合う人と合わない人
紗也が和樹を相手に切った張ったの大立ち回りを演じていたころ、明莉は詩乃と初のソロキャンプを楽しんでいた。
郊外のキャンプ場は賑やかだった。トイレや水道があり、バーベキュー用品や薪を無料で使わせてもらえるので、初体験の明莉にはちょうど良かった。詩乃と二人で火を囲み、街中では見られない満天の星空を眺めていると、不思議と心の距離が縮んだ。
「初めて今の職場に来たとき、とっても緊張していたの」と詩乃が言った。
「どうしてですか?」
「佐々木さんのことを聞いていたから。嫌われないか、嫌がらせをされないかって心配だった」
「私もあの日は緊張しました。心の中ではなんでもない、私には関係ないって強がっていたんですが、いざ部長が桜井さんのことを紹介するとさすがに動揺して」
「でも佐々木さんがいい人で安心した」
「いい人だなんて、どうして分かるんです?」
「私の方が年上よ。根が優しすぎて、競争が苦手な人で、だから仕事には向いていないって一目で分かったの」
そういう言い方があるのか、と明莉は感心した。すると自分の短所は長所でもあるのかもしれない。
「でもそのせいで、だいぶ苦労しています」
「生きにくいでしょうね。でも会社が人生のすべてじゃないから。自分で楽しめる時間を持てればいいんじゃないかしら」
「ええ。私は今、桜井さんと話せて幸せです」
焚き火で二人の顔が鮮やかなオレンジ色になった。火を反射する二人の瞳は星空のようにきらきらと輝いていた。
女二人が着々と親睦を深めるうちに秋が終わり、冬になった。
去年は地球温暖化の影響で珍しく雪が降ったが、今年は例年通り降雪なしの予想で、首都近郊の車で通勤する人々を安心させた。
十二月は一年で最もそわそわする月だ。師走の忙しい最中にクリスマスがある。結婚し子供がいる人ならばこっそりプレゼントを購入し、家でサンタクロースを演じることだろう。交際相手のいる人ならば一生の思い出になるイベントを演出しようと苦心惨憺していることだろう。独り身の人ならば、寂しいとはいえ、いつものように気ままに過ごすことだろう。
交際相手がいても、クリスマス前にケリをつけようとする人も。
独り身でも、クリスマス前に素敵な交際相手を求めようとする人も。
謙次はもう、去年のクリスマスのように、光梨の機嫌を取るつもりはなかった。彼の彼女への愛は冷め、彼本人も覚めていた。別れるならば早いほうがいい。
瑠海は会社の中では最もまともと思われる同期の雄馬に好意を持っていた。彼もそう、自分を百点満点と評価してくれた。それならば早めに意志を確認し合い、クリスマスに正式に結ばれるほうがいい。
「なぁ、昼休みは外で食べないか? 話したいことがあるんだ」と、謙次が光梨に言った。
「あの、よかったらお昼ごはん、外でどう? 話したいことがあるの」と、瑠海が雄馬に言った。
「ちょうど良かった、こっちも話したいことがあったんだ」と、光梨と雄馬が答えた。
謙次と光梨、瑠海と雄馬が乗る車は工場をほぼ同時に出て、同じ方角に向かったが、信号の影響で目的地のレストランへの到着が前後した。謙次たちが先に入り、奥の個室の席に座った。次に瑠海たちが入り、謙次たちの斜め向かいの個室の席に座った。個室を挟む通路に立てば、あるいは店員になれば、二組の会話はほぼ筒抜けだった。
「ところで話ってなに?」と、光梨と雄馬が聞いた。
「いやいやそっちからどうぞ」と瑠海。
「……おれたち、別れよう」と謙次。
「はぁ? 冗談でしょう?」と光梨。
「実はちょっと会社が嫌になってきてね」と雄馬。
「本気? まさか辞めたくなったとか」と瑠海。
「本気だ。きみを見ていてつくづく思ったよ、ぼくときみは合わないって」と謙次。
「会社の人たちを見てると、ここの価値観には染まりたくない、長くいるとぼくまでおかしくなってしまいそうだと思って」と雄馬。
「何が合わないっていうの?」と光梨。
「きみは人に辛辣すぎる。佐々木さんをあんなにいびって、周りがドン引きしていることに気づかないのか?」と謙次。
「ドン引き? みんな私と同じように佐々木さんのことを嫌ってるわよ。乃々香だって、瑠海ちゃんだって」と光梨。
「それ分かる。風通しが悪くて、なんかどんよりしてるよね」と瑠海。
「いい大人が勤める会社なのに、いじめっ子が幅を利かせている中学校にいる気分だ」と雄馬。
「周りを無理に巻き込んで、他人を下げていい気になるのはよしたほうがいい」と謙次。
「本当よね。先輩たちみたいな人、昔たしかにいたなぁ」と瑠海。
「急に悟ったようなことを言ってどうしたの?」と光梨。
「佐々木さんみたいな人もね。ただ学校と違って、能力がないのは会社では絶対悪なのかもしれないけど、でも本当は決して悪人なんかじゃない」と雄馬。
「悪人どころか、プライベートで知り合えばいい関係になれるかも」と瑠海。
「あんな根暗な女なんかをかばうの?」と光梨。
「ぼくは、ああいう落ち着いたタイプの人が付き合いやすいかも」と雄馬。
「そうよね。人の悪口とか言いそうにないし、店員さんに威張り散らしたりもしないだろうし」と瑠海。
「愛想悪くて見た目もパッとしないし」と光梨。
「変に愛嬌を振りまく八方美人より信頼できそうだよね」
「ねっ、二人だけの深い付き合いを大切にしてくれそう」
「他人を下げてるって言ったけど、私は佐々木さんの悪いところを率直に指摘してあげてるだけよ! そのほうが親切でしょう」
「本当に親切な人ならどうする? 桜井さんみたいにもっと親切に声をかけ、辛い立場の彼女を気遣ってあげるはずだ」
「あらあら、桜井さんが好きになっちゃったの?」
「きみは人のことばかり言っているけど、自分を高めるため何か努力したことがあるのか?」
「私は帰国子女なのに頑張ってこの国の言葉と文化を勉強したし、帰国子女だからって卑屈にならないで胸を張って生きてきたし」
「深い付き合いか……ところで瑠海ちゃん」
「どうしたの?」
「その程度で努力だなんて笑わせる。どこまで勘違いすれば気が済むんだきみという人は」
「あんたこそどうなのよ。せいぜいちょっとイケメンなだけで、他にこれといった取り柄がないじゃない」
「ああそうさ。ぼくにはその自覚がある、きみにはそれがない、だから合わないんだ」
「今度のクリスマス、予定ある?」
「いいえ、まだだけど」
「よかったらぼくと付き合ってくれないか?」
「身の程知らずはあんたよ。あんたなんかいなくても、私はその気になればいくらでも彼氏を作れるんだから。私のほうから振ってやるわ」
「私のほうからもぜひお願いします!」