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双写のアソシエーター  作者: 華山 翠


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プロローグ

 静寂に包まれた深夜の教会。


 重厚な扉がゆっくりと開き、冷たい夜気が聖堂へ流れ込んだ。中へ入ってきたのは、一組の若い夫婦だった。

 夫は肩を震わせる妻を抱き寄せ、妻の腕の中には、丁寧に編まれた蔓籠が抱えられていた。その籠を見つめながら、夫は掠れた声で「……すまない」と呟く。


 謝罪の言葉は妻へのものではないく、籠の中で眠る小さな命へ向けられたものだった。妻もまた、涙をこぼしながら何度も繰り返す。

 「ごめんね……ごめんね……」

 抱きしめる腕に力が入り、籠が小さく軋み、その音だけが静まり返った教会に響いていた。

 

 二人はゆっくりと扉から歩き出し、祭壇へ続く身廊を進み、やがて聖堂の中央へたどり着いた。そこは、身廊と翼廊が交わる十字の中心。この教会で最も神聖とされる場所だ。

 せめて聖なる場所へ。せめて誰かに早く見つけてもらえる場所へ。無責任な願いだとわかりつつも、それでも、罪悪感に押し潰されそうな二人にできる最後の償いだったのだろう。


 籠の中ではこれから自分が親に捨てられるなど知らず、赤ん坊が穏やかな寝息を立てている。柔らかな布に包まれ、小さな手を胸の前で握りながら。何も知らず。何も疑わず。ただ、安心しきった顔で眠っていた。


 教会の時計が静かに時を刻み、間もなく午前三時になる頃だ。


 あと少しでこの子は目を覚ます。毎晩決まってその時間になると泣き出すことを、二人は知っていた。短い間だったとしても、親だったのだ。

 

 妻が何かを言おうと夫の顔を見上げた。きっと「やっぱり、置いて行くなんて……」と言おうとしたのだろう。だが夫は、それ以上言わせなかった。自分も同じ気持ちだったからだ。言えば、そして聞けば二人は揺らいでしまう。

 今すぐこの子を抱き上げて家へ連れて帰りたい。そんな想いを胸の奥へ押し込め、妻の肩を強く抱きながら「……行こう」とだけ告げた。

 

 そして二人は振り返らずに歩き出す。教会の扉へ戻りながら、苦悶の表情を浮かべながら、夫は心の中で願った。

 元気に泣いてくれ。できるだけ大きな声で。誰かが必ず気付くくらいに。


どうか生きてくれ。

 


 教会の神父は、司祭館にある寝室で深い眠りについている。


 その夜は満月だった。薄雲が空を流れ、月明かりが現れては消える。銀色の光が古い教会を照らし出し、まるで呼吸するように明暗を繰り返していた。

 やがて雲が切れ、強い月光が南西の小さな窓から差し込み、聖堂の壁を照らした。その光は教会の装飾に使われてる鏡に当たり、不自然なほど正確に反射し始めた。

 壁から柱へ。柱から床へ。床から再び壁へ。まるで、計算し尽くされたかのように幾度も跳ね返った光は、やがて八本の光線へと分かれた。

 

 午前三時。


 まさか聖堂の中で、こんな不可思議な現象が起きているとは知らず、神父は相変わらず深く眠っている。

 そのときだった。赤ん坊が力いっぱい泣き始めた。


 お腹が空いた。寂しい。抱きしめてほしい。ここにいるよ。早く来て。

 そんな感情をすべて声にしたような、大きな泣き声だった。


 その声を聞き、神父は、なんだよこんな夜中にと、少し苛立ちつつ目を覚ました。そして、はっとする。

 赤ん坊の泣き声?……これは聖堂の方からか?こんな時間に一体誰が。……まさか……捨て子か!?


 神父は慌てて部屋を飛び出した。捨て子に気づいたことはもちろんだが、耳を澄ませると泣き声に混じって石畳の上を走る足音が聞こえたからだ。


 誰かが走っている。もしかすると親かもしれない。まだ間に合うかもしれない。事情があるのだろう。苦しい選択だったのだろう。それでも。それでも子どもには親が必要だ。一緒に育てる方法を考えればいい。教会が力になればいい。だから諦めるな!

 そう伝えたかった。だから神父は全力で聖堂へ駆けつけ、待つんだ!と、勢いよく扉を開いた。


 その瞬間、神父は驚きのあまり息を呑んでしまった。さっきまで赤ん坊の鳴き声や、走り去ろうとする親らしき存在のことで頭がいっぱいだったにも関わらず、そのことを一瞬忘れてしまうくらいに。

 なぜなら、聖堂がいくつもの光線で溢れかえっていたからだ。


 「なんだ……これは……」


 そして、ひときわ目が離せなかったのが、中央の大きな光の柱だ。聖堂を巡っていた八本の光線が天井に集まり、再び一つへと収束した後、真っ直ぐ聖堂の中心に降り注いでいた。


 視線を下に落とすとそこには、バスケットが置かれているのに気がついた。直感的に神父はそこに赤ん坊がいることがいることがわかった。


 赤ん坊を照らす光の柱は、まるで祝福するように。あるいは選び出すように。神秘的で、幻想的で、そしてどこか恐ろしいものに感じられた。


 神父は、赤ん坊の元へ向かわねばと思いつつ、思わず光線に見惚れてしまっていた。

 そして、自分から一番近い光線に、恐る恐る手を伸ばしたのだが、その指先が光に触れる寸前に雲が月を覆ってしまった。


 すると、聖堂内のすべての光が、まるで何事もなかったかのようにが消え去り

、教会は再び静寂を取り戻したのだった。


 残されたのは、一人の赤ん坊だけ。神父は、さっきの光は一体なんだったんだと、高なる心臓を落ち着かせるように、また、思い出したかのように静かに赤ん坊へ歩み寄った。


 籠の中で赤ん坊は泣き疲れたのか、小さな寝息を立てている。

 神父はその子を抱き上げ、温かい。確かに生きている。と小さな命を胸に抱きながら、静かに呟いた。


 「……大丈夫だ」


 その声は誰に向けたものだったのか。

 赤ん坊か。あるいは去っていったその子の親か。


 「お前の親は行っちまったみてぇだな。しょうがねぇから、今日から俺がお前の親になってやる。」


 満月の夜に教会の聖堂に捨てられたその赤ん坊が、十数年後、数奇な運命に巻き込まれていくことをこの神父はまだ知らない。


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