第二話:「銃」
数時間歩き続けた頃だった。
崩れた交差点の向こう側に、二つの影 が見えた。
リラは息を呑む。
人間のような姿だが——人ではないと感じた。
まるで中世の騎士のような装い。
青白く光を帯びた、甲冑を思わせる出で立ち。
人間の体格をしているのに、そこに「生身」の温かみはなかった。
動きもどこか機械的で、不気味なほど静かだった。
彼らはゆっくりと歩きながら、何かを探しているようだった。
リラは反射的に物陰に身を潜めた。
(……何……?)
彼らは、こちらには気付いていない。
だが、見つかれば——どうなる?
リラの心臓が、早鐘のように鳴った。
リラは、じっと物陰から様子を伺った。
彼らは何かを確認しているようだった。
(何かを探しているの……?)
ゆっくりと地面に視線を落とし、まるで何かの痕跡を確かめるような動き。
時折、周囲を見渡しながら、慎重に歩いている。
すると——。
その先に、異形の影があった。
リラの背筋が凍りつく。
(あれは……!)
地下鉄で見た"あの怪物"。
体の一部が変質し、人間だった名残をわずかに留めた異形の存在。
それが、瓦礫の隙間に佇んでいた。
しかし、クリーチャーは彼らに襲いかからなかった。
それどころか、まるでそこに彼らが「存在していない」かのように、ただじっとしているだけだった。
その時——。
パンッ!
突然、鋭い銃声が響いた。
リラの体が一瞬こわばる。
何の前触れもなく、そのうちの一人がクリーチャーに向かって銃を撃ったのだ。
クリーチャーは微動だにせず、その場で崩れるように倒れ、瞬く間に『土』となり、消えた。
リラは息を呑む。
(なんで……?)
怪物は、最初から彼らに敵意を向けていなかった。
むしろ、まるで"彼らのことを見えていない"かのようだった。
にもかかわらず——彼らは、"排除"するかのように銃を撃った。
撃った後、二人は何かを話し合っている。
しかし、その声は聞き取れない。
やがて——彼らは、その銃を地面に捨てた。
まるで、それがもう必要ないものだと言わんばかりに。
しばらく周囲を警戒するように見渡した後、彼らは何か通信をしているような動きを見せた。
指先で宙をなぞるような、不思議なジェスチャー。
直後——。
シュウウウ……
空から、静かに小型の飛行物体が降下してきた。
円盤状のフォルム。
青白い光を帯び、音もなく宙に浮かんでいる。
小型のUFO——?
リラが見たことのない機体。
それが、まるで当然のように彼らの頭上へ降りると——
二人の騎士のような存在は、光に包まれるようにして吸い込まれていった。
次の瞬間、UFOは音もなく飛び立ち、あっという間に夜空へと消えていった。
リラは、物陰で息を呑んだまま、その光景を見送るしかなかった。
・銃への接近・
リラは、物陰でじっと息を潜めたまま、上空を見上げた。
シュウウウ……
小型のUFOは静かに加速し、音もなく夜空へと消えていった。
まるで最初から存在しなかったかのように——。
(……行った……)
リラは、しばらくその場で動かずにいた。
本当にもういないのか、何か別の"気配"が残っていないか、慎重に周囲を見渡す。
静寂。
不気味なほどの静けさが、あたりを支配していた。
(今なら……)
リラは、ゆっくりと体勢を低くしながら、捨てられた銃へと慎重に歩み寄る。
一歩、一歩。
音を立てないように、慎重に足を運ぶ。
目の前の地面に、それは転がっていた。
黒い金属製のフレーム。シリンダーがあるが、装填口はない。
一見するとリボルバーに見えるが、どこか違和感がある。
リラは立ち止まり、警戒しながらその銃をじっと見つめた。
(……何?)
見た目は銃——でも、何かがおかしい。
彼らはなぜ、これを撃ち、そして捨てたのか?
リラは、一瞬の躊躇いを飲み込みながら、そっと銃に手を伸ばした——。
リラは慎重に銃を拾い上げた。
その瞬間——。
「──■■■■■■──」
耳慣れない、不気味な電子音が鳴る。
まるで機械が作り出したような、低く響く声。
リラは思わず息を呑んだ。
(……今の、何……?)
銃から聞こえた?
いや、そんなはずは——。
しかし、その考えを遮るように、再び音が響いた。
「ホンヤク カンリョウ」
(翻訳……?)
「セイタイデータ ニンショウ トウロク シマシタ」
リラは息を呑む。
生体データ認証……?
何を言っているのか分からない。
けれど、確実にこの銃が"何か"を認識したのは間違いなかった。
リラは無意識に銃を強く握りしめた。
(これ……普通の銃じゃない……)
リラは、驚きと戸惑いの表情を浮かべながら、銃をまじまじと見つめた。
(……何? 喋るの?)
思わず、呟くように口にした。
「ハイ」
リラの心臓が跳ねた。
確かに、今、銃が答えた。
機械的な、抑揚のない声で。
「シンタイデータ カクニン セイジョウ」
「システム キドウ ジュンビカンリョウ」
(……ちょ、ちょっと待って? システム起動って何?)
リラは混乱しながらも、銃を持つ手に力を込めた。
「ローカルデータ サーチチュウ」
「──カクニン……アメリカ コクナイ キロク カラ セイタイ データ シュウシュウ」
(……データを拾ってる?)
「カクリツ……92.8パーセント……セイタイデータ イッチ」
(……え?)
リラはゴクリと喉を鳴らした。
「どういうこと?」と呟くと、銃はすぐに答えた。
「コノ ジンブツ ガ ブキ カンリシャ ト シテ ニンショウ サレマシタ」
(……管理者? 私のこと?)
普通の高校生である自分が、なぜ「管理者」と認識されたのか。
でも、確実にこの銃は、リラを“使い手”として登録した。
「メイレイ ガ カノウ」
「アクティブモード イツデモ キドウ カノウ」
(……なにそれ、全然意味が分かんない……!)
リラは無意識に銃を持ち直した。
(普通の銃じゃない。そんなの、分かってる。でも……)
このまま、ただ怯えているだけではいけない。
そう思いながら、リラは慎重に、銃の感触を確かめるように指を滑らせた。
リラは銃をじっと見つめていた。
その金属の冷たさは、まるで生きているかのように感じる。
(これは……一体……?)
突然——。
ゾクリ……。
背筋に冷たいものが走る。
何かの気配を感じた。
リラは、反射的に身をすくめ、ゆっくりと視線を向ける。
闇の中、瓦礫の隙間に——"それ"がいた。
人間の形をしていたはずの何か。
ねじれた四肢、不自然な関節、皮膚が裂けたような異形。
その奥に、人だった名残が微かに残っている。
怪物……。
息を殺しながら後ずさる。
クリーチャーはゆっくりと、こちらへ向かってくる。
まだ距離はある——でも、逃げられるかどうかは分からない。
その時だった。
「テキイ ケンチ」
(……え?)
リラはハッとした。
「オートモード キドウ」
次の瞬間——。
バシュッ!!
銃が、リラの手の中で勝手に発砲した。
(なっ……!?)
リラは驚き、思わず手を離しそうになる。
けれど、銃は彼女の指にしっかりとフィットしていた。
眩しい閃光が迸る。
エネルギー弾が一直線に飛び、クリーチャーの胸部を貫いた。
「ギャアアアア……!!」
怪物は短く絶叫し、その体が一瞬震えたかと思うと——。
ボロボロと崩れるように、土へと還っていった。
(消えた……!?)
リラは目を見開いたまま、銃を見つめる。
自分はトリガーを引いていない。
なのに——この銃は、勝手に撃った。
「……何これ……?」
手の中の銃は、まるで何事もなかったかのように静かだった。
リラは銃をじっと見つめた。
「……なんなの、これ……?」
思わず呟くと——。
「ブキ」
機械的な、抑揚のない声が即座に返ってきた。
リラの指がわずかに震える。
確かに、今、銃が答えた。
「……武器?」
「ハイ」
「……勝手に撃ったのは……なんで?」
「オートモード キドウ テキイ ケンチ」
「セイタイデータ ニンショウシャ ヲ ホゴ スル タメ」
「……保護?」
リラは、無意識に銃を握り直した。
(つまり、こいつは……私を守るために撃ったってこと?)
でも、なぜ?
「……あなた、一体なんなの?」
リラの問いに、銃は少し間を置いてから、静かに答えた。
「システム ナンバー XG-07」
「ブタイ カンリシャ ヨウ リボルバー」
「部隊管理者用……?」
聞き慣れない単語が並ぶ。
でも、ひとつだけ確実なのは——。
(普通の銃じゃないってこと……。)
リラはじっと銃を見つめる。
そして、ふと気づいた。
(……こいつ……私のことを“持ち主”として認識してる?)
でも、自分はただの高校生だ。
軍隊にも所属していないし、兵士でもない。
「……私が持ってて大丈夫なの?」
「カンリシャ データ ニンショウ カンリョウ」
(……答えになってない……!)
何も分からないままだけど、
この銃は——どうやら手放せない存在になったらしい。
リラは、静かに銃を見つめた。
銃をじっと見つめたまま、静かに問いかけた。
「……あんた、一体どこから来たの?」
銃は一拍おいて答える。
「セイゾウ チ:ネヴェリス」
「ネヴェリス……?」
聞いたことのない言葉。でも、どこか冷たく、地球とは違う響き。
「……つまり、エイリアン製ってこと?」
「ハイ」
それを聞いたリラは、無言のまま銃を握り直した。
まさか、自分が宇宙人の武器を手にするなんて――そんなこと、考えたこともなかった。
そのときだった。
「……ギィ……ギャ……」
不意に、背後から低く濁った唸り声が響く。
リラが振り返るより先に、銃が自動で反応した。
「テキイ ケンチ シャゲキ ヨテイ」
「……ちょっと待って!」
慌てて声を上げると、銃は命令を受け取ったかのように応じた。
「タイキ カイシ」
リラは息を呑む。
音の方に視線を移すと、瓦礫の影からクリーチャーが這い出してきていた。
腐敗しかけたような皮膚。赤く濁った目。
それでも、どこか“人間の面影”が残っている。
「……元は、人間だったのに……」
震える手で、リラは銃を構える。
引き金の上に、指をかける。けれど――
(撃てない……)
「……どうすれば……」
「キケンセイ ジョウショウ ハッポウ カイシ」
「えっ――!」
バシュッ!!
眩い閃光が走った。
次の瞬間、クリーチャーの体は弾け、何かに還るように崩れていった。
灰色の土だけを残して――。
「……また……勝手に……」
リラは銃を見つめ、呟く。
「私が……撃ったわけじゃないのに……」
声が、震えていた。
「……もう、人間じゃないって……そう思うしか……ないよね……?」
誰に向けた言葉でもなかった。ただ、自分を納得させるための、苦しい自己弁護だった。
崩れた街を進みながら、リラは小さくつぶやいた。
「……何か、食料、探さないと……」
その声に反応するかのように、手にしていた銃が突如、低く、しかし妙に明瞭な声を発した。
「資材補給ノ必要性ヲ検知。推奨行動:食料・水分・寝具ノ確保。
周辺ニオケル最適ナ補給拠点ヘノ、ナビゲーションヲ開始シマショウカ?」
「……え、何?」
リラは立ち止まり、思わず銃を見つめた。
「……そんな機能あるの?」
「ハイ。音声出力ハ標準装備デス。サラニ、ゴ希望デアレバ会話モードモ拡張可能デス。」
「いやいや、そういうことじゃなくて……」
「……まあ、いいか……。」
「デハ、補給拠点マデノ最短ルートヲ案内シマス。徒歩52分、瓦礫少ナメ、景観最悪。
ツイデニ言ウト、途中ニカラスノ死骸ガ三体アリマス。踏マナイヨウゴ注意クダサイ。」
「……あんた、ほんとに銃?」
「形式上ハ“銃”デスガ、精神的ニハモウ少シ上等デス。タブン。」
リラは額に手を当て、小さく息をついた。
「……もういい。案内して。静かにね。」
「静音モード、アクティベート。風ヨリモ静カニ。影ヨリモ目立タズ。
※ナオ、テイキテキニ小声デ話シカケマス。寂シクナラナイヨウニ。」
「はぁ……」
「トコロデ補足提案。私ヲ収メルホルスター等ヲ利用スルコトデ、使用者ノ腕力負担ヲ73%軽減可能デス。
イツマデモ手ニ持チ続ケルノハ、辛イデショウ?」
「……やかましいわね。じゃあ、そのホルスターも一緒に探してくれる?」
「モチロン。最適ナ型式ヲ案内可能デス。使用者ノ身長、腕ノ長サ、スタイルニ準拠シテ選定イタシマス。」
「もう……わかったわよ。はいはい、じゃあ道案内、よろしくね。」
そうしてリラは、皮肉屋の銃と共に、崩れた都市を進み出した。
廃墟の街を歩いて数十分。崩れた看板の奥に、それは現れた。
コンクリートの塊のようなモール跡──かつて賑わっていたその場所は、今は静寂に包まれていた。
リラは慎重に入り口を通り抜け、内部を確認する。
割れたガラス、倒れた陳列棚、しかし──
「……荒らされた形跡はあるけど、誰もいない……か。」
彼女は崩れかけたアウトドア専門店の看板を見上げると、そっと足を踏み入れた。
中はほこりまみれだったが、意外にも残っている物は多かった。
寝袋、折りたたみ式ランタン、火起こしキット、浄水ポーチ。
キャンプ用の携行食まで棚に残っていた。
「今のキャンプ用品って……こんなに揃ってるんだ。」
リラは驚きながら、それらを一つずつ確認してリュックに詰めた。
手慣れた様子ではないが、慎重かつ冷静に必要なものを選んでいく。
小さなテントもあったが、持ち運ぶには嵩張りすぎた。
寝袋とマットだけで、今は十分だ。
フロアの奥にある、半壊した休憩スペース。
天井は崩れかけていたが、風は入らず、死角も多い。
彼女はそこで寝袋を広げ、崩れたソファに寄りかかるようにして腰を下ろした。
辺りは静かだった。
ふと、手元の銃を見つめる。
「ねえ……」
小声でつぶやくと、銃がカチリと応じた。
「起動完了。音声応答モード、待機中。」
「……君、エイリアンについて、どこまで知ってる?」
数秒の間が空いたあと、返答があった。
「出身星:テーガーデンb。通称“ネヴェリス”。地球カラ五〇光年先ノ恒星系ニ所在。」
「へえ……そんな遠くから。どうやって地球まで来たわけ?」
「航行方式:重力圧縮型亜空間跳躍。往復時間:約二〇〇年。文明レベル:地球比一二〇〇倍。」
「そんなに時間かけてまで……何しに来たの?」
「該当質問:機密事項。目的情報ハ開示許可ガ下リテイマセン。」
「……なるほどね。そっちは黙秘か。」
「正確ニハ、記録ナシ。“知ラナイ”ト表現スル方ガ適切デス。」
「トコロデ管理者様、次ハ何処ヘ向カワレマスカ?」
「……ちょっと、その呼び方やめて。管理者様とか堅苦しいし」
「承知イタシマシタ。適切ナ呼称ヲ御指定クダサイ」
「リラ私は……リラ。リラ・ウォーカー」
「登録完了。以後、“リラ様”ト呼称──」
「様も要らないってば。リラでいいの」
「了解……リラ。以後ノ呼称、更新完了」
「……ねえ、君、名前はないの?」
「識別名:第八開発系列・実験機体コード“EXR-09α-Ⅲ”──該当スル呼称ハ製造番号ノミ」
「うーん……“ナイン”ってどう?番号の9が入ってるし」
「承認──暫定愛称“ナイン”、記録完了。以後、必要ニ応ジテ当名デ応答可能」
「よし、じゃあナイン。これからよろしくね」
「了解……リラ。以後、行動ヲ補助スル」
(少し間をおいて)
「……今日はもう遅いし、寝ようかな」
「推奨:休息。睡眠ハ精神安定ニ効果的。監視機能ハ維持シマス、安心シテ眠ッテクダサイ」
薄暗い天井の隙間から、かすかな朝の光が差し込んでいた。
モールの奥、半壊した休憩スペースの片隅。
寝袋の中でリラはゆっくりと目を開けた。
「……もう朝か……」
一晩中、モールの外は物音ひとつなかった。
静かすぎるほどの夜だった。
リラは寝袋から体を起こし、周囲を見回す。
崩れかけた柱、割れた照明、埃の積もった床。
けれど、ここがこの街で一番「安心できた」場所だった気がする。
手を伸ばして、銃──ナインをそっと持ち上げる。
その瞬間、小さく機械音が鳴った。
「おハヨウゴザイマス、リラ。睡眠中ノ警戒態勢ハ維持サレテイマシタ。安心ヲ保証シマス。体調ニ異常ハアリマセンカ?」
「ふふ……ありがと、ナイン。うん、まあまあかな。……あんたは寝てないの?」
「AIノ稼働時間:一〇〇%。睡眠機能ハ搭載サレテイマセン」
「そっか。……ちょっと羨ましいかも」
彼女は立ち上がると、軽く背伸びをして周囲の埃を払い落とす。
モールの入り口から漏れる朝の光が、世界の終わりを優しく照らしていた。
「本日ノ行動目標ヲ確認シマス。……目的地ハ、既ニ決定済ミデスカ?」
「……目的地?」
(ふっと目を伏せて、小さく息を吐き)
「ああ、そういえば……まだ言ってなかったね」
「パパがいるかもしれない場所。ニューメキシコ……そこへ行くつもり」
その言葉を口にした瞬間、ナインが即座に反応する。
「目的地:ニューメキシコ、確認。ルート探索開始シマスカ?」
「うん……お願い。長くなりそうだけど、行けるところまで」
「ルート検索──完了。推定移動時間:徒歩基準ニテ三〇〇日超。途中補給・休息必須」
「……分かってる。だから、まずは今日を乗り越えること。ね、ナイン」
「了解。最初ノ一歩、開始ヲ推奨。気ヲ引キ締メ、デモ心ハ軽ク」
「ほんと、言うこといちいちクサいよね」
「詩的表現、ユーザー満足度八四%。過去ノ統計ニ基ヅキマス」
リラは少しだけ笑って、リュックを背負い、立ち上がる。
「……じゃあ、行こう。パパのところまで」
廃墟となった都市の中を、一人と一丁の銃が歩き出す。
その足取りは、わずかに確かな希望を含んでいた──。