最終話:陰キャに優しいギャルは実在した。……が、幸せすぎて逆に怖い件について
学園祭という名の狂乱から一週間。
俺の日常は、劇的な変化を遂げ……てはいなかった。
「……なぁ、佐藤。お前、いつまでそこに潜んでるんだ?」
昼休み。図書室の片隅、一番奥の書架の隙間で文庫本を広げていた俺に、クラスの陽キャ代表・火野が呆れたような声をかけてきた。
「……放っておいてくれ、火野くん。僕は今、人生の清算をしている最中なんだ。あのステージでの出来事を思い出すたび、自己嫌悪で心臓が破裂しそうになる」
「ははっ、あれだけ全校生徒の前で愛の告白しといて今更かよ。お前、今じゃ校内の有名人だぞ。勇者・佐藤って呼ばれてんの知ってるか?」
「やめてくれ! その二つ名は俺の精神を確実に削りにきている……! 頼む、僕はただの石ころに戻りたいんだ」
そう。あの学園祭のステージで、俺は一生分の勇気と羞恥心を使い果たした。
結果として、美咲たちによる過去の暴露は「純愛のスパイス」として処理され、俺と結衣の関係は全校公認のものとなった。……はずなのだが。
(……おかしい。絶対におかしい。こんなことがあっていいはずがない)
俺の脳内セキュリティ・システムは、今やかつてないほどの最大音量で警報を鳴らし続けている。
『緊急事態発生。対象との親密度が上限を突破。これは現実ではない。おそらく高度なVRシミュレーション、あるいは死の間際に見る幸福な幻覚であると推測される。直ちに正気に戻れ』
「あ! みーつけたっ! 湊くん、またこんなところに隠れて!」
書架の向こうから、鈴を転がすような明るい声がした。
聞き慣れたはずの、それでいて最近「湊くん」という呼び名にアップデートされたその声に、俺の背筋がピンと伸びる。
「……瀬戸、さん。いや、結衣さん」
「もー、また『さん』付けに戻ってる! 練習したでしょ、『結衣』って呼ぶって」
結衣が、制服のスカートをなびかせて俺の目の前にしゃがみ込んだ。
至近距離で弾ける、圧倒的なヒロイン・スマイル。
学園祭を経て、彼女はさらに綺麗になった気がする。いや、内側から溢れ出す自信のようなものが、彼女の光をより一層強くしているのだ。
「……公共の場ですよ。あまり近寄ると、君のブランドに傷がつく」
「まだ言ってる。ねえ、お弁当食べよ? 今日は私が作ってきたんだから」
結衣が自慢げに差し出してきたのは、可愛らしい布に包まれた二段重ねのお弁当箱だった。
(……手作り弁当。一軍ギャルの手作り弁当。……待て。これこそが最終兵器ではないか? 蓋を開けた瞬間に、中から小型のドローンが飛び出して、俺の驚く顔を世界中にライブ配信する……。あるいは、食べ終わった瞬間に『はい、材料費100万円ねw』と請求書を突きつけられる……!)
「……食べられません。僕のようなモブが、君の手料理という聖域を汚すわけにはいかない」
「いいから食べるの! はい、屋上行くよ!」
結局、なし崩し的に屋上へと連行された。
学園祭以来、屋上の踊り場は「俺たちの場所」として暗黙の了解が成立しているらしい。火野たちも、ここには入ってこない。
結衣が、お弁当の蓋を開ける。
そこには、彩り豊かなおかずと、そして白米の上に海苔で大きく「スキ」と書かれた文字が踊っていた。
「…………」
「どう? 頑張って作ったんだよ、湊くん!」
「…………。瀬戸、いや結衣さん。正直に答えてください。この海苔の下には、位置情報発信機(GPS)が埋め込まれていますね? あるいは、俺の精神を操るためのナノマシンが……」
「入ってるわけないでしょーが!!」
結衣がぷうっと頬を膨らませて怒る。その仕草すらも、今の俺には眩しすぎて直視できない。
「もー。湊くんってば、学園祭であんなにかっこよかったのに。なんで付き合い始めたら、前より疑い深くなってるの?」
「……逆ですよ。あんな奇跡を起こしてしまったからこそ、反動が怖いんです。幸運の総量が決まっているのだとしたら、僕はもう、来世の分まで使い果たしているはずだ」
俺は震える手で、海苔のついた卵焼きを口に運んだ。
……美味い。
驚くほどに、優しくて、温かい味がした。
毒も、機械も、悪意も入っていない。そこにあるのは、ただひたむきな「好意」だけだった。
「…………美味い、です」
「……でしょ? よかったぁ。湊くんが美味しいって言ってくれるのが、一番の報酬なんだから」
結衣が、俺の隣に座り直し、そっと肩を寄せてきた。
「ねえ、湊くん。私ね、昨日寝る前に考えたんだ。……もし、あの時キーホルダーを拾ってなかったら。もし、佐藤くんが私を信じないまま逃げてたら。……今頃、私はまだ『ノリ』だけの友達に囲まれて、本当の自分を隠して笑ってたのかなって」
結衣が、俺の右手をそっと握る。
指と指が絡み合う。その感触が、あまりにも現実味を帯びていて、俺の逃げ道を塞いでいく。
「私を救ってくれたのは、湊くんだよ。……だからね、もう『存在しない』なんて言わないで。陰キャに優しいギャルは、ここにいる。湊くんの隣に、一生いるって決めたんだから」
結衣の瞳が、夕焼けのような茜色に染まり始めた空を反射して、美しく輝いている。
その瞳には、嘘偽りのない、俺への真っ直ぐな愛が溢れていた。
(……負けたな)
俺は、心の奥底で白旗を振った。
これほどまでの「真実」を前にして、まだ「嘘だ」と叫び続けるのは、彼女の愛に対する冒涜だ。
たとえこれが、一秒後に覚める夢だったとしても。
たとえ明日、世界がひっくり返って再び嘲笑の的になったとしても。
今、この瞬間に感じている彼女の体温だけは、俺の人生において唯一無二の「正解」なんだ。
「……分かりました。もう、疑うのはやめます」
「本当!?」
「ええ。……ただ、これだけは言わせてください。……僕には、まだ君が勿体なさすぎる。だから、その……君に釣り合う男になれるまで、もう少しだけ、その……時間をください」
俯きながら、消え入るような声で告げた。
すると、結衣が堪えきれないといった様子で吹き出した。
「あはは! 何それ! 湊くんらしいけど……もう、合格だよ。私にとっては、最初から湊くんが一番なんだから!」
結衣が、勢いよく俺の胸に飛び込んできた。
柔らかい感触と、甘い香水の匂い。
俺は、赤面しながらも、今度は迷うことなく、彼女の背中に手を回した。
「……あ、でも結衣さん」
「ん?」
「さっき、海苔の文字に夢中で気づかなかったんですけど……このポテトサラダ、まさか市販品じゃ……」
「…………。……バレた?」
「ほら!! やっぱり罠だ! 手作りと見せかけて市販品で俺の舌を試したんだな!!」
「違うよ! そこだけちょっと失敗しちゃったの! もう、湊くんの意地悪!!」
――陰キャに優しいギャルなんて、絶対に存在しない。
俺は今でも、自分にそう言い聞かせている。
けれど、目の前で真っ赤になって怒ったり笑ったりしている、この愛すべき「例外」だけは。
俺の人生という物語に、神様が書き加えてくれた、最高の誤植なのだ。
(……幸せだ。……幸せすぎて、やっぱり明日が怖いけれど)
俺は、握りしめた彼女の手を、もう一度だけ強く握り返した。
「……明日も、一緒に帰ってくれますか?」
「うん。明日も、明後日も、ずっとだよ。……大好き、湊くん!」
空に一番星が光る。
それは、世界で一番不器用な騎士と、世界で一番優しいギャルを祝福するように、静かに、けれど強く、輝いていた。
(完)




