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風と世界の間

作者: ごはん

静かだった。

 音も、声も、記憶すらも、すべてが風にさらわれたように薄れていく。


 目を開けると、そこはどこでもない場所だった。空は灰色とも白ともつかない色をしていて、足元はやわらかい草のようでいて、歩いても沈まない。不思議と、恐怖はなかった。


「ここは……?」


 問いに答える者はいない。ただ、風が吹いた。柔らかく、優しい風だった。


 風に乗って、一人の少年が現れた。懐かしい顔だった。けれど、名前が思い出せない。


「君、ぼくのこと忘れたの?」


 笑う顔に、心が揺れた。あのとき、川で助けられなかった友達。子どもだった自分の、小さな後悔。


「……ごめん」


 少年は首を横に振った。


「謝るために来たんじゃないよ。ありがとうって、言いに来たんだ」


 風がまた吹いた。次に現れたのは、老いた女性だった。亡くなった祖母。大好きだった人。最後の夜、手を握れなかったことがずっと心に残っていた。


「あなた、よく生きてきたねぇ」


 その一言で、涙がこぼれた。声にならない嗚咽が風に溶けていく。


「……ここは、生きてるの? 死んでるの?」


 誰にともなくそう尋ねると、風がまた吹いた。


 そこにいたのは、自分自身だった。

 疲れた顔をしていたけれど、どこか澄んだ目をしている。


「ここは、生と死の間。どちらにもまだ決めてない場所」


「選べるの?」


 自分はうなずいた。


「このまま、風に還ることもできる。あるいは──もう一度、あの身体に戻ることも」


 身体。病院のベッドに横たわる自分の姿が、ぼんやりと浮かぶ。意識を失う直前、「ありがとう」とだけ誰かに伝えたことを、かすかに思い出す。


 祖母が微笑む。少年が手を振る。もう一人の自分が問いかける。


「まだ、伝えたい人はいる?」


 思い出した。

 心を寄せてくれた人たち。手を差し伸べてくれた人たち。何も言わなくても、そばにいてくれた人たち。


 深く息を吸った。風が胸に入ってきた気がした。


「もう少しだけ……生きてみたい」


 次の瞬間、世界が光に包まれた。


 病室の天井。眩しさに、まぶたが震える。

 誰かが泣きながら呼んでいる。名前を。

 口が動く。けれど、言葉にならない。けれど──心の中で、はっきりと言えた。



今まで関わってくださった皆々様

──ありがとうございました。

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