プロローグ
高校の生徒会選挙が六月だと知って、随分早い時期に代替わりするんだなと驚いた。中学校では二学期に役員を決めて、秋の文化祭が終わってから交代するような段取りだったから。
「二人で立候補してみないか?」
友人から誘われて遊び半分、高校生になった記念みたいな気持ちで立候補した。だから、僕が選んだのは到底一年生では務まらないであろう会長職だった。
選挙のために特別何かをすることはなかった。ポスターは貼らないし、校門のところに立って登校して来る生徒を待ち構えてアピールしたりもしない。そこは中学と同じだった。ただ候補者を公示して、立会演説会を経た後に投票。それだけ。
立会演説は体育館で行われ、会計職に立候補した候補者から順に副会長、会長と演説をしていった。
一年生の僕たちが二人で生徒会長に立候補した方が面白いんじゃないかと思ったけれど、友人が選んだの副会長職だった。
どんな演説をしてみせてくれるのだろうと期待して、ステージへ続く階段を登る友人の背中を見ていたのが、彼はその階段の最後の一段で爪先を引っ掛けて転倒した。ごんっ、という鈍い音と「へぶしっ」という素っ頓狂な声。体育館がざわついた。咄嗟に腕を前に出していたと思うけれど、友人は床に打ち付けた額を赤くしていた。
「いやあ、すんません。喋ること考えて来たんですが今ので全部頭から抜けちゃいまして。まあそうっすね。これくらい前のめりに頑張っていきたいと思います」
これが友人の演説の全文だ。彼がそれだけ言って一礼してステージを下りると、拍手喝采が湧き上がった。
どうやら高校も中学と同じく、面白そうな奴に票が集まるらしいということがこの時に分かった。僕が友人のように受けることをできるかといえば自信はなかった。準備してきた演説をそのまま話すしかないな、と腹を括ったけれど、そもそも自分は選ばれたくてここにいるわけではないのだから普通にしていればいいのだ、と開き直った。
だがしかし、これどういうことだろう。
会長職の立候補者は僕の他に二年生が三人いたのだけれど、その誰もが似たり寄ったりのことを公約として話すのだ。その最たるものが「目安箱を設置する」だった。
きっと去年の候補者もそう言って結局目安箱は設置されなかったのだろう。ということはその前の年も、その前の前の年もずっと目安箱は置かれなかったんじゃないか?
他にも公約として先輩たちが掲げたものはあったけれど、彼らが当選してもどうせ実現されないんだろうなと、僕は一様に思った。
そうして演説の順番が回ってきた時、僕の頭の中に準備してきた文章は残ってはいなかった。というのも、僕が準備した公約も彼らと大して変わらなかったからだ。だから、とても馬鹿らしくなって、僕は彼らの掲げたものを片っ端からひとつひとつ丁寧に取り上げては貶していった。最後には、
「生徒会長になったら目安箱を工作する時間を使ってやれることを何でもします」
と、適当なことを言って締め括った。
まさか当選するとは思わなかった。僕は生徒会長に、啓一郎は副会長になった。一年生でも選ばれたからには出来る限りをしなければならない。
けれど、それは厳しかった。
立会演説会で、全校生徒の前で僕に小馬鹿にされた他の会長職立候補者を中心に、二年生の間で僕に対する反感が蔓延し始めた。落選して庶務として生徒会に入った二年生、会計、委員会。彼らは少しずつ、彼らのやるべきことをしなくなっていった。
「何でもします、だろ? やれよ」
僕が貶したうちの一人に、面と向かってそう言われた。
僕は彼らが放棄した仕事を一人で抱え込んだ。頑なに、負けてはならないと思った。副会長の友人は手伝おうとしてくれたけれど、僕はそれすらも拒んだ。生徒会顧問の先生にも相談したり頼ったりもしなかった。そういうものが全て、僕の弱みになると思った。
本当は頼るべきだった。
でも、そう反省した時には既に僕は変わってしまっていた。
背筋を伸ばして、真っ直ぐ前を向いて、強くあろうとして。
一年そうしてきたら、もうそれは僕自身だった。
冷え切って、擦り減って。
僕はもう疲れていた。