。しかし返ってくる囁き声は風のように生ぬるい。
「そんなこときく暇あるなら、見つからないように口閉じれば?」
「だ、だって…」
少年は思わず隣人を仰ぎ見た。灰緑の軍帽を目深にかぶり、ひたりと伏せる細い躰は下草に隠れている。それでも確かにしなるその曲線から、隣人は彼よりほんの少し年上の少女なのだということが見て取れた。
「…きみだって、初めてでしょ? しげみにひそんで、合図まって、ざんごうの敵に突っこむ、なんて」
「そうだけど?」
「な、んでそんな、おちついてっ、あっもうそろそろっ、」
「敵に撃たれる前に自分で舌噛み切って死にたいの?」
正直少女も特別余裕があるわけではないのだ。本来ならば国境近くの戦線で、後方支援に回っていたはずの部隊。それが、反乱軍の思いもよらぬゲリラ戦で前線部隊が壊滅し、後方に配置されていたこの部隊が出張る羽目になった。…自分は最初のくじで、まさかの大当たりを引いたのだ。
( いつからこんなくじ運悪くなったんだか… )
そう考えているうちに、どこからかキキキ…と鳴き声のような音がした。その瞬間、茂みに潜んでいる灰緑の野戦服に身を包んだ集団に緊張が走る。
――「出撃用意」の合図である。みな一様に鉄の筒を構え、懐に装備している片手程の円柱を確かめた。少女もこの後生き残るためにやるべきことを、頭の中で順番に確認していく。
(相手は常人だから、茂みから飛び出して3秒は撃ってこれない。それまでにどのくらいぶっ放せるか、かな。)
そういえば、さっきまで話しかけてきた少年は一転して静かである。
(とりあえず私の方が反応速度は上だけど…走る相手にまともに当てれるやつなんて層々いないから、)
かさり。どこかから音がする。
(あとは20m以内まで走りきって、こいつを投げて、)
はっ、はっ、という息の音は、近くの兵士か、それとも自分か。
(向こうに届くまでの数秒をもたせれば、あとは、)
突如、キュイキュイキュイ!という鳴き声が熱帯雨林に響いた。
ざざざざざざざっ
茂みから一斉に灰緑の集団が飛び出す。
そして少女は真っ先にその武器を開放した。
ヴンッヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴンッッ
「「「「「ヴアァァアアァアアァアァァアアアアアッッ‼‼‼‼‼‼‼‼‼」」」」」
雄たけびが戦場に木霊する。そして放たれる幾多もの紫の光の筋。
ベルトを左肩に通し固定された鉄筒の下のグリップを左手で再度強く握る。
そして筒身右側に飛び出る棒状のレバーを右手で一心に引き続けた。
ヴヴンッヴヴヴヴヴンッヴヴヴヴヴヴヴヴンッッ
少女は撃ちながらひたすら前へ疾走する。
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴンッヴヴヴヴヴヴヴンッヴヴヴヴヴヴンッ
隣を、同じような年頃の灰緑の少年少女たちが眼を見開き叫びながら疾走している。
ダダダダダダダダダダダダダダダッ
とうとう敵側からも弾が飛来した。
「「ァ゛ガアアァァアァアアァアアアアアアッッ‼‼‼‼」」
味方か敵かわからない断末魔が響き渡った。
ダダダダダダダダダダダダダダダッ
ヴヴンッヴヴヴヴヴンッヴヴヴヴヴヴヴヴンッッ
ダダダダダダダダダダッダダダダッ
前しか映さない視界の端に、血煙が見えた。
ヴヴヴヴヴンッヴンッヴヴヴヴヴヴヴヴヴンッッ
見据える先で、時々どす黒い小爆発が起きる。
ダダダッダダダダダッダダダダダダダッ
あと、10メートル、――いつの間にか隣がぽっかり空いている――
ヴヴヴヴヴヴヴヴンッッヴヴンッヴヴヴヴヴンッ
あと5メートル、
ダダダッダダダダダッ
脚を、腕を、灼熱が掠める――
ヴヴンッヴヴヴヴンッヴヴヴヴヴヴヴヴヴンッッ
「「投げろォォオォオオォオオオオオオオオオオオオッッ‼‼‼‼」」
ピンを抜かれた黒い円柱が放物線を描きながら、一斉にむわっとした亜熱帯の空に投げ出され――少女は伏せる直前、少し先の塹壕の中で恐怖に目を見開いた敵兵と目が合い、
(――あ、くじ運最悪なのは前からだった)
視界が一瞬の光と、絶叫と煙に包まれた。
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