道路の中心でバタフライ乞食
昨日ですね、いつも通り田舎道を原チャの最高速度55キロでカッ飛ばしてたんですよ。
するとすると、あら大変。道路の中心に人が倒れているではありませんか。
危うく轢きそうになった所で慌てて左に急ハンドル&急ブレーキ。進行方向を変えるのには成功しました。
だがしかし、そこは前の台風で山から下ってきた砂利だらけだったのです。
人影が見えた瞬間に減速してなかったら確実に死んでた勢いで吹き飛びました。
ウイリィイイイイイッ!! です。
ヘルメットの打ち付ける音が脳の中で響いている感じがしました。
きっと、車体に下敷きにされながら大根おろしにならなかっただけマシなんでしょうね。幸い、長袖長ズボンの装備の下がズル剥ける程度で済み、骨折とか内臓破壊までにはなりませんでした。
とは言いつつ、体中がヒリヒリと痛く、暫く茫然としていると
「兄ちゃん、大丈夫かぃ?」
行き倒れが立っていました。
なんで?
あなた発作とかで倒れてたんじゃないんですか?
清々しいまでに謝る気ゼロなセリフ。
大丈夫も何も誰のせいだです。
ですが私は、毒を吐く前に彼の風貌に青ざめてしまったのです。
「風貌」――彼は、赤道付近の無人島で遭難でもしてきたのでしょうか。日焼けなんていう生易しいものではありません。皮膚はどこか赤黒く、紫外線を無尽蔵に吸収したソレはニスを塗ったみたいにテッカテカの照りっ照りです。そのせいで無駄に若々しく、印象がジジイからオジサンにクラスチェンジしました。あと、全体が黒いのは、全体が薄汚れているのもあるでしょう。炭鉱にでも行ってきたんですかね。
両肩には、寝袋でもそのまま入ってそうな巨大スポーツバックが二対。背中にも巨大なランリュック。オタクが背負っているものとはモノも人生も違います。
完全に、戦場帰りの夜営のプロです。
何コレ超怖いです。
徐々に滲み寄ってくるオジサン。
この辺りは街灯すらない、人間<獣とのエンカウント率70%の峠。私を見守ってくれるのは、どういう意図でそこに設置されたのか分からないカカシだけです。逃げる? 逃げれるワケないじゃないですか。だって体痛いもん。いや、動けないんですってマジで。
そうして彼は未だに昆虫標本のモノマネをしている私に向かって、常軌を逸した発言を言ってのけたのです。
「兄ちゃん、財布おとしたんやぁ。人を助けると思って、ちょっとお金持ってたりしいひんかぁ…?」
――テケテン!
そうか、そういうことだったのか。
真実はいつも一つ……
ここから最寄りのスーパーまで歩いて二時間のド田舎
↓
車かバイクは必須
↓
今のご時世、ヒッチハイクなんかで止まる人間は希少生物
↓
しかも出で立ちが兵士
↓
極めつけに、交通量一時間に2人が妥当な道
↓
Q、出会った人間を確実にハントするには?
……お分かり頂けただろうか。照り焼きは私を確実に捕食する為、わざと道路の中心でバタフライ乞食してやがったのです。
みるみる上がる血圧と共に、傷口がドクンドクンと脈動しました。このままでは、明日の業務に必ずや何らかの支障をきたします。
私は菓子製造業に従事しておりますが、傷だらけの手で食品なんか触れません。手袋必須で挑んだとしても、この秋のケーキ屋のショーケースをどこでもいいからご覧くださいな、クッソ堅いマロンペーストとか芋とかを絞る商品のなんとなんと多い事か!
コイツ等は一定の握力で握り続けなければ、線が細くなるし途中で切れるしムラが出来て重心が傾きジェンガルート一直線ピエー。
そんなものに商品価値などありません。そんなものを作る人間にも価値はありません。
製造数ちゃんと作りきらなければ帰れまテン。
痛いと分かっていても握る力を弱められない強制SM。
ほかにもミキサーが除夜の鐘みたい(ゲロ重)とか色々ありますが割愛。
要約、コイツのせいで明日から拷問でござる。
しかしながら、ここでキレるなど懐が小さいと言うものですよね。あと、警察に突き出すには無事故無違反のゴールド免許が惜しいです。
私は精一杯のスマイルで微笑みました。
「どこから来られたんですか? どこへ行かれるのですか? 」
「《ここから60㎞地点》から歩いてきて、《580円区域》まで行きたいんやぁ……」
んなワケねぇだろ……
いやしかし、相手は戦場帰り。本当に歩いてきたのかもしれないです。それに、こんな獲物の少ないところで物乞いをする意味が分かりません。ここでは獲物(比喩)より獲物(リアル)の方がガチでよく獲れるでしょう。
要するに、本当に《580円区居域》の市内まで帰りたいのです。きっと。
私はなけなしの580円をオジサンに差し出しました。
これ以上関わりたくなかったのもあります。すると
「兄ちゃん、家までここからどのくらいなんやぁ? 」
私は笑顔で言いました。
「10キロ先です」
嘘です1キロ先です。
泊めてくれなんて妄言吐く前に希望は根っこごと摘んでおきます。ドヤ顔を決める私。そしたら、オジサンは知らない内に私の財布の中を覗き込んでいたのです。
――ザワッ
「……あと1000円あれば、△△まで帰れるんやけど…」
コイツッ…私の夏目の存在を確認しやがった!?
先程の発言は謂わば『囮』、ああ言えば私の意識を財布から逸らせることを経験として身に付けていたのです。
乞食レベルLV.80の心理的戦略に戦慄する私。しきりに、「頼むっ、人を助けると思って」と情に訴えかけてきます。懐を見られた今、「お金持ってません」とは言えません。
夏目を差し出す手がプルプル震えているのは、痛みのせいでしょうか。
私はこれから一週間、献立が「マーガリンごはん」と「かつぶしごはん」の二択になります。菓子屋の給料の安さはその辺のスーパーのバイト以下です。私が一件目に就職した和菓子屋なんか、月給手取り9万とか普通にありました。
それでも私は、もう早く家に帰りたかったのです。
私は体に鞭打ちながら、バイクを起こします。幸い、走行には問題なさそうですので、私は「それでは、駅はここを真っ直ぐ歩いて突き当り左一時間です」とだけ言い残し、走り去りました。オジサンは、いつまでも「ありがとう」と言っていました。
この一言だけで全てを許せた私は超いい人です。
もう二度と、彼に会うことはないでしょう。
「陽、お前変なのに会わんかったか? 」
そんな超心当たりのある話題を投げかけられたのは、家の手前にある野菜の無人販売所でした。
そこに小さい頃私がよく懐いていた爺さんが2人。どちらも、「熟年離婚」という単語が無かった時代に熟年離婚を成し遂げた強者です。
「いやぁ、ワシ……《5000円区域》まで歩いて帰るって言うから、なんか可哀想になって5000円あげてしもたんやけど…、そしたら○○さんも5000円渡したって言うんやぁ」
「……私には《1500円区域》まで帰りたいと言いましたよその人」
「えっ」
「えっ」
変な沈黙が流れています。
野郎三人が黙ってうつむいたまま三角形をつくり、
「陽、ヤツ今どこおった? 」
「ああ、多分まだ駅まで徒歩40分は残ってますよ」
「……そりゃあ可哀想だ、駅まで乗せていってやろう」
「……そうですね、きっと彼も喜びますよ」
ゲスな笑みを浮かべながら何の打ち合わせをしたワケでもなく、迷わず颯爽とKトラに乗り込む私達。全く、この地域のお年寄りはやんちゃで困ります。
そうこう言ってる間に乞食を見つけました。
「おい兄ちゃん乗ってけぇ」と爺サマの一人がヤクザみたいな笑顔で微笑むと、乞食はビクビクしながらKトラに乗りました。
改めて見ると、本当にこれから国鉄にのる風貌ではありません。恐らく、今回の収入10000円ちょいを全て食費に当てる気だったに違いありません。
私達は駅までお見送りに行きました。
乞食を券売機の前に立たせ、ニコニコ笑顔な野郎3人がそれを囲みます。オヤジ狩り? とんでもない。私達は彼が切符を買うのを見届けているだけなのです。しかもオヤジを囲っているのはお爺さんですもん。オヤジを狩るお爺なんか聞いた事無いですよね?
えっ、駅員さんが来ちゃう?
問題ありません。ここ、無人駅ですから。私達の他に誰もいません。安心して恐喝…いえ、切符購入を見届けることが出来ます。
さあ、思う存分に無駄使いをするのです!
「あっ、ここ1680円区域までしか切符買えんわぁ」
乞食がドヤ顔で言いました。
私達は狂気にも似た笑みで凍り付きます。
本当です、このド田舎のポンコツ自販機は2000円すらも散財させることが出来ないクソ仕様です。
しかし甘い、この私が、この程度で引き下がるとでも?
私は絶望に項垂れるジジ様二人に軽く微笑みます。意味ありげな表情に息を呑む乞食。
そして私は自分の財布を漁り、神の一手を指したのです。
「仕方ありませんね… 私の《ICOCA》を差し上げます」
「……えっ」
私は人の良さそうな笑みを浮かべながら、血で皮膚と白いワイシャツが引っ付いてる腕でICOCAを差し出しました。
「ああ、遠慮しなくてもいいですよ? 中、20円しか入っていませんから。どうぞそこの入金機で入金して下さい」
……なんですかその目は。
この乞食、圧倒的絶望を前にしてまだ希望を失わない勇者みたいな目をしています。生意気ですね、私は酷く苛立ちました。
すると乞食は、私に約束された勝利の剣を振りかざしたのです。
「兄ちゃん…… この入金機、1000円札しか入らないみたいだわぁ」
なんっ、だと…?
突っ込んでも突っ込んでも押し出されるお札。そこには、2000札、5000札、10000札不可の文字が。
そう、ジジ様は5000円札を差し出していたのです。田舎の自販機はとことんクソを極めていたのです。絶望色に染まる私の顔をまたしてもドヤ顔で見つめる勇者。
ここまでか…… そう膝を突きかけた時。
ジジ様? 一体何を――
私の肩に手がポンポンと二回叩かれ、ジジ様は破滅の言葉を唱えました。勢いよくツバが飛びます。
「心配いらねぇ、ここに1000円札が10枚あるわぃ、テンメェの5000札と両替したるわ! 」
私達は思わず身を乗り出します。
流石兄貴、俺達に出来ない事を平然とやってのける! そこに痺れる憧れるゥです。私達の笑顔は燦然と輝いていました。
この日の勝利を、私は決して忘れません。
ジジ様は、5000円札を二枚ともブン取ると、10000円全部入金してしまいました。苦言を申そうものなら、「これはワシの金じゃ! 交通費の為にとやった金を交通費に入金して何が悪い! 」と実にまっとうな正論で乞食を圧倒。そのまま野営のプロが国鉄に乗るのを見届けました。
愚かな私達はまだ気がつきません。
ICOCAは「払い戻しが出来る」という事実を。
乞食はいつ気がつくのでしょう。
乗れば乗るほど「散財していく」現状を。
エッセイ、道路の中心でバタフライ乞食
【真名・だから私はモテない 了】
ちなみに、この話を打ち明けた友人の第一声が、
「お前原チャでフルフェイスクソワロタww」でした。