花道 後編
人生は決して、あらかじめ定められた、 すなわち、ちゃんとできあがった一冊の本ではない。 各人がそこへ一字一字書いていく白紙の本だ。 生きて行くそのことがすなわち人生なのだ。
大杉栄
―――光の外に出てみると、そこは見たこともないもので溢れていた。
初めて見るもの、初めて見る場所、初めて見る世界。未知の世界に魅了され1時間以上は過ぎただろうか、時間が何倍にも早く感じる中、「私」は隣にも鼻の穴があることに気がついた。
その穴からは、「私」よりも長い一本の毛が飛び出ていた。
「私」は初めて、同じ世界にいる仲間に興味を持ち、交信を図ろうとその毛の方向に伸び始めた。
…しかし、「私」の背はこれ以上伸びることはなく、なかなかその毛に近づくことはできなかった。
ほどなくして、「私」の体は重さに耐えられず下へ垂れてしまう。
この時「私」は悟った。
「私」はあの毛のところには行けない。「私」はただ長いだけの鼻毛なのだ、と
その時だった。ブチッという鈍い音が響く。
「私」は何が起こったのか、とっさに理解することが出来なかった。
「私」の目の前で、となりの大きな毛は更に大きな手によって体ごと引きぬかれていたのだ…。
ブチッという鈍い音は、今引きぬかれた毛の悲鳴。
そして「私」はすぐさま思った。あの手は次に「私」の体を引き抜きに来るのだ。
目の前に現れたその大きな手が、予想どうり「私」めがけて動き出す。
大きな手の大きな指が「私」の体を掴み、爪が食い込み、体が引き伸ばされる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い
ここで「私」は死んでしまう、嫌だ、死にたくない
まだ「私」は世界を見---
「私」の意志とは裏腹に、体は耐え難い苦痛から逃れるために飛び出た。
そして「私」は、ブチッという悲鳴をあげ引きぬかれた…。
目の前には、あの退屈な暗闇が段々と広がっていく。
その暗闇に飲まれる直前、「私」は、「私」を殺した人間の顔を見て驚いた。
「私」を殺した人間の目には、涙があったのだ。
この人間は、「私」を殺したにも関わらず、泣いていたのだ。
じゃあ何故、「私」は殺されたのだという疑問も、彼女が泣いてくれていることで答えは想像できた。
彼女は「私」のために泣いていたのだ。
弱肉強食のこの世界で、犠牲になった命のために、彼女は泣いていたのだ。
自ら命を手に掛けなければならないことの不条理に、彼女は泣いていたのだ。
「私」は心を打たれた。
となりの毛とは触れ合うことも出来なかった、しかし、「私」の命は彼女の命のための糧になったのだと考えると、「私」の毛生はとても幸せで充実していたのだ。
そして目の前は、あの頃と同じ暗闇に包まれた…。
しばらくして「私」は目を覚ました。周りにはあのつまらない、退屈な暗闇が続くばかりだ。
周りの毛より少しばかり背の高かった「私」は、目の前に見えるひとつの光に興味を示したのだった…。