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四ノ段



 町ノ坪弾四朗が怪死を遂げてより六刻(はんにち)を数え、中天に日高き昼の事である。


 姫路城を最も外側で取り囲む一の曲輪の外、姫路の町へと続く道を黒田官兵衛は歩いていた。照り付ける日は地面を焼き、土埃立たぬ道は、薄く陽炎を作る。道の端に広がる松並木からは、蝉の鳴き声と、遠くから吹く潮風が交差して訪れる。



「じゃあ、その皿屋敷事件ってのは小寺の当主の暗殺未遂だってのか?」


 官兵衛の言葉に答えるのは、老翁ながらに意気盛んな黒田家の侍医、津田蓬莱庵である。

 黒田職隆が意味深に呟いた、皿屋敷事件なる物を誰彼かに詳しく聞こうと思っていた官兵衛は折り良く死体の検分を終えて帰る途中のこの老翁に出会い、その後を着いて歩く最中であった。


「正確には暗殺未遂と、その後の皿屋敷事件で一括りにされとるんだがな。事件は、ここ姫路城に小寺の前当主小寺則職(のりもと)様が居った頃の話でな。お前さんは当然まだ生まれて無いし、親父さんも姫路の城代になる前だな」


 老翁の昔語りが、ごく自然に始まるのを良しとして、官兵衛は蓬莱庵に言葉の先を促した。


「小寺の家老だった青山鉄山(あおやまてつざん)という男が、密かに謀反を企てておったのよ。それに気づいた衣笠元信(きぬがさもとのぶ)という家臣が、ああ、ほれ、今も衣笠家の若い者が小寺の所に居るじゃろ」

「ああ、久右衛門(きゅうえもん)か、一度会った事があるな」


 ここで名を上げられた衣笠久右衛門は後に官兵衛に仕え、黒田家中で優れた二十四の勇士として黒田二十四騎と呼ばれるまでになるが、ここでは措いておく。


「それで、その衣笠元信という家臣が、自身の愛妾だかを女中として青山の元に忍び込ませ、情報を探らせておったそうな。そのお陰で、青山が花見の席で則職様に仕込んだ毒酒を見抜き、事なきを得た。しかし兵を伏しておった青山に追われ、小寺の者は姫路の城を明け渡す他なく逃げ遂せるのでやっとよ。その結果、青山の下に残された衣笠の女中も、厳しく取り調べる事となった。この時、青山の家臣であったまだ若き町ノ坪弾四朗は、その女中に恋慕したのよ。町ノ坪は罪を許す代わりに、自身の妾となれと迫ったが、女中はそれを断った」


 蓬莱庵が話している合間に一度道を折れ、武家屋敷の集まった区画へと入るのを見て、官兵衛もそれに続く。


「それで、町ノ坪はその女中をどうしたんだよ」

「殺してしもうた」


 短く切って、官兵衛を残し蓬莱庵は武家屋敷の群れから少し離れた、寂しげな路地へと入っていく。その向こうに蓬莱庵が結ぶ、施薬(せやく)の為の庵があるのだ。ここは黒田家中の人間にも、姫路城下の町人にも開かれた場所で、その丁度中間に位置している。


「殺した、ってやっぱり俺の気持ちが解らぬのならー、ってヤツか?」

「だとは思うよ。ただその女中の最期が悲惨だった。青山家の家宝である十枚一組の“毒消しの皿”、この一枚を町ノ坪が隠した。皿の管理を命じられていた当の女中は、町ノ坪から皿を紛失したとして厳しく叱責され、木に吊るされては棒で叩かれ、しまいには井戸に投げ入れられ、殺された訳さ」

「無実の罪で殺された、って事か。なるほど、そりゃあ酷い話だ」

「でもって、青山の屋敷の井戸から、夜な夜な皿を数える声が聞こえる。一枚、二枚、三枚、ってな。それがどうしても九枚目で途絶えて、哀しそうに泣き始める。これをもって人はその女中の亡霊としてよ、青山の屋敷はいつしか皿屋敷と呼ばれたそうな」

「はぁん、なるほど真夏の怪談だな」


 庵に到着した蓬莱庵が、既に開け放っていた土間へと入り込むと、官兵衛には構わず勝手に腰を下ろす。


「ちなみにこの儂の庵が、その皿屋敷があった場所だ」


 官兵衛が吹くのを見越してか、手頃な帳簿で顔面に迫る官兵衛の唾を防いだ蓬莱庵。


「おいおい、そんなオチはいらないんだよ!」

「まぁそう言うな、オチというなら、この庵の後ろに例の女中が投げ入れられた井戸ってのがあるぞ。興味があったら見に行ってみろ」


 官兵衛はちらと庵の背後に目をやるが、すぐさま蓬莱庵の顔を覗き込んでから、庵の中へと上がって行く。蓬莱庵も勝手知りたる仲であるのか、手頃な所に座布団を投げてよこし、自身は早々に庵の少し奥へと入る。


「ところで爺さん、俺が他に聞きたい事も解ってるんだろ。町ノ坪が毒で殺されたかどうか、殺されたならなんの毒か、教えてくれよ」


 ふん、と小さく鼻を鳴らしたかと思うと、蓬莱庵は庵の奥から小さな袋を持ち出して現れ、その中から懐紙に包まれた物を取り出し、二人の間にある黒机の上に広げる。すると、そこから角ばった黒光りする小さな粒が転がり出た。


「なんだこりゃあ」

石見銀山(いわみぎんざん)だよ」

「ああ?」

「こっから近い石見(いわみ)国にある銀山だ、それは知ってんだろ? これはその辺りの鉱山で取れる、砒石(ひせき)って名前の鉱物を砕いた物で成分的には、毒物のヒ素みたいなモンだ。この辺じゃあ、これを石見銀山って呼んで殺鼠剤として使ってる、有名な物だよ。(やっこ)さんの状況から見て、これの中毒で死んだ人間に良く似てたぜ」

「って事はあれか」

「そうだ、恐らくこれがあの町ノ坪を殺した毒だろう。砒石は毒性が強くてな、人間様でも飲めばすぐさまコロリだ」

「すぐさまコロリ、って事は遅効性の毒じゃないんだな?」

「ん、ああ、その通りだ、毒見の段階で砒石が紛れていたら毒見役が即座に苦しみだして死ぬだろうよ。その場合は町ノ坪が毒をかっ喰らう事は無い」


 腕を組んで蓬莱翁は深く頷く。その様子に納得して、官兵衛は次の疑問を投げかける。


「じゃあ後は何に毒を盛ったか、だな。毒の正体が解ったんなら、そっちは見つかってるんだろ?」

「見つかっとらん」


 官兵衛の鋭角な質問に、目の前の老人は小さく縮まってしまった。


「見つかってないってなんだよ、その辺のネズミにあの日の料理でも食わせれば解るだろ?」

「解る、それは確かに解る。だが、あの場にあったどんな食べ物を食べさせても、アイツらの薄汚い腹が膨れるばかりで、一向にちうと一鳴きして死にゃあせん」


 蓬莱翁は唇をネズミのように(すぼ)ませて鳴き真似をし、出来る限りの可愛い仕草を取る。その様子を無下に見据え、官兵衛は尖ったままの質問を続ける。


「それはつまり、どの食べ物にも毒は含まれてなかったと? ちゃんと探したのかぁ?」

「膳の上の料理も駄目! 瓶の中の酒も駄目! 水瓶の中の飲み水も駄目! およそ人が口にする物は全て調べてみたが、どれもネズミ一匹殺せんかったよ」


 矢継ぎ早の口調は、最後の方で調子を落とし、自信なさげな物へと変わっていった。


「ふぅん、それも妙な話だな。毒の検討もついてるし、毒死も間違いない。なのに何時、何処で、誰が、何に毒を仕込んだのか、それが一つも解らねぇ」



 ここで官兵衛は言葉に詰まり、苦手な思考の渦に呑まれていく。その思考がどうにも取りとめの無い事を自覚して、官兵衛はやにわに立ち上がると、後ろからかかる蓬莱庵の声に、ただ一言じゃあな、とだけ返して外へと駆け出した。

 又助と禰子は今、官兵衛から離れて町ノ坪と会ったという小姓と女中に聞き込みを行っている。その為、どうしてもなんらかの答えを自身で見つけねばならず自然と官兵衛の足取りは不確かな物へと変わっていった。

 そこでようやっと、自身が道を外れいつの間にか高い木々に囲われた茂みに入った事に気づいた官兵衛は道を戻ろうとして目の端を、何か黒い衣切れが飛ぶのを見た。官兵衛は、その黒い衣切れの正体を確かめようと、小さく頭を振った。



 それは一匹の蝶である。



 黒地に白の筋を透かしたような羽を、ひらひらと羽ばたかせて何処かへと飛んでいく。官兵衛はその蝶が飛ぶ先に、何かしらがあるような気を起こし、庵の裏手へと飛ぶ蝶を追う。

 それより少し歩き、庵から二十(メートル)程離れた辺りで官兵衛は蝶を見失い、辿りついたそこは、人によって手入れがなされず、雑然と草木が茂る陰鬱な神社であった。


「なんで、こんな所に……」


 それは木々の中に埋もれるように佇む、小さな社で周囲の草木には人の手が入った様子は無いが、真新しい花が供せられていた。


「そこは十二所(じゅうにしょ)神社ですよ」


 突如かけられた背後からの艶やかな声音に、思わず官兵衛は身を硬くする。それを気にも留めずに声の主は、官兵衛の横を通り抜けると小さな社の方へと進んでいく。


「っと、アンタは……」


 官兵衛の目に、薄緑の(つむぎ)を着た妙齢の女性の背が映り、その手には少量の水を張った桶と、どこかから摘んできた花が携えられているのが解った。


「私は、そこの神社の掃除などをしている者です」

「へぇ、誰も知らないような神社だと思ったがな。一体どんな神社なんだい?」

「祭神は少彦名神(すくなひこなのかみ)様です。医薬の神様で、かつてこの近辺で流行り病が起こった折、ここに十二本の(よもぎ)が生え、これによって病を防ぐ事ができたという由来があります」

「ああ、だから爺さんはこの真ん前で蓬莱庵なんてのを作ってたのか」


 官兵衛の言葉から、官兵衛が地元の人間である事を察したのか、女性は今までの冷たい表情から

少しばかり柔らかい表情へと移り変わる。


「蓬莱先生には、私も良くお世話になっております」


 女性は手桶から水を柄杓で汲み、神社の近くの地面へと撒いている。時折、結わえた長い髪が頬にかかる、そのたおやかな仕草を、官兵衛は見守っていた。

 だが官兵衛の視界から逃げるように、女性は木々の生い茂る道の方へと進んでいく。官兵衛は先ごろ見失った蝶を再び追うように、女性の後を追うが、それが自らの意の外である事は、既に彼は気づいていない。

 やがて日差しを覆い隠す程に鬱蒼とした場所で女性は立ち止まると、柄杓に水を取る。官兵衛が視線を向こうにやると、木々の途絶えた小さな空間に苔生した石造りの小さい古井戸が見え、女性は掬った水をその縁へと垂れ流し、乾いた石と(こけ)に水気を含ませる。


「その井戸……、皿屋敷の女中が投げ入れられたっていう」

「これは……、ただの井戸です」


 官兵衛は、女性の黒い髪とほっそりとした後姿に、先ほどの蝶の姿を重ね合わせていた。女性は緩やかに振り向くと、官兵衛へ優しげな笑みを見せる。それと同時に木立に吹き込む風によって、官兵衛の鼻にジャコウの()せるような匂いがつく。それは女性がつけていた香料であった。


「ただの、井戸です……」


 意図せずに井戸の中を覗いた官兵衛は、そこが何よりも黒い穴であるのを見て、井戸がとてつもなく深い物だと感じた。


「深いな……」



 呟いた官兵衛は思わず後退りし、再び目の端に黒い衣切れが飛ぶのを見た。



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