僕と彼女とちくわとペロンパ
「銀行襲いましょう」と彼女は言った。
日曜日、彼女の家でコーヒーを飲んでいる時だった。
呆然としている僕に彼女は更に言い放つ。
「じゃないと、貴方は駄目になるわ」
余りの断言口調に納得してしまう。そうかよ、俺は駄目になるのかよ、まあ、良いさ、所詮俺なんてそんな生き物さ、と思ったが一応反論してみる。
「でもさ、どうやって? 拳銃とかないよ」
「あるわ」
彼女がポケットから拳銃を二丁取り出す。彼女は完璧主義者なのだ。だから僕はいつも尻にしかれてばかりだ。
「でも、それだけで十分とは思わないなあ」
僕がそう言うと、彼女がピクリと眉を顰めだ。
「どういうことよ」
と睨んでくる。おお、怖い。だけど銀行強盗なんて嫌だから、口からでまかせを言う。
「もし、だよ。もしかしての話だけど、拳銃を知らない人がいたらどうするの? この社会では拳銃は威嚇として通用するけど、他の社会ではそうはいかないんじゃないかな。で、もし他の社会の人が銀行にいたら、失敗する確率も必然的に高くなってしまう、と思うんだけど」
多少強引な気もするが、間違ってはいないだろう。彼女はうぬぬ、と唇を噛み締め何かを考えている。
何かを思いついたのか、急に立ち上がり冷蔵庫の中を物色し始めた。僕は冷めたコーヒーを飲みながら、今晩の夕食は何かな、と考えていた。
しばらく経った後、彼女が得意げな顔で戻ってきた。席に着くなり、僕を指差しこう叫んだ。
「ちくわ!」
よく見ると、人差し指にちくわがはめてある。僕が何も言わないでいると彼女がもう一度言った。
「ちくわ!」
多分彼女なりに考えた威嚇の方法なのだろう。確かにびっくりはするが、そんなものを手にはめた犯人の言う事なんか誰も聞かないだろう。
それにしてもちくわ、というやつはひらがなで書くと何だか間抜けな気がする。
ちくわ。輪切りにされているのは良い。一本でも横になっていれば許せる。しかし、ちくわを一本立ててみよう。フラフラしている、いや、もうグテングテンだ。
それは何故か僕たちを不思議な気分にさせる。良い気分でも悪い気分でも無い。かといってちくわな気分と名付けてもしょうがないのでここら辺で止めておく。
「なんでちくわなの?」当然の疑問を僕は口にする。
「好きだから」
と恥ずかしさに頬を染め呟く。ちくわが好きだったなんて知らなかったな。ちなみに彼女はトマトが大嫌いだ。
だからって何だよ? 何なのさ? と突っ込みそうになったが、彼女が何の反応も無かった事に落ち込んでいるようなので口を噤む。
「いや、アイディアは悪くないと思うよ」
さっきまで、指にはめたちくわを老いた亀のようにモグモグしていた彼女が顔を上げる。
「でもさ、威嚇の言葉がちくわ、はないだろう」
もしそれが通用するなら、夫の浮気を問い詰める時、妻は食卓の冷や奴を手にし「冷や奴!」と叫ばなくてはいけない。そんな社会は嫌だ。ああ、嫌だ。
彼女は思慮深く俯き、何やら考え込んでいる。何か思いついたのか顔を上げ、残っていたちくわを口に放り込んだ。
「新しいちくわに代えてくる」
と堂々と宣言し、冷蔵庫の元へ歩いて行く。
ちくわ自体は変わらないんだな、と思いながらコーヒーを口に含む。さて、今晩の夕食は何だろうな。
少しの間待っていると、彼女が帰ってきた。その表情からは確かな自信が垣間見える。余程怖い脅し文句を思いついたのだろう。
彼女が席に座り、ゆっくりと僕を指差す。人差し指にはもちろんちくわが輝いている。
「ペロンパ!」と彼女が叫ぶ。
僕が愕然としていると、彼女はもう一度叫ぶ。
「ペロンパ!」と。
必死に考えたのだろうが、いくらなんでも「ペロンパ」は無いだろう。パ行が二つも入っている時点で威嚇としては成立しないんじゃないか、と思う。だって「ぺ」と「パ」だよ。特に「ぺ」については何処となく卑猥な響きにさえ含んでいる。
せめて「ゴンツ」や「ギガンデッド」という風に濁音が欲しい所だ。
僕がそう言うと、彼女は首を傾げ、
「ぢぐわ?」
と呟く。
いや、そうじゃなくて、と僕は溜め息をつく。彼女は薄らと目に涙を溜めている。彼女は泣き虫なのだ。
「いや、着眼点は悪くないんだよ」
と慌てて慰める。
「特に意味不明な事を言う、ってとこがね。理解できない事は誰にとっても怖いからね」
僕の言葉にヒントを得たのか、彼女がすぐに立ち上がろうとする。僕はその腕を掴み、
「これで最後だからね」
と念押しをした。そう何回も付き合っていられない。
彼女は任せなさい、という風に頷くと指のちくわを外し、テーブルの真ん中に立てた。そのまま台所に去っていく。
コーヒーはもう無かったので、僕はちくわを食べた。醤油無しで食べるちくわは、素朴な味とは言えない何かが含まれていた。
随分遅いな、と台所の方を窺っているとドタドタ、と足音が聞こえる。
何か来る、と身構えていると、彼女が物凄い勢いで走ってきた。
両手に持ったホットケーキミックスの粉を辺りに撒き散らしながら、
「無我夢中じゃい!」
と叫んでいる。
余りの迫力とその意味不明さに僕は椅子から転げ落ちてしまった。唖然としている僕を見て、彼女は誇らしげに、
「勝った」
と高らかに宣言した。
いや、目的変わっとるがな、と指摘しようとしたが、ホットケーキミックス塗れになっている彼女が余りにも嬉しそうだったので、口に出すのは止めておいた。
「やった、やった」
と彼女が言う度に粉が舞う。
ははは。
とりあえず、笑とけ。
ははは。
その日の夕食はちくわの磯辺揚げとホットケーキだった。
次の日、僕らは銀行の前にいた。僕の手には拳銃が、彼女の手にはちくわが握られていた。彼女の体が震えている。彼女はこう見えて怖がりなのだ。
「大丈夫さ、きっと上手くいく」
僕は彼女と供に銀行へと向かっていった。電子音が響きドアが開く。平日だからか、人はあまり多くない。
僕は拳銃を辺りに向け叫んだ。
「手を上げろ!」
彼女もちくわを手にはめ叫んだ。
「ペロンパ!」
ベンチに座っていたおばあさんが僕らを見て驚いている。恐れている、というよりは呆れている、といった様子だ。
やっぱり、ペロンパが良くなかったか、と後悔していると、後ろの方から何かが聞こえた。
「カントリーロード」
ああ、懐かしい歌だ。あの日の思い出が蘇る……前に後頭部に何かが当たる。振り返ると黒人男性がトマトをあちこちに投げながらカントリーロードを熱唱していた。黒と赤のコントラストが映えていて綺麗だ。
「この道、ずっと行けばあの町に続いている気がする」
流暢な日本語で。しかもジブリ版だ。
上には上がいる。僕がそう実感した瞬間だった。
さあ、帰ろう、と彼女の肩に手を掛けようとしたが、彼女は黒人男性を睨み付けている。言い忘れたが彼女は負けず嫌いだ。
ちくわじゃ太刀打ち出来ないと悟ったのか、彼女はバッグからホットケーキミックスを取り出す。
「無我夢中じゃ――
グシャと嫌な音がしたと思うと、彼女の顔面がトマト塗れになっている。前にも言ったように彼女はトマトが大嫌いだ、顔がトマト塗れになった日なんて……
「ぎゃああああ」
と彼女が泣き叫ぶ。悲鳴が銀行に鳴り響く。
「カントリーロード、この道、故郷へ続いても」
黒人男性の歌は二番に入っている。
「あらあら、こんなに汚くしちゃ駄目じゃない」
おばさんは床に落ちているトマトを掃除している。
ははは。
とりあえず、笑とけ。
ははは――、あれ、これ涙だ。
とりあえず、泣いとけ。
えんえん、ぽろぽろ。
その日の夕食は僕だけトマトだった。前より駄目になったんじゃない、との呟きは彼女に黙殺され、僕は前より駄目になった。
ちなみに二人とも社会人です。