D.D.D日誌 ~三佐さん映画を語る~
異性の兄弟姉妹というものは、家族でありながら理解しがたいものである。
女心の機微には敏感な方だと自負している青年だが、あることについて考えたとき、明日で15歳の誕生日を迎える妹に対しては、経験則が適用しがたいことを痛感していた。
野暮ではあるが、直接聞いてみるしかないか。
思考から数秒、そう結論を出すと、青年は妹の部屋のドアを叩いた。
「さやか、今、いいですか?」
「ちょ、ちょっと待って! 今着替え中!」
しばしどたばたと物音が立った後に、ドアが開く。
「ど、どうしたの、お兄ちゃん。珍しい」
ドアの隙間からひょっこり顔を出した妹を見て、青年はため息をついた。
「……ベッドでお菓子を食べるのはやめなさい。朝倉さんの雷が落ちますよ」
「なんでわかったの!? 証拠隠滅は完璧なはずなのにっ」
無言で妹の頬についていたスナック菓子の欠片を摘み上げる青年。
そして、そのまま指で、ドアの隙間の向こうの、皺だらけのベッドを指し示した。
「……うー。まいりましたごめんなさい。で、本題はなんでしょうか名探偵お兄サマ」
これが学校では深窓の令嬢扱いなのだから、世の中不思議なものだと青年は思う。
ひとえに妹の猫三枚かぶりの賜物ということなのだろうが。
こんなことばかり読めても、肝心のことには役に立たないな、と思いつつ、青年は本題を切り出した。
「明日、誕生日でしょう。さやか、プレゼントの希望はありますか?」
そう。青年が悩んでいたのは、そんなことであった。
子供っぽいものにするにも大人めいたものにするにも微妙な年頃。
アクセサリの類にしても、好みや流行りがいま一つわからない。
同年代の女性に贈るものであれば適当にいくらでも思いつく青年をして、妹へのプレゼントに限っては、野暮と知りつつ直接希望を聞かざるを得なかったのである。
ともあれこれで、悩む必要はなくなる。
そう安堵した青年に返ってきたのは、妹の満面の笑みと、
「それじゃ、お兄ちゃんと一緒にデー……映画に行きたい!」
青年を、さらに困惑させる返事だった。
◇ ◇ ◇
大規模オンラインRPG〈エルダー・テイル〉日本サーバー最大の戦闘系ギルド、〈D.D.D〉。
サーバ内クエスト制覇率8割強。制覇した大規模コンテンツは数知れず。
ボイスチャットによって容易く感情の揺れが他者に伝わってしまうこのゲームにおいてなお、「不動」とされる冷静沈着な狂戦士、ギルドマスター、クラスティ。
その彼が、今日ばかりは、僅かばかりの動揺を声に滲ませ、信頼のおける仲間たちを呼び集めていた。
今日の議題は、一体いかなる冒険についてであるか。
構成員の平均レベルは〈黒剣騎士団〉に劣り、結束力では新参の〈西風の旅団〉に負けるが、〈D.D.D〉の強さはその数と精密な組織化にある。
個人プレイヤーとしてではなく、配下を率いるリーダー級として一線を戦う、小隊長級以上のキャラクターたちがギルドホールでクラスティの言葉を待っていた。
「集まってもらって、申し訳ありません。今日はどうしても、皆の知恵を借りたいのです」
メンバー達の表情が変わる。
クラスティの指揮とは、自分が先に立ち、突き進むことで後続が自然と従うような、そんな個々の自発性を刺激する類のもの。
放っておいても彼自身はどんな困難も越えるだろうが、一緒にその先を見てみたい。
そう思わせるようなカリスマが為す、言葉によらぬリーダーシップである。
言い換えれば、クラスティは「命令」「依頼」という形でメンバーを動かすことが多くないということ。
その彼が、「助けが必要だ」と明確に口にしたのである。この意味は大きかった。
「いいぜ、ギルマス。何でも言ってくれよ」
「いつも、クラスティさんにはお世話になりっぱなしですからね。少しくらい借りは返さないと」
「で、何の話っす? 〈西風〉がかっさらった「紅玉酒」でリベンジとかっすか?」
古参のメンバーたちが意気を上げる中、クラスティは、緩く手を振ってその言葉を押しとどめると……
「……実は明日、妹と映画に行くのですが。何を見ればいいのか、よく判らないのです」
世界が凍る。
奇しくも、集まっていたギルドメンバーは、9割以上が男性プレイヤーであった。
凍結していた世界が、沸きあがる熱量によって解凍されていく。
具体的には、嫉妬とか怒りとかそういうハイカロリーな感情によって。
「でたリアル妹持ちもげろっす!」
「実際妹充死すべし爆発しろでゴザル!」
「しかも義妹だとかこのクラ寿司回転しろ!」
「義理MAJIDE!?」
「マジカ! むしろマギカ! 妹さん僕と契約してお嫁さんになってよ!」
「黙れこの淫獣β! でもリア充は眼鏡割れろ!」
ボイスチャットを出力するスピーカーが割れんばかりの怒号を鳴らす。
たとえ厳格な体制によって統制をとっている巨大ギルドであろうとも、構成しているのは基本的にゲーム大好きな少年~青年~中年である。
一般に「オフ」が充実しているほど「オン」に割ける時間が減少するという傾向を考えれば、高レベルプレイヤーである彼らの反応はまったく自然であった。
「……っていうか、何で突然妹さんと映画なんだよ。しかもこれから見るもん決めるってことは、見たい映画があって誘われたってわけじゃないんだろ?」
比較的速やかに冷静さを取り戻したプレイヤーがもっともな質問を投げかける。
「妹の誕生日なのですよ。何かプレゼントを、と思って欲しいものを聞いたら、代わりに映画に連れていけと。金をかけさせまいと気を使ってくれたのでしょうがね」
いいや違う。それは絶対に違う。
ギルドメンバーは無言で首を振った。
そも、話を漏れ聞く限り、クラスティのプレイヤーは相当な資産家であるらしい。
多少のプレゼントを要求することが負担になるはずもないほどの。
ゆえに、妹君の意図は金の節約ではなく。
(単に大好きなお兄ちゃんと一緒にいたいとかそういう意味だろうがよっていうか妹じゃなくて明らかに恋人のムーブだろ! 気づけいや気づくなこのリア充爆発しろ!!)
「やっぱりギャルゲ主人公もげろっす!」
「実際爆発しろでゴザル!」
「寿司の人回転しろ!」
「むしろクラスティさま僕と契約してお嫁さんになってよ! 鬼畜眼鏡総受け!」
「求婚MAJIDE!?」
「黙れこのルビー文庫! でもリア充眼鏡粉砕!」
再び響き渡る怒号。
そこに、甲高いホイッスルが響き渡り、ぴたり、と騒ぎが止まった。
これだけ個性的なゲーマー集団の暴走を一瞬で制止することができる人物。
そんなものは、このギルドにも、およそ一人しか存在しない。
「高山女史!」
「さんささん!」
「混沌としたルームに鋼の救世主が!!」
「ふぁれがふぁがねの女でふか」
「斬羹刀ツッコミべぶらっ!?」
新たにホームに入室したその主こそ、〈D.D.D〉の中核メンバー、高山三佐。
クラスティの補佐役であり、ギルドで大規模戦闘における戦域哨戒班の統括を一手に担う才媛でもある。
もがもが言っているのは、ボイスチャット中のプレイヤーがホイッスルを咥えているからだ。
三佐のプレイヤーが指揮やツッコミに使うこの笛はもはや、彼女の代名詞であった。
実生活では保育士である彼女が、職場の保育園で子供らに用いているものであるらしい。
「それで、何の騒ぎですか、これは」
「姐さん、クラスティさんが幼女を映画に連れていくとか犯罪予告宣言を!」
「実際三佐からぜひこのリア充に制裁をでゴザルよ! ハリーハリーハリー!」
「寝言は寝てから言いましょうね?」
「「「……ゴメンナサイ」」」
クラスティに罵詈雑言を浴びせることができる古参プレイヤーであっても、鉄の女、三佐の絶対零度ボイスの前では黙らざるを得ない。
ノンシークタイムで男達の妄言を黙らせると、三佐は改めてクラスティに話を振る。
「それで?」
「妹を映画に連れて行くはめになったのですが、何を見せればいいのかと」
「……なるほど」
三佐はこほん、と咳払いを一つすると、いつもより心なしか弾んだ口調で言い切った。
「そういうことならば任せてください。この高山、春の映画のことなら完璧です!」
「おおおお、意外なところに伏兵が!」
「ってか確かに、女の子の好みのことなら女性プレイヤーに聞かないとだよな!」
「さすが三佐さん! 色んなところで頼りになるっす!」
男達のどよめきをよそに、こほん、と咳払いを一つ。
自信たっぷりに、三佐は語りだした。
「まず、お勧めその1は、『縁の結姫・ユイ&ユウキ~もう一人のプリンセス~』。前クールまで日曜朝で大人気だったアニメ、ユイ☆ユウの映画版ですが、アクションやファンシー要素で視聴者を掴みつつ、テレビ23話を経て成長した原作キャラが年長向け、ゲストキャラの女の子が年少向けのテーマを担っている二重構造の小憎い作りです。年長の子たちの「自分の気持ちと下を世話することとの折衷を模索するモデルケース」としても、年少の子たちの「お姉さんに憧れて無理をしたせいで失敗して、自分の限界を受け入れるモデルケース」としても、教育的な意味があると思います。あと、観客の子供たちの声援を織り込み済みで作ってあるので、多少騒がれても周りの目が気にならないのもポイントが高いですね。お勧めその2は言わずと知れた王道ですが『アンパン三世と銀河の牧場』。幸福の王子やグスコープドリの伝記を思わせる自己犠牲のモチーフは健在ですが、今回は特に「物を食べる」というテーマを強調しています。重いテーマですが、狂言回しの敵役がいい仕事をして、きちんとエンターテイメントになっていますのでご安心を。あとは、男の子向けですが、戦隊モノと仮免ライダーも今年は評判がいいですね。付き添いのお兄さんが見てもそれなりに退屈はしないでしょう。今春は総じて豊作と言えますね」
「……あの、高山さん」
「何でしょうか」
「……できれば、もっと上の年齢層に向いたものを……」
「…………」
「…………」
「……妹さんは、お幾つで?」
「……15ですが」
「…………」
「…………」
突き刺さるような沈黙。
「園児以上は専門外なので、判りません」
まったく表情を変えず、あらゆる感情を廃した平坦な口調で言い切った高山三佐に、
「……そうですか。そうですよね。ごめんなさい」
天下の「狂戦士」ですら、そう答えざるを得なかったという。
◇ ◇ ◇
「……ひっく。聞いてよ……」
「どうしたのですか山ちゃんセンパイ。ログイン中に酔ってるなんて珍しいじゃないですか」
「……あの流れじゃ、どうしたって、ちっちゃい女の子だって思うじゃない……恥ずかしくて死にたい消えちゃいたい……。しかも、「専門外なので、判りません」って……あれじゃ、勝手に勘違いして逆切れしただけみたいよね。うふふふ。どうして私、緊張するとぶっきらぼうになっちゃうんだろう……。せっかく得意分野で話せると思ったのにどうせ私なんて面白みもない事務的な話しかできない堅物女ですよ! うあああんっ死んじゃえ! 主にわたし死んじゃえ!」
「よしよしどうどう。よくわからないのですが、濃い野郎共に囲まれて山ちゃんセンパイはよくやっているのでありますよ、うん」
「ありがと。でも私を山ちゃんと呼んでいいのは……ぅっぷ」
「はいはいごちそうさま。皆まで言わなくてもわかりますから、早くトイレ行くのですよ? キーボードにリバースとか、修理に出すのも恥ずかしいし自前で対処も割と悪夢なのですからねー」
◇ ◇ ◇
「それで、実際妹さんとのデートはどうなったでゴザル?」
「……高山さん一押しの映画で、喜んでいました」
「好評MAJIDE!?」
本作は「小説家になろう」でログ・ホライズン二次創作小説「西風と疾風」を公開していらっしゃる、相馬将宗さまがTwitter上で発言したネタを元に、ご本人の了解を得た上で作成したSSです。
アイディアの使用を許可してくださった相馬様、ありがとうございました。
また、皆様のおかげで、本作は半月足らずで1,000ものユニークアクセスを頂くことができました。
その記念と皆様への感謝を込めて、この物語のノリで短編集を書かせていただくことにしました。
姉妹作短編集「D.D.D日誌」(http://ncode.syosetu.com/n2271w/)も、よろしくお願いいたします。