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六ノ段



「それで結局、詳しい所までは聞けず終いってかァ?」


 姫路城に響かす音を寂しげな(ひぐらし)に転調した夕刻。奥の曲輪で黒田官兵衛は手持ち無沙汰に長持(ながもち)(いじ)くりながら、八代又助に落胆の念を込めて問いかけた。


「そういう官ちゃんはどうなの? 何か解った?」


 葛篭(つづら)に座って足をばたつかせながら尋ねたのは、禰子である。


「一応、毒の種類ってのが解った。爺さんはヒ素みたいなモンっつってて、もし含めばすぐさま苦しんで死ぬって言ってたぜ」

「そうだとしたら、あまりにも解せない。何故なら、お蝶さんと菊千代君が最後に町ノ坪氏に会ってから、私と官兵衛がここに来るまでの間、この奥の曲輪には誰一人として近づいていないんだ。町ノ坪氏を殺害するには、その前に何処かで毒を含ませ、それをどうにか誤魔化すしかない」


 そう返す又助に、禰子が横槍を入れる。


「でもさ、皆が皆一度は毒見をしたんでしょ? 何処かで入ってたら、誰か死んじゃってるって」

「ふむ、ならば最後に来たお蝶さんが犯人だというのは? 自分が毒見をした後に、隙を見て酒に毒を仕込む。これなら被害が出ないはずだ」

「でーもー、菊千代君はその後に町ノ坪のオジサンに会いに行ってるんだよ?」

「そ、それは彼にも協力して貰うとかで……。ぐむぅ、無理か」

「推論でお蝶さんの事悪く言うの駄目だよ、又ちゃん。だからモテないんだ」


 又助の言葉を聞いて、官兵衛もまた何かに気づいたのか禰子の方に向き直る。


「実際どうなんだ? そのお蝶ってのと、菊千代の間柄は。話を聞く限りじゃ、仲は悪くない、むしろ良い方だとは思うんだが」

「うん、私も色々聞いてみたけど、結構仲が良いみたいだよ。郷里が違くて馴染めないお蝶さんに、菊千代君が優しくしてあげてたんだって。昨日もそうだったみたいだけど、仕事の時とかに一緒にお使いに行ったり、菊千代君が貰った綺麗なお菓子を、お蝶さんに分けてあげてたりとか」


 短く唸って黙り込む官兵衛とは逆に、その言葉を聞いて息巻いたのは又助であった。


「ならばそうだ! お蝶さんと菊千代君は二人が共犯で、どちらかが毒殺したものを口裏を合わせているんだとしたら。あ、いや、さらにお吉さんが犯人だとしても、お蝶さんと菊千代君がそれに同調すれば、あ、いやいや、それには新右衛門君も口裏を合わせないと!」

「又ちゃん暴走気味だねー。でも、見た限り全員で口裏を合わせてるようには見えなかったよ」


 禰子の相次ぐ反論に、ついには又助の思考も底を尽いたか、頭を掻き(むし)って腕を組むと、だんまりを決め込んでしまった。

 その様子に呆れたのかどうなのか、官兵衛は何かを思い出したように懐を探ると

小さな包みを取り出して又助に手渡した。


「なんだこれは?」

「爺さんの所から帰る時にな。坊ちゃんのお守りと元気娘の世話で気苦労の絶えない又助に渡してやれってよ。胃薬だ」


 ぴたりと真実を推し量られた又助は、恥ずかしさから唇をきつと結んで半眼で坊ちゃん官兵衛を睨んでから、薬を奪うように受け取って包みを開く。開いた紙の中央に一つの大きな丸薬が現れると、元気娘禰子がそれに大いに注目した。


「何これー、なんか彫ってあるよ?」


 黒い丸薬に光の加減で、細かい溝の陰影が見え、それはちょうど「蓬」という文字を崩したものが彫られているという事が解る。


「ああ、それは爺さんの癖だよ。自分の薬には全部作った自分の印を彫るんだとさ。最近じゃ小さな粒薬にびっちり彫る為に、良く解らない達人みたいな技まで会得しやがってた」


 官兵衛の説明の合間、余程疲れていたのか頭が回っていなかったのか、又助は一糎ほどのその薬を、口中に滑らせるとそのまま喉の方へ押し込む。それが喉仏の裏あたりで引っかかり止まるのと同時に、又助の身体の動きも止まる。


「又ちゃん、苦しそうだけど? どうかした?」


 縦と横に首を振り、その窮状を伝えようとする又助を見て、官兵衛は悪いと思いつつも、自らの笑いを抑える事が出来なかった。


「ははは! 水と一緒に飲むモンだろ! あの大きさは。あー、水か水、この辺には無いな。お、あの桶の用心水でいいんじゃないか、汚いけど」


 必死の形相で首を振って否定する又助であったが、差し迫る苦しみと武士にあるまじき状態に耐えかね、水桶の方へ向かい駆け出す。

 しかし、思うように進まなかった足が又助の身体を放り、頭の先から水桶へと突っ込んでいく。空の水桶が転がる乾いた音の後、短い悲鳴を上げて又助は奥の曲輪中央に倒れ伏した。


「だ、大丈夫? 又ちゃん」

「がはっ、かっ、お、今ので飲み込めたぞ」


 心配そうに駆け寄る禰子と、気恥ずかしそうに頭を掻く又助とは対照的に直前まで笑い転げていた官兵衛が急に押し黙る。かと思えば、得心した表情を浮かべて、外へ出る廊下に向かって歩き出す。


「なるほど、そういう絵だったか。見えてきたな」

「え、何? どういう事、官ちゃん」


 禰子の疑問に答えるより先に、廊下の外、奥の曲輪と外を繋ぐ中間点に至った官兵衛は、そこで警備している衛兵を見つけると、又助達には聞こえない距離でいくつか尋ねた。


「ええ、そうです、来ておられました。時間は、八代様方が女中部屋で尋問を終えた後です」


 鼻の横に黒子(ほくろ)のある、剛毅(ごうき)そうな衛兵の言葉を受けて官兵衛は全てを理解したようだが、答えを聞きあぐねた禰子には、さらに又助にも未だ何の事だか解らなかった。


「ねぇ、官ちゃん。どういう事?」

「ああよ、この奥の曲輪に俺らの他に誰か来たかって聞いたんだよ。そしたらなるほど、予想通りだ」

「おい、官兵衛。それでなんで予想通りなんだ?」

「まぁ待て、おいおい説明はしてやるさ。それよりも二人は俺の頼み事を聞いてくれるか?」


 そう言うと官兵衛は、又助と禰子の頭を引き寄せ、自身の計略のいくらかを伝えた。


「えぇ? 何ソレぇ、まぁ、そういう頼み事くらいなら簡単だけどさ」

「それで向こうが乗ってくれば、皆中(ビンゴ)さ。さて、又助の方はちょいと俺と一緒に来てくれ。彼女に聞いておきたい事があるんだ」

「彼女?」


 官兵衛の説明を受けた二人は、驚いたような表情の後、全てを納得し、それぞれの役目を全うする為に奥の曲輪を離れた。時は既に暮れ方、姫路城の西、京見山(きょうみやま)城山(しろやま)の低い稜線に日が沈んでいく。



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