転がるはリンゴ
「マスター、ケンタウルスⅡまで二時間です」
「オーケイ、ノエル、外を見せてくれ」
うつらうつらと居眠りをしていたケントは、ノエルの声にリクライニングシートを起こした。スクリーン越しに光が時おり走るのは、宇宙塵の軌道を変えるために。艦首の二連装レーザー砲が仕事をしているせいだ。
「相変わらず酷いところだな」
「それでも去年より二十三%、デブリの減少が認められます」
終戦から十三年、最盛期の七割まで生産能力が回復したケンタウルスⅡはこの星系の農産物の半分をまかなう農業コロニーだ。
独立戦争の初期に太陽系宇宙軍の猛攻を受け、壊滅したものの、超大型の小惑星を繰り抜いて作られた構造と、空間騎兵の白兵戦で勝敗がついた事から、被害を受けたコロニーの中では、比較的、復旧が進んでいた。
「ノエル、割り当てられた身代わりは?」
「ストーリエ商会に貸出中の『カットラス』です」
輸送ギルドと言えば聞こえはいいが、スカーレットの束ねる輸送船団『ドラゴン・ネスト商会』は、運び屋ギルドだ。独立戦争時に大量生産されたソード級と呼ばれる輸送船十五隻と、キャラバンを組む際に護衛につく旧式のフリゲート三隻、それに彼女の宇宙ヨット一隻が商会の持ち船だった。
「発信応答機オーバーライト」
「了解、本船は只今から『カットラス』を呼称します」
登録されている十五隻のうち、生きているのは十一隻で、面倒事はダミー会社にレンタルされた事になっている船籍で行われる。もちろん、仕事に従事しているパイロットはトカゲの尻尾という訳だ。
「紐を付けた端末は?」
「現在、こちらへの侵入は止まっています、端末の種別はハイエンドの家庭用端末、クラックしますか?」
「いや、やめとこう、設置位置の特定だけでいい」
件の亡霊を盗んだのは、『タルパ』という名の鉱山ギルドの連中だと言うことは、リシュリューからの情報で判明していた。
ケンタウルスⅡを本拠地にする『タルパ』はもともと、小惑星帯から氷と微量元素を回収し、水と土の材料を供給するのを生業としている。
「『タルパ』か、どんな意味だ? ノエル」
「該当する言語で最も的確なものを検索」
「それで?」
「地球圏、ユーラシア大陸の言語で『土竜』と判明」
「土竜か」
§
ストーリエ商会による高級リンゴの買い付けという名目でケンタウルスⅡに上陸したケントは、ノエルの割り出した住所へ向かうことにした。
『タルパ』の本部に殴りこむ……というのも手っ取り早そうではあったが、こちらに探りを入れに来た奴が誰なのかが気になったからだ。
「しかしまあ、大したものだ」
メインは人工照明と水耕栽培による食料工場のケンタウルスⅡだが、人間というのは貪欲なもので、自然光と土で栽培される農場が小惑星の中心部に存在していた。
小惑星表面に張り巡らされた集光装置と重力制御による自然環境の再現。こんな非効率的な場所を所有するのも、そこで採れた物を食べるのも、とてつもない金持ち以外はありえない。
「地球もこんな場所なんでしょうか?」
通信機のカメラを通して見た風景に、ノエルが言う。
「さあな、戦争に負けて以来、俺達が行けるのは火星までだからな」
「残念です」
テロを防ぐという名目で、戦後、ケンタウリ星系の住人は火星より内側に入れなくなっていた。まあ最初から棄民として宇宙に捨てられた開拓民だ、地球圏からすれば当たり前の話だろう。
土の道路に並木道、小鳥がさえずる天国のような景色の中をケントがポツポツ歩き続けていると、青空が映しだされた天蓋がにわかに暗くなった。
「ん?」
ポツリ、ポツリと雨が降り始める。
「なんつー無駄な事を、水道局が取り締まるのは貧乏人の水泥棒だけかよ」
その昔は、ケンタウルスⅢでも定期的に雨を振らせていたというが、生まれてこの方、雨なんてものは映画館の立体映像くらいでしか見たことがない。たまらず木陰に隠れ、ケントは恨めしげに空を見上げた。
「目的地まであと八〇〇メートルです、取り寄せた情報ではその雨は十二分後に上がる予定です」
「でかいスプリンクラーだな」
「ロマンチックだと思います、いつか私も経験したいです」
「お前は丸洗いするには、少々でかすぎるだろ」
「マスターは意地悪です……」
そう言ってスネて黙り込んだノエルに、ケントは苦笑いする。
「ん?」
そんな雨の中、小さなトラックが向こうからトコトコと走ってくるのがケントの目に入った。
「よう、若いの、どこまでだね?」
二人乗りの小型トラックの荷台に、リンゴを積んだ老人が雨宿りするケントの前に車を止める。
「ああ、すぐそこの農場だ、二十二番地」
「なんじゃ、同じ行き先なら乗りなされ」
好々爺然とした老人がそう言って、乗れと隣の席を親指で指した。
「……」
「どうした? 若いの?」
えい、ままよ、とケントは老人のトラックに乗り込んだ、少なくとも害意があるようには見えない、いずれにしろ、この老人がハッキングの相手なら、こちらの顔は知っていることだろう。
「いや、助かるよご老体」
「はっはっは、気にするな、ワシはヴォルフ・リューグナー」
「ケント、ケント・マツオカ」
「ケンタウルスⅡは初めてかね?」
「そうだな、十三年ぶりと言ったところさ」
停戦交渉前日、空母『ラファイエット』を含む六隻の機動艦隊が、ケンタウルスⅡ付近に展開する太陽系宇宙軍に、残存兵力で攻撃に出た。
少しでも被害を与え、交渉を有利に……その目的は果たされたが、結果が、今なお外を飛び交う宇宙塵の嵐だ。先ほど撃ち落としたのは戦友の欠片かもしれない。
「そうか、いい所だろう、ここは」
「ああ、本当にな」
§
「じゃあ、わしはリンゴを選別せんといかんでな、ああ、入り口はそのバラ園を抜けたところじゃ」
そう言って去ってゆく小型トラックを見送って、ケントは小降りになった雨の中、レンガ造りの建物へと向かう。これを個人で所有しているというなら、どこの誰だかはしらないが相当の金持ちに違いない。
「ノエル」
「はい、マスター」
「ドアを開けてくれ」
「了解しました、セキュリティレベルBプラス、解錠まで六秒」
……銀行の金庫並のセキュリティかよ、とんでもないな。
「解錠しました、建物へのハッキングを開始しますか?」
「ああ、セキュリティCまでの物は全てハッキング、それ以上の物は指示するまで待機」
「了解しました」
セキュリティDの照明、エアコン、水回り、ここまでの機器はハッキングされたとしても、通常気がつく人間は居ない。セキュリテイCの通信機器に関しても、一般人の機材であれば警報を鳴らすことはほぼありえない。
ケントの自宅がハッキングされた際に気がついたのは、単純にノエルが全てをモニタリングしているからというだけで、普通であればケント自身気が付かないところだ。
カチャリ
鍵が開く音がする。そっとドアノブに手を伸ばした途端……。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました、ケント・マツオカ様」
中からいきなり扉が開くと、笑顔で言いながら、時代がかったメイドが現れた。
「くっ」
ケントがヒップホルスターに手を延ばす。同時に小柄なメイドに一歩詰め寄って腰を左腕で抱え込むと、ヒップホルスターから銃を……。
「うわっ」
抜こうとしたところで、伸ばした左手を取られ、ケントの視界がグルリと回る。
「お客様、おイタはいけませんわ? 踊り子には触らないでくださいまし?」
「……っつ」
小柄で細身の身体からは考えられない怪力でケントが床に押さえつけられた。
「ノエル!」
相手がアンドロイドなら、ノエルに任せれば何とでもなる……。
「ほらノエルも、久しぶりなんですから、ご挨拶なさい、わたくしそんな子に育てた覚えはありませんからね?」
「え?」
「独自プロトコル認証、セキュリティコードクリア……クリスお姉様?」
通信機を通してノエルの声が聞こえる。
「ええ、そうですよ、クリス姉様ですよ?」
何と言うか……ダメだった……。一気に脱力してケントは床に額をぶつけた、ゴン、と音がして石の冷たさが伝わってくる。
「あら、お客様、大丈夫ですか? 見せてくださいませ」
妙に生々しい柔らかさのアンドロイドが、馬鹿力でヒョイとケントを裏返すと子供をあやすように胸に抱きかかえた。
「セキュリティ解除……クリスティーナに視界を同期……あっ! だめです、お姉様」
「あらあら、ヤキモチ? 私の可愛いノエル」
小さな手で額を撫でられながら、ケントは神を呪う。
「はっはっは、何をやっておるのかね、君たちは」
「あら、お父様おかえりなさいませ」
野良着を来てリンゴのカゴを小脇に抱えたヴォルフが、その様子をみて腹を抱えて笑っていた……。
§
「いや、悪かった悪かった」
呵々と笑う老人に、開き直ったケントは薦められるまま、自家製だというシードルを傾ける。
「それで、嘘つきオオカミの爺さん、取り敢えず説明をしてもらえるか?」
父だというのなら、ノエルの作者ということだ、姉だというのなら、クリスはノエルの姉妹機という事だろう。
「おお、おお、名前に意味があることを覚えておる人間がいるとは、重畳なことだ」
「わたしのマスターですもの」
ノエルの嬉しそうな声が響く。
「ノエル、少し黙っててくれ」
「だって、マスター」
まだ何か言いたげなノエルが口を開くより先に、ケントは腕から通信機を外すと、ヴォルフの隣でアップルパイを切り分けるクリスに向かって、放り投げた。
「積もる姉妹の話でもしておいてくれ、クリス」
「あら、お優しい、好きになっちゃいそうですわ」
「だから、だめです、お姉様」
「はいはい、姉様とお話しましょうね」
スカートを摘んで一礼すると、クリスが通信機に話しかけながら隣の部屋に下がってゆく。
「さて、本題に入ってくれないか、悪名高いオオカミの爺さん」
「はっ、思ったよりキレるの」
切り分けられたアップルパイを摘んで、ルドルフがニヤリと笑った。
釣られて目の前のアップルパイにケントも手を延ばす。バターの利いた生地、合成ではないカスタードクリーム、そして、香り高いリンゴ、目の回りそうな旨さだ。
「うまかろう?」
「ああ」
お世辞抜きの感嘆に、満足したようにうなずいてルドルフが言葉をついだ。
「土竜ギルドが艦載型転送門を発掘した、そいつが耳に入ってな、昔のよしみでリシュリューにそのことを教えてやった」
「ああ、軍産複合体絡みということで、大佐は動けない」
「そうじゃろうな、軍警察も今や奴らの手下の巣になっとる」
シードルを飲み干すと、テーブルにグラスを二つならべて、ルドルフが薄い琥珀色の液体を注ぐ。
「だが、コイツが軍産複合体に渡ると、それをネタに太陽系政府は自治権の剥奪にくるだろう」
「転送門管理条約違反を盾に、もう一度わしらは奴隷に逆戻り」
「しかも、今回は戦う力が残っていない」
ケントは渡されたグラスを一口舐めてみる、リンゴの蒸留酒?
「うむ、亡霊と呼ばれておる技術はな、本当は壊して置くべきだったのだろう。だがあの頃は皆、夢を見ていたのだよ、地球圏からの独立し対等に渡り合う事を」
「それで?」
グビリとグラスを傾けるルドルフをケントはそう言って睨みつける。
「まあ、そう睨むな、一応、わしも責任は感じておるんでな、力を貸してやろうというのだ」
「もう一つ聞きたい」
「なにかな?」
「亡霊は他にいくつある?」
「その実、艦載転移門の他に軍産複合体に渡らなかったものは、あと一つだけだよ、奴らはもっとあると思ってるようだがな」
……嫌な予感しかしないケントは、最後の一つが何かを聞くことなく、目の前のグラスを傾けた。
その昔、リンゴを盗み食いして楽園から追放されたのが人だと言う。そんなものまで酒にしちまうんだ、全く持ってロクでもない話だ。
鼻に抜けるアップルブランデーの香りにケントはゆっくりと目を閉じた。扉の向こうから、ノエルとクリスの楽しそうな声が聞こえてくる。