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五ノ段



 中天にかかろうとする日差しが、東側の障子を透いて女中部屋に漏れる。


「うひゃあ!」


 これは青年武士八代又助が、少女乱波禰子に脇腹を小突かれてあげた悲鳴である。

 黒田官兵衛が侍医津田蓬莱庵に従い、皿屋敷の怪異と、毒物の正体を尋ね聞こうとしていた頃、姫路城の居館では、又助と禰子の二人が、前日に怪死した町ノ坪弾四朗と会ったという二人の小姓と二人の女中から話を聞こうとしていた。


「黙ってないで、又ちゃんも何か聞いてよ」

「いや、私は考えていてだな……、それになんだか落ち着かなくて……」


 又助達の居る部屋は普段から女中達の詰所として使われ、甘いジャコウの香りに満たされており匂いだけで感覚を麻痺させる物があった。

 そのような中、所在無さげに(まぶた)を開閉する又助と眼前で対峙するのは、女中長を務めるお吉。さらにお吉の背後、先程から落ち着き無く顔を伏せ、視線を逸らし、足元を小刻みに動かしている女性が新参の女中お蝶であり、その隣で精悍(せいかん)な顔つきで微動だにせず控えるのが小姓新右衛門。変わってお吉の隣にいくらか憔悴(しょうすい)した様子で、虚ろな目を見せるのが小姓の菊千代。これら四人が、町ノ坪に会った人物であり、目下の容疑者であるのだ。


 そればかりか、お吉の背後で薄く開かれた襖の向こうには手を休めた女中達が詰めかけ、好男子と噂の又助を見ようと何度も襖の傍を行き来しては、ちらちらと覗き見、その都度薄く微笑みかけ、手を振り、頬を赤らめる。この状況では、さすがの又助も居心地悪さを感じずにはいられない。


「八代様、申し訳ありませんね、こんな女性ばかりの所でお話させて貰いまして」

「別に良いって、お吉さん。又ちゃんは、もうちょっと女の子に慣れた方がいいんだよ」

「禰子、黙ってらっしゃい」

「はぁい」


 この調子で禰子の又助への助け舟は、ことごとくお吉に沈められている。せめて禰子が話に入ってくれれば、と又助は苦い顔をするも、このままでは埒が開かないので、意を決して禰子と打ち合わせていた通りの事を聞き出す事とした。


「あの……」


 言いかけた又助の言葉に反応して、容疑者達は四者四様に反応を示す。


「あの……、お吉さんは昨夜、町ノ坪殿の所へ行かれたのですよね」

「そうです、禰子には簡単に話しましたが、もう少し詳しくお話しましょうか?」


 その中でお吉は、数居る女中達を束ねるだけの事はあり、黒田家の女性の中でも、世情に詳しい。それ故に、又助がこうして町ノ坪の死について聞きに来た時既に、その死がただの怪談話で済ませられる物でなく、主家の存亡に関わる事件だと気付いていた。


「昨夜、私は夕食を町ノ坪様の元へお運びしました。恐らく八代様が聞きたいであろう事を申しますれば、料理を運んだ時は、目の前の料理にだけ注視しておりましたので、それに何者かが近づいたという事はありません。その後は、町ノ坪様がお召し上がりになる前に、一通りの料理を毒見致しました」

「毒見役は居なかったのですか?」

「小姓の新右衛門様が町ノ坪様の傍に居られ、共に毒見を致しました」

(しか)り、拙者、お吉殿と共に町ノ坪様の毒見役を勤めもうした」


 型に嵌めたような武士言葉で返答する新右衛門は、どこか又助の心を緊張させる。


「その時は異変なく、僭越(せんえつ)ながら町ノ坪様よりお酒を一献頂きまして、後は奥の曲輪を去りました。この時、外から小姓の菊千代様がお越しになられ、新右衛門様もお帰りになるとの事で、二人で奥の曲輪を立ち去りました」


 そこまで聞いて、一度頷いた又助は先程より一層生気の無い菊千代の方を注視した。


 この菊千代という小姓、やはりどうしても、並の女性よりも美しいと評判で、現在もその悩ましげな表情すら、(なら)う事無き西施(せいし)(ひそみ)、絶世の美女のそれと見受けられる。


「……何か?」


 やがて又助の視線に気づいた菊千代が、そういった表情のまま静かに口を開く。返された又助の方は逆に顔を赤くし言葉に詰まり、話の先を促す事を諦めてしまった。


「又ちゃんって、女の子も弱いけど、美少年にも弱いンだにゃあ」

「い、言うな! あ、ああ、ええと、じゃあちょっと菊千代君は後にして、次に奥の曲輪に行った、お蝶さんですか。お話を聞かせてください」


 お蝶はその言葉に大きく身を仰け反らせたかと思うと、次いで畳に擦り付ける程、深く頭を下げた。


「わ、私は予め町ノ坪様に言われた通り、夜も更けた辺りにお酒を持っていきました。それだけで、後は何も……」


 このお蝶というのは、後にお吉から詳しく又助達に伝えられるが姫路より少し離れた英賀(あが)という所の出身であり、ごく最近になって家族を養う為に黒田家に女中奉公として、召抱えられたのだという。そういう経緯もあってか、姫路出身の者で占められた女中達の間ではその存在が浮き、肩身の狭い思いをしていた所、例の怪死事件に関係してしまった。

 これでは今、又助の前で身震いして目も合わせられないでいるのも仕方の無い事である。


「町ノ坪殿は料理や酒には手をつけていましたか? 部屋には他に誰かいましたか?」

「り、料理には、一通り手をつけていらっしゃいました。お酒が空になっていましたので、私が運んだ物を新たに注ぎました。その時は、小姓の菊千代さんも既に居ましたので、お吉さんと同じように私と菊千代さんの二人で、料理とお酒の毒見を行いました。その後は菊千代さんが帰ってしまったので、交代で私が町ノ坪様へのお酌を務めました」

「何か、他に変わった事はありましたか?」

「いえ……、他はその……、言い難い事ですが、町ノ坪様に体を触られたくらいで……。こ、これは構いません、常の事でしたから。後は確か……」


 お蝶はそこまで言って、昨夜の事を思い出しているのか、眉をしかめ、唇を結び、不安そうな顔からより一層の、悲愴な物になっていく。


「“毒消しの皿”ですか、あれをしきりに自慢なさっておりました」

「ああ、あの町ノ坪殿の家宝とかいう」

「はい……、とても貴重な舶来の焼き物であるとか、毒を盛られても、これで水を含めば安心なのだと……」

「結局、それでも死んじゃったんだけどねー」

「禰子!」


 禰子の軽口をお吉が厳しく咎める。小さく舌を出して身を竦めるだけの禰子であるが、隣に居たお蝶の方が禰子以上に身を強張らせる。その様子に仕様が無く、又助が話しの先を促す。


「んっん、まぁまぁ、ええと……、後はそうだな。ああ、確か貴女が奥の曲輪から出てきた頃、桜色の着物の小姓が向かって、一緒に出て来ましたね」


 すると又助のその言葉に、不安そうだったお蝶の表情が多少和らぐ。


「あ、それは……、菊千代さんです。町ノ坪様に伝え忘れた用件があるとの事で、私が去る頃に外で会ったんです。私はその時……、菊千代さんから一緒に帰ろう、と言われて、外へ出た所で待っていました」


 ここで再び又助から視線を送られた菊千代は、表情の変わらないものの、いくらかの生気を取り戻した上で、頭を縦に振る事によって同意を示した。


「菊千代君、君はどれくらい町ノ坪氏の所にいましたか?」

「少し、だけ」


 それでも未だ言葉がぎこちないのは、菊千代にとって常の事なのか、そう考えて又助は視線をお蝶の方へと返し、彼女の言葉を待った。


「居た、という程でもありません。私が居た所からお二人が見えましたが、菊千代さんは部屋の入り口に出た町ノ坪様に二言三言告げて、すぐに私の方へ来ましたし、町ノ坪様もすぐに部屋の中へ入っていきました」

「なんと言ったんですか?」


 又助のこの言葉に、菊千代はやおら唇を噛み締めながら答えた。


「火の元に注意して下さいとだけ。用心水が、尽きていますので、と」

「なるほど。なら、君はすぐに町ノ坪氏の所から……」


 又助がそこまで言った所で、彼だけでなく禰子も、この場に居た容疑者も、さらには襖の向こうで様子を伺う他の女中らも、一様にぎょっとした。

 それは先程まで平静を保っていた菊千代が、はらはらと泣き出したかと思うや、(つい)には町ノ坪様と、名を呼んで号泣しだした為であった。

 このたおやかな小姓の心中に、町ノ坪弾四朗に対する如何程の思いがあったのか、泣き崩れたままお蝶に付き添われ部屋を出る菊千代に、又助と禰子は異様な罪悪感すら覚えた。


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