飛び出すはニンジン
「停船せよ! 停船せよ! さもなくば撃沈する」
太陽系辺境軍のコルベット艦から、合成音声の警告音が鳴り響く。共通周波数での強制割り込みで、繰り返される停船命令に、ケントは叩きつけるように無線機のスイッチを切った。
透き通るようなエメラルドグリーンの火星ウィスキーを四〇〇ケース、こいつを密輸して、四〇〇万クレジットそいつで借金チャラのハズ……だったのだ。
「しつこいな、太陽系の転移門でバレなかったのが、辺境宙域で臨検とかザケんな」
ゴンッ!
スロットルレバーのボタンを押しながら、ケントは叩きつけるようにスロットルを押し上げた、
非常加速モード、排気炎に氷の粒子が投げ込まれる。
ドスン、という衝撃とともに船体をきしませた『フランベルジュ』が彗星のように尾を引いて加速する。
「警告四G」
メインディスプレイに赤い文字が躍る。
中和しきれなかった加速Gがケントの身体をシートに押し付けた。ケントの駆る『フランベルジュ』は旧ケンタウリ星系軍の高速輸送船を改造した密輸船だ。
もとより独立戦争時に封鎖突破船として設計された剛構造の船体に、違法改造で巡航艦用の大出力エンジンを搭載した『フランベルジュ』がデタラメな加速でコルベット艦を引き離しにかかる。
「後方より熱源反応、ミサイルの発射を確認、命中まで四五秒」
セントラル・コンピューターの『ノエル』がミサイルの発射を報告する。
「CIWS起動!近接防御!」
輸送船とは言え、先の戦役では宇宙要塞への封鎖突破船として活躍した軍艦だ、自衛用の近接防御くらいは積んでいる。
「先月チャンバーが焼き切れて、そのままです、マスター」
少女のような、と言えばよいだろうか、合成音声にしては、いささか人間臭いトーンで「ノエル」が返答する。
「あー、くそう、貧乏はつらいな」
投げやり気味にケントはつぶやいた。
「知りません、毎回貧乏クジ引いてくるのが悪いんです。命中まで三十二秒」
冷静にノエルに返され、ケントは額に手を当てる。
「今回の仕事が済んだら借金は返せるはずだったんだがなあ」
ケンタウリ軍警察の依頼で、小惑星帯の海賊の根拠地に、食料コンテナに偽装した反応弾をプレゼントしてきた帰り、追撃してきた海賊の粒子砲を食らった補助バーニアの修理代が六〇〇万クレジット、まったくもって貧乏クジだった。
「命中まで二十二秒、衝突コースです。指示を」
加速だけなら、質量の小さいミサイルの方が上手だ、燃料切れを狙ってみたが引き伸ばしにしかならないらしい。
「しょうがないな、荷物をぶつけちまえ」
火星ウィスキーを四〇〇ケース、依頼者のスカーレット婆さんが怒る顔が脳裏にチラリと浮かんだが、命あってのモノダネってやつだ……。
いや、婆さんに殺されるかな? ……ま、何とかなんだろ。ケントは自分に言い聞かせてノエルにコントロールを渡した。
「アイ、マスター、アイ・ハヴ・コントロール」
貨物室のエアロックの半分を閉鎖、後ろ半分の荷物を後部ドアから電磁射出、カウントダウン。
「命中まで十二秒、射出まで四秒。コンテナは射出後コンマ七秒で爆破します。」
こうなると祈ることくらいしか出来ないケントに、律儀に報告しながら、ノエルがコンテナを宇宙空間に放り出す。
後部カメラが、回転しながら小さくなっていく六つのコンテナを追いかける。ミサイル手前で爆破ボルトが弾け、コンテナの中身を放射状にまき散らした。
『フランベルジュ』の後方にオレンジ色の雲が広がり、凄まじい相対速度で雲に突っ込んだミサイルが爆発する。
「目標を完全破壊、コルベット艦は回頭、あきらめたようです。」
そーか、あきらめたか。あとはオレンジ色の雲になった積荷の言い訳だな……。安堵しながら頭を抱え、ケントはため息を一ついて婆さんへの言い訳を考え始める。
「って、オレンジだ? ノエル、いまの積荷……お前には何に見えた?」
別の密輸船の囮に使われたな……。直感で思いながらケントはノエルに尋ねた。
「Daucus carotaに見えました。」
ノエルが答える。
「なんだって?」
聞きなれない単語にケントが再度聞き返した。
「ニンジンです。先ほどの映像を解析しますか?」
「いや……いい」
あんのババア……。冷蔵トラック代わりに俺を使いやがって……。囮に使われたのをさとって、ケントは舌打ちする。
「慣性航法でケンタウルスⅢに進路をとります。ユー・ハヴ・コントロール、マスター」
コントロールがケントに戻される
「頼む、ノエル」
「イエス、マスター。 アイ・ハブ・コントロール」
次からはノエルに積荷を報告させよう……。質量計算で簡単にわかるはずだ。
あとはそうだな、一眠りしてから考えるか……。ケントはベルトを外すとシートをリクライニングさせ、コンソールに脚をのせて目を閉じる。
Cut off this console.
チカリ、とメインディスプレイに小さく文字がまたたいた。
§
「こちらケンタウルスⅢ。ようケント、ひでえ面だな」
人類がアインシュタインをペテンにかける方法を発見してから二世紀、アルファ・ケンタウリにある岩石惑星のテラフォーミング計画の要として建造された宇宙基地は、独立戦争時に大型の軌道要塞に改装され、敗戦後の今では、旧サングリア同盟の残党達、つまりケントのような兵隊崩れの寝床に成り下がっていた。
それでも、桁外れの防御力と強靭な生命維持システム、搭載された星系唯一の転移門を維持するだけの反応炉を盾に、ケンタウルスⅢは自由貿易都市の地位を確固たるものにしていた。むろん、ウラでは大量の付け届けがあちこちに配られているのは、周知の事実ではあるが。
「ああ、色々あってな」
「さっきからギャンギャン無線機がなってたのはお前か?」
「辺境軍供のポンコツに追いかけられてな」
ケントが管制官のリックにそう言って笑う。
「知らねえぞ、ヤンチャも程々にしないと、後ろから刺されるんじゃねえの?」
「その時は、カードのツケはチャラにしてくれよ」
「ったく」
二人が無駄話をしている間に、ノエルがサイドスラスターを吹かし、船尾から入港する。船首から入れないのはケントが軍に居た頃からの癖で、それをノエルが実践しているからだ。
「オーケー、マニュピュレータ射出。よし捕まえた、ワイヤ固定」
そこでコントロールを横取りして、コツン、とケントがスラスターを吹かした。
「急に危ないです、マスター」
「三番埠頭は初めてだろ? ここのは左の固定器が緩いんだ、データ修正しとけ」
抗議するノエルにそう言って、ケントは笑う。
「ようこそ、『フランベルジュ』、こちらケンタウルスⅢコントロール、歓迎する」
「ありがとう、リック、こちらノエル、感謝します」
ここ百年以上、幾度と無く繰り返されてきたやりとり。船長のケントではなく、中央コンピューターの『ノエル』がそれに返答する。
「ノエル、ケントのお守はよろしくな、まだカードの貸しがあるんだ」
「任せて下さい、リック」
「頼もしいな。ケント、いい嫁になるぞ」
「あいにく、宇宙船なんでな、パンツも洗ってくれやしない」
「……」
沈黙とともに、左前方のサイドスラスターがコンマ二秒、小さく吹き上がった。
「おい! ケント」
リックが叫ぶ。ゴン、と鈍い音がして流れた船体が固定ワイヤーに引き戻された。
「危ない! わかった! 悪かった。ノエル」
「……わかればいいのです」
アテ舵を当てて中心軸を修正しながら、ノエルが不機嫌そうに言う。
「リック! 頼むからコイツを怒らせないでくれ」
「わりいわりい、まあ無事で何よりだ。ケンタウルスコントロール、交信終了」
§
「まったく、ひどい目にあった」
ぼやきながら、ケントは低重力ブロックを電磁石でへばりつくように、ノロノロと走るトレーラーの荷台から飛び降りた。エアロックをくぐり、通常重力エリアへ踏み込むと、自分の体重がズシンとのしかかってくる。
とりえず、ニンジンとはいえ荷物を放り出した以上、荷主には詫びを入れておいたほうがよいだろう。ましてや、依頼主が輸送ギルドのドン、スカーレット婆さんともなればなおさらだ。
「マツオカさま、こんにちは、お疲れのようですね」
「ああ、おかげさまでな、あと何度も言うがケントでいい」
輸送ギルドの事務所に入った途端、そう声をかけきた旧式のアンドロイド『リディ』に、わざとらしくコキリ、コキリと首をならし、ケントは胸ポケットからタバコを出してくわえた。
「肩でもお揉みしましょうか?」
「いや、ありがとう。それで『リディ』、スカーレットの婆さんは?」
「スカーレット様でしたら、奥にいらっしゃいます」
無駄に人間を使う事で有名な高級デパートの案内嬢のように、手のひらを上にして奥を指し示すリディに片手をあげ、ケントはこれまた無駄に高級な無垢の木で出来た重い扉を開いた。
「おや、誰かと思ったら、妾の大事な荷物を台無しにした、能なし船長様じゃ」
部屋に入るなり、マホガニーの机の上に頬杖をついた少女がケントを見て、悪戯っぽい笑みを浮かべそういった。
「悪かったよ、おやつのニンジンを台無しにして」
「まったくじゃな、お使い一つ出来ないダメ船長様よ」
流れるような金髪を掻きあげると、その態度と見た目が今ひとつ一致しない少女が、クラッシュアイスの盛られたグラスからニンジンスティックを一本抜き取り、ポリポリとかじりだす。
「それで、婆さん、俺が依頼を受けたのは、火星ウィスキー四〇〇ケースのはずなんだがな」
「こんな美少女捕まえて婆さんよばわりとは、失礼な話しじゃの」
よく言う……と、新米パイロットだった時から、変わらぬ姿の少女にケントは肩をすくめてみせた。
「オーケイ、レディ・スカーレット。ウィスキーがコイツに化けてた、まあどっちにしろ、太陽系辺境軍が転移門のこっちで臨検してたんだ、どこからか情報が漏れてたのは確かだろ」
「偶然じゃよ」
「嘘つけ」
ヒョイと机の上からニンジンスティックを取り上げて、ケントは口に放り込む。合成ものでも水耕栽培でも無い、高級品らしい、濃い甘さと香りが口に広がった。
「旨いな、これ」
「そうじゃろ?」
ニコリと笑ったスカーレットは、そうしていれば、なかなかの美少女には違いない。
「まあ、とりあえず、いくらくれるんだ」
「半分ダメにしたからの、一〇〇万クレジット」
「四分の一じゃねーか、オイ」
ポリポリポリと残りを口に押し込んで、抗議するケントにスカーレットが呵々と笑った。
「ではニンジンのコンテナを一つ、ダメ船長にくれてやろうかの?」
「ああ、もう、わかったそいつは要らないからCIWSのエネルギーチャンバーを頼む」
「再生品で、あとはそうじゃの、大サービスで推進剤を満タンつけてやろうかの」
「値切るのかよ」
「当然じゃ」
笑いながら、用事はすんだとばかりに、ヒラヒラと手を振るスカーレットに肩をすくめて、ケントはギルドの事務所を後にした。
……まったく、毎回いいように使われている気がする。
事務所前に止めた電動スクーターにまたがり、ケントはタバコに火をつけて、居住ブロックへ向けて走りだす。
とりあえず熱いシャワーと冷たいビール、こういうときはコレに限る。そう思いながら。