金魚
がちゃんッ
「あッ……」
グラスが倒れて割れ、一瞬のうちにテーブルの上に水が広がる。グラスの中で先ほどまで泳いでいた、小さな赤い魚がぴちぴちと飛び跳ねた。
「やば……水ッ! その前に入れ物ッ!」
おろおろとうろたえるシャスに、煌は落ち着いた様子で、大丈夫と微笑む。
「触ってごらん?」
シャスは恐る恐る、飛び跳ねる魚に触れた。
感触は想像していたものより、少し硬くてつやっぽい。
「コレ……偽者?」
目を丸くしたシャスに、煌は悪戯が成功した子どものようにクスクス笑う。
数日前からテーブルの上に、ワイングラスに入った小さな金魚がいたことは気づいていた。狭くて可哀想だと、文句を言おうと思っていたが。
「……ぜんぜん気がつかなかった」
金魚はゆっくりゆったり水の中を泳ぎ、そして時々、水面に口をもっていき、餌をねだるようなしぐさをしていた。とても作り物だとは思いもせず、シャスは幼馴染と小さなロボットを交互に見つめた。
「最近いろいろあって、ストレスたまってたから……ちょっと頑張ってみたんだ」
工科学生である煌の専門分野はモーション・プログラム。PBDに限らず、さまざまな工業機械の姿勢制御や動作制御のためのプログラムを組み立てることを学んでいた。
小さい頃は兄やシャスの兄弟、近所の幼馴染と一緒になって、既存の玩具を改造し、大人たちを驚かせていたこともある。
「樹脂を使って一からね、型をぬいて作ってみたんだ。今回」
元々手先が器用だとは思っていたが、ココまで精巧に作れるとは……本物の魚より少し硬いが、独特の弾力のあるその魚の体を、ツンツンとシャスはつついた。
「……いる?」
「……うん」
ジッと上目づかいで見上げてくるシャスの頭をくしゃっと撫で、幼馴染はにっこりと笑う。
「このくらいなら、いつでも作ってあげるよ。……まだまだ、魔法使いとまでは、いかないけれど」
昔、シャスがつぶやいた言葉。ただのぬいぐるみを、兄と一緒に走り回るように改造した時。
……まるで、命を吹き込む魔法のようね。
「……覚えてたの?」
「もちろん」
やんわりと傾いた日の光が、窓から室内を差し込んでくる。
「今はこんな状況だからムリだろうけど……オレ、人間や動物の動きをもっと観察して……本物に近い動きを再現できるよう、頑張るよ」
だから……。
「早くこんな所開放されて、シャスも発掘とか研究とか好きなこと、できるようになればいいね」
今は遠い、平穏な時間。
状況が一変してしまった今、それは難しいことかもしれない。
けれど。
「うん」
シャスにとって、今この場で語られる彼のその言葉が、とても嬉しかった。
後日。
「煌! 頼みがある! シャスにやった魚、外側だけでいいから作ってくれ」
自身の兄である陽と、シャスの兄の一人、プーシャンが部屋になだれ込んできた。
「……どうせろくな使い方しないでしょうが……何するんです?」
「そりゃ、カメラ仕込んで女子風呂を……」
「却下だバカ兄!」
とかなんとか、そういったやり取りがあったことは、女性陣には秘密である。




